第55話
「――さて、どうしたものかな」
ドクターケイへの直接の取材、それ自体は非常に有意義な時間だった。
彼がこちら側の世界に来てからの来歴、ニネット殿下との出会い、同時に転移していたベータとの戦いと封印、人竜戦争、そこまでの流れを細かく教えてもらったのだから。
けれど、この話は魔術史学というには自伝の色が強すぎる。慈悲王ベアトリクスほどの人間ならばともかく、ドクターケイの自伝をこのタイミングで書いてもあまり意味はないだろう。
(……それに、彼の自伝となると”地球”の話をしなきゃいけなくなる)
ボク自身がストライダーであるということを伏せながらストライダーの伝記を書くなんて高度な真似、出来るとは思えない。
それにストライダーに関する書物の異様な少なさも気になるんだ。
どうしてアカデミアを始めとしたスカーレット王国の学会は”さすらい人”を論題にしないのか。
『――何も知らない奴は最悪こう思っているはずだ。
”さすらい人の世界”など存在しているかどうかさえ怪しいってな』
ジェフの言葉を思い出す。そして自分のことを語ろうとしないボク自身やミハエルさん、バトーさんのことも。
さすらい人自身の秘密主義と、そもそも王国人にとっての”地球という異世界”の存在を信じるに足る要素の薄さ。それを思えば現状も当然なのだろう。
この状況下でボクが機械魔法と地球の関係にフォーカスしてケイの自伝を書くのは危うい。
そもそも信じてもらえないという可能性、ボクの素性が割れる可能性、機械魔法と異世界が繋がって変なマイナスイメージを抱かれる可能性。どれもがあり得る。
「何かお悩みですか? クリス様」
シルキーテリア家の応接室、正式にニコレット殿下の片腕となったベータさんがコーヒーを出してくれる。
「いえね、ドクターケイに色々と聞いたんです」
「ああ、クリス様は歴史学者さんでしたね。何か本を書かれるおつもりで?」
ベータさんの質問に頷きながら、向かい側に座るように促す。
ニコレット殿下が遅れるということは聞いている。だから、話し相手が欲しいんだ。
「ええ、けれどいまいち論題に悩んでましてね。ボクも地球人だ、あちらのことを書きすぎると素性がバレます」
「んー……そうですね。確かに網羅的な内容は避けた方がよろしいかと。知り過ぎていることは意外と隠せないものですから」
「半世紀前のベータさんとドクターケイの戦いとか、絵物語としては良いと思うんだけどさ」
自分の核となる万能鉱石を動かし続けるため、手当たり次第に人々に力を貸して治安を悪化させたベータとシルキーテリア家の人間になったケイの戦い。
その一連の事件は、本当に聞いているだけで面白かった。ストライダーというものを知ってもらうには絶好の物語だ。
「ふふっ、あれですか。あの頃は本気で帰還が至上目的でしたから。ニコのようなマスターも得られていませんでしたし」
「動けなくなるんだよね、人間の意思を注ぎ込まれ続けていないと」
「ええ、万能鉱石は適合者にしか動かせません。65年前には無理やり人間をかき集めていましたが、100人いてもニコ1人に及ばなかった」
完全に独立したアンドロイドという訳ではないのだ。電力で動くわけでもない。
……しかし、65年前の地球にこんなものがあったなんて本当に信じられない話だ。
「そういえば他の身体は? ひとつの意識で複数の身体を動かしていると聞きましたけど」
「修理中です。貴女とケイにかなり壊されてしまいましたから」
「……それは悪いことを」
戦闘用の身体も両腕両足を破壊してしまったものな。
こうやって落ち着くともったいないことをしてしまったかもしれない。
「いいえ、ニコレットを救ってくれたのです。文句などありませんよ。
いや、できれば勝ちたかった。貴女に負けたくなかったとは、思っています」
怜悧に笑うベータさんの中に人間性を垣間見る。
負けず嫌いという感情を持ち合わせているのだから、やはり随分と人間らしく造られているのだ。
「ふふ、今やれば勝てるかもしれませんよ」
「どうして?」
「……たぶん、慈悲の王冠を起動できないから」
試してはいないけれど、今はもう然るべき時ではない。そんな気がする。
「ふふ、なら雪辱戦と行きましょうか」
スッとベータさんに背後を取られる。
後ろから優しく抱きしめられて、少し抵抗してみたけれど腕が異様に重い。全く動きやしない。
「……あたたかいんですね、ベータさん」
「ニコレットに熱を与えられていますから」
