第58話
「――今日はお呼び立てして申し訳ないね。
どうしても一度、ゆっくり話してみたかったんです、貴女と」
しばらくの滞在期間も終わりが見えてきたころの話だった。
ボクは、夕食に招かれていた。エルハルト・カーフィステイン、その人に。
……首都にあるの中でも上から数えた方が早いようなレストランか。いったいどうしてここまでの厚遇を?
「ええ、ボクもエルトさんとはお話ししたいと思っていました」
食前酒――いいや、エルトさんが気を回して酒を出さないようにしてくれたから、お酒ではないか。
葡萄のジュースを軽く口に含む。芳醇な香りに心が安らぐ。
ここまで濃い味の飲み物を飲んだのは久しぶりだ。あの梨のジュースよりも濃い味がする。
「ふふっ、そう思っていただけているのは光栄だ。なにせ貴女は”死竜殺し”グリューネバルトの英雄ですからね」
「大それた名前です。あの時は運が良かった」
……死竜を殺したのは慈悲王なのだと謙遜でもしたかった。
けれど、それでは意味がない。ベアトがボクに王冠を託した意味がなくなる。
ベアトの実力は衰えているのだと思わせなければならないのだから。
「それで今は、政魔分離の原則と機械魔法についての論文を書かれているとか?」
「耳が早いですね。ニコレット殿下とドクターケイに取材をしています」
まぁ、今回の論題についてだけを聞いている訳じゃないけれどね。
今は書けないにせよ、機械魔法の発展史というものは、必ず書くべき時が来るはずだと分かっているのだから。
「では、ゴットハルトともその話をされましたかね。グリューネバルトにいたときに」
――ほう、まさかゴットハルト殿下の話を知っているとは。
貴族同士なんだから知っていてもおかしくはないのだけれど、流石はエルハルトさんだ。
ボクを呼びつけるだけのことはある。会話の主導権を握りに来ている。
「はい。魔法の才能に目覚めてしまったがゆえに、領主になる可能性を閉ざされたこと。よく理解しています。
エルトさんは、どう思っています? ゴットハルトという人が、領主になれないということを」
フラウフリーデ殿下とゴットハルト殿下、2人の歪な関係はひとえに政魔分離の原則ゆえだろう。
ゴットハルトさんが領主の座に座っていれば、あのようにはならなかった。
「そうだね、個人的な意見を言えばあいつは領主に向いた男だ。冷静な思考と熱い情を持ち合わせている。
能力的にも領主に座るに足るだけの男だと思う。だからこそ、彼が魔法使いになったことは残念だと思っている」
やはり、その評価か。ボクもそう思っている。
ゴットハルトという人は、領主に向いているのだ。
特にあの肝の冷えるような戦いを潜り抜ける豪胆さ、上に立つ人間としてあれ以上はない。
「理念としての政魔分離の原則は正しい。魔法使いを領主にしてはならない。魔法時代の再来を防ぐために。
けれどボクは思っています。ゴットハルト殿下のような人が、領主になってはいけないということはないだろうと」
自分でも矛盾したことを言っているのは理解している。
けれど、これがボクの感じていることなのだ。他に言いようはない。
「クリスさんの考えは分かります。僕もそう思っていない訳じゃない。けれど――」
運ばれてきた前菜、その上に乗る半熟の卵を割るエルトさん。
そこから黄身が零れだしていく。そんな動作でさえ、美しく見えるのだから、本当に恵まれた容姿を持った人だと思う。
「――貴族というのは”そういうもの”なんです。
神官のようにアマテイト様の声が聞こえるわけじゃない、魔法使いのように秀でた才能があるわけでもない。
貴族というのは、祖先がスカーレット王に味方した英雄の末裔に過ぎない。ただの人間だ」
……そう、本当に天賦の才を持つ人間がいるこの世界において、血筋だけで権力を得ている貴族というのは特殊だ。
本当に神に見初められた者たちがいるという世界で、ただの血筋だけで統治を行っている。
その異質さを、彼は理解し切っている。聡明な人だと思う。ボクが同じような考えを持てているのは、地球での知識を下敷きにしているからに過ぎない。
「僕らの本質というのは、魔法王に対する調整弁だ。彼らのような才能を持つ人間がそれ以外を虐げることがないようにするための存在だ。
所詮は、王国社会を安定させるための楔に過ぎないんですよ、貴族って」
そう告げるエルトさんの表情に、息を呑む。
自分の役割が持つ意義とそこにある虚しさとを理解している人は、こういう表情をするのだ。
「だから、ゴットハルトのことは残念だと思ってはいます。
けれど彼が魔術師としての才能を発揮してくれるのならば、国益になるのは間違いない。
最終的に国益になるのならば、誰がどう生きようとも同じことだと僕は考えています」
……なるほど。これが貴族の次男坊なんて替えが効くと言い切れる人の思考回路なのか。
面白いな、この人。ニコレット殿下を説得して見せたときにも思ったけれど、これだけの確固たる考えを持っている人には興味が惹かれる。
「流石ですね。あの時、ニコレット殿下を説得しただけのことはある」
「あの程度、誰でも思いつくことです。本来はニコだって思いついたはずだ。それだけの頭はある女だと思っています」
「けれど、あの時、あの場所でそれを思いついたのは貴方だけだ。エルハルト殿下」
前菜を食べ進めながら、曖昧な笑みを浮かべるエルトさん。
「やめてほしいな、殿下なんて。エルトで良いですよ、クリスさん」
「そう呼びたくなったんです、先ほどばかりはね。エルトさん」
だって本当にこの人は貴族なんだなって実感したんだから。
「――さて、僕の持論はこれくらいにしましょう。僕は貴女のことを知りたいのです。クリスティーナさん」
「ボクのこと?」
「ええ、貴女ほどの野心溢れる才女を見たのは初めてでして」
野心か。そんな大それたもの、ないと思うのだけれど。
ボクはボクのやりたいように生きているだけだ。
「そんな大それた考えはありませんよ。史学科の学院生としてやりたいことをやっているだけですから」
「けれど、随分と深く機械魔法のことを理解しているじゃありませんか。いったいどこで仕入れた情報なんですか? トリシャ教授からにしても随分とお詳しい」
……機械魔法のことに詳しすぎる、か。
この流れ、思い出すな。ジェフさんにボクの正体を見破られたときのことを。
「聞いていませんか? ジェフさんから。あるいはミハエルやベータから」
「彼らからは聞いてはいません。ただ、なんとなく推測はしています」
「……んー、ボクってそんなに尻尾出してますかね?」
こちらの問いに笑みを返すエルトさん。
「いえ、そこまでではないと思うのですが……そうですか、ジェフも気付いていましたか。出遅れたようですね、僕は」
「ふふっ、では、答え合わせをしてみましょうか?」
少しだけ挑発的に笑ってみる。これで外してくれたら面白いんだけどな。
まぁ、そうもいかないのだろう。彼の中の確信は本物だ。
「――クリスさん、貴女は”さすらい人”だ。そうでなくとも同等にあちらの知識を持ち合わせている」
「正解です。秘密にしてくださいね? このことは――」