「どうなんですか、地球への転移という目標を失ってから」
ニコレットという人の意思や欲求がベータというアンドロイドの動力源だというのなら、彼女の望むものが変わって何か変わったのだろうか。
ふと、そんなことが気になっていた。
「渇き切っていた彼女もだいぶ満たされているように思います。けれどそれは目的が満たされた結果としての停滞ではない」
「ふふ、だろうね。あの手の人間は求めていたものが手に入ったときにこそ次の目標を見つけると思う」
そろそろ次の研究テーマを見つけている頃合いなんだろう。
分野こそ違えど、なんとなく分かる気がする。
あの手の好奇心の塊みたいな人間は、望む環境を手に入れたくらいでその歩みを止めることはない。
「――あら、お邪魔だったかしら。クリス? 随分と私のベータと仲良くなってみたいだけれど」
「とんでもない。貴女が本命ですよ、殿下。今日はボクの取材に応えていただけるんでしょう?」
「ええ、ごめんなさいね。遅れてしまって」
ボクを抱いていたベータさんがスッと離れる。そしてニコレット殿下にコーヒーを用意した。
「ありがとう、ベータ」
「いえ、それでは私はこれで――」
「ん、夕食は一緒に、ね?」
ごく短い間に交わした2人の笑みに仲の良さを思い知る。
「研究が長引いたんですよね? 今日は」
「ええ、ちょっとジェフの奴がいるうちに話し合っているのよ。”複数人から魔力を供給できる機械魔法”を」
……ああ、交渉の時に彼が話していた技術か。
「死なない程度に魔力を取り出すって奴でしたよね?」
「そう。集めた人間から少しずつ魔力を拠出してもらう。これで人命を奪わずに大規模魔法が起動できるようになるってわけ」
「……それが、ジェフリーさんの発想」
ボクの言葉に頷くニコレット殿下。そして彼女は”つくづくあいつは天才ね”と続けた。
……ああ、本当に天才だと思う。ボクが思いついていた機械魔法の発展図なんていうのは、所詮はスカーレット王国の”地球化”に過ぎない。
あの世界で機械という技術がどう広がっているのかを知っているから、それと同じことが起きるだろうと考えていただけだ。
けれど、凄いな……これが現地人の発想か。”誰でも使える魔法”というものを束ねて魔法時代にしかできなかった”大規模魔法”を引き起こそうだなんて。
「――でも、良いことばかりでもないわ。万能鉱石が壊れてしまって分かったことだけれど、あれは単純な動力源じゃなかったみたい」
「動力を他で用意すれば、鉱石なしでも転移は可能ってのが以前の話でしたよね?」
「うん。ジェフもバトーも、いいや、ケイでさえそう考えていたわ。けれど、実際は違った。ベータの空間転移と同じように”あの万能鉱石”の力だったみたいなのよ、地球への転移って」
ベータさんの核になっている万能鉱石の特性として、暗黒空間を潜っての空間転移がある。
それと同じようにあの転移装置の核だった鉱石の特性として異世界への転移があったということか。
「となると、地球への転移技術の確立は……」
「かなり時間がかかるわね。けれど貴女のお父さんは持っているのよね? 世界間転移を固形化した魔術式を」
「……そう、ですけれど、それは再現不可能だって」
――いいや、違う。大規模魔法が再現可能になったのならば、あとは術式自体を真似ればいいんだ。
魔力量の不足というネックは解消されていくんだ。
「もしもお父さんに再会できたのなら、1個くすねておいてくださるかしら? 世界間転移の魔術式を」
「……もちろん。まぁ、いつになるかは分かりませんけれどね」
「そうね、地球にいるのよね、今は――」
ニコレット殿下の言葉に頷きながら、ボクは考えていた。
ここからの取材、何をどう進めていこうかを。世間話のつもりで始めた話が、あまりにも興味深かったから。
本当にシルキーテリアの機械魔法使いたちはこの世界を変えていくのかもしれない。ボクの推測を大きく超える形で。
「――ちなみに今の話、どこまで書いても良いですか?」
「んー、しばらくは伏せておいて欲しいわね。まだ他に嗅ぎ付けられたくはない」
「承知しました。じゃあ、これとは別の話を聞いても?」
こちらの問いに頷く殿下。
「では、機械魔法と政魔分離の原則について、思うところを聞きたいのです」
「ふぅん? その論題に一石投じるつもりなのかしら」
「そうなりますね。現に貴女が第一号だ。機械魔法に手を出したがゆえに領主と領主の親になる可能性を失ったのは――」




