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第16話

 ――あれから1週間だ。

 慈悲王様が眠る海上霊廟が、ドラコ・ストーカーに襲撃されて1週間。

 そして、ボクがベティちゃんとグリューネバルトの屋敷で暮らすようになって1週間。


「クリスは、どう思っているの? こういう風に私と一緒に朝ご飯、食べてること」


 黄金色の瞳が、ボクを見つめている。

 あれから1週間、未だにベティちゃんの記憶は戻っていないし、いくつもの資料を見せてもらったけれどベティちゃん含め8つの遺体についての決定的な情報はない。

 それなりの論文を書ける程度の情報しか、ボクは見つけられていない。


「嬉しいさ、とても。

 そうじゃなきゃ、君をさらおうってしまおうか?なんて、言わないよ」


 動きがないのは、ドラコ・ストーカーも同じだ。

 ”慈悲の王冠”を奪ってから1週間も経つのに、あのビルコ・ビバルディは何の動きも見せていない。

 そして、生誕祭まで残り数日だというのに、グリューネバルト領軍は王冠を取り戻せていない。


「――お嬢さん方、甘いものはどうかな?」


 朝食を食べ終えたタイミングを見計らったように、食堂のおじさんがデザートを持ってきてくれる。

 混み合う時間には全くないサービスで、ボクらは何度か貰っています。


「ありがとうございます、おじさん」

「ふふ、ただのまかないさ。ゆっくり食べてくれ」


 白みかんのタルトを食べながら、紅茶に口を付ける。

 昼にさしかかりそうな朝に、食後のデザートを食べながら、ゆっくりする。

 こういう贅沢こそ、人生の醍醐味というものでしょう。


「ベティはさ、どんな食べ物が好きだったの?」

「んー、レッドフィッシュかな。一昨日のおさしみ、おいしかった」


 うーん、こういうなにげないところから、記憶を取り戻してくれないかな?と思ったけど、やっぱりダメか。

 こういう細かい真似を繰り返しては、効果なしなのだ。


「ねぇ、クリス。そろそろ”ろんぶん”というのが終わるんでしょ?」


 目を輝かせて、首を傾げるベティちゃん。


「うん、どこかに遊びに行こうか? ごめんね、籠もってばかりでさ」

「本当よ、ずっと本とばかりにらめっこして。退屈だったわ、退屈」


 ふくれっ面をするベティちゃんが、とてもかわいい。

 ボクは兄に育てられる側だったけど、あの人からボクは、こういう風に見えていたのかな?

 ここまで可愛くはなかったのかもしれないけど。


「ハハ、ごめんね、そういう性分でさ」

「ふぅん? 別にクリスが好きなことをしているのなら、良いのよ?」


 良いだなんて、思ってなさそうに”良い”と言う。


「ふふ、そう言わずにさ、ボクと遊ぼうよ? ベティ」


 今からどこに行こうかな、そんなことを考えながら、紅茶を飲み終えようとしていました。

 そんな時のことです。このグリューネバルトの館が急に”騒がしく”なりました。


「なに……?」


 怯えたような表情のベティ。そんな彼女の表情を見ると、ボクは逆に引き締まる。

 ボクだって、こういう音には慣れていないし、少し前ならベティちゃんと同じような表情をしていたはずだ。

 けど、今は違う。この娘がいる。ベティの前でくらい、ボクは頼れるお姉さんで居たいんだ。


「――ほう、領軍の凱旋だね、これは」


 食堂のおじさんがボソリと呟く。その瞳は真剣そのもので、おじさんではなく、お兄さんに見える。


「凱旋ってことは、ドラコ・ストーカーに、勝ったという事ですか?」

「さぁね。ただ、このホラ貝の音は”勝利”を知らせる音色なんだ」


 少なくとも喧伝するくらいの成果はあるというわけ、か。

 ……しかし、あの”転移”の使い手ビルコ・ビバルディが率いるドラコ・ストーカーを相手に、どうやって勝利を収めたというのだろう?


「どうしたの? クリス。難しい顔、してる」

「いや、ビルコは転移魔法の使い手だったでしょ?

 だからさ、普通に考えれば、あいつらの基地は”竜帝国”にあるはずなんだ」

 

 ボクの言葉におじさんが身を乗り出してくる。


「お嬢ちゃん、君もそう思うかい?」

「ええ、だって”転移”ですからね。何かしらボクらの知らない制約がない限り、一番安全なところから好きに動きますよ」

「奇遇だねえ、俺もそう思ってたんだ。だからさ、妙なんだよな、ここで”凱旋”だなんてさ」


 ニヤリと笑うおじさん。その腹の中では、いったいどんなストーリーが組み立てられているのでしょうか。


「……見つけ出せないはずの敵を、見つけて、それに勝ってきたってこと?」

「ああ、そうだよ。ベティ。竜帝国ドラゴニアの位置は知っているかい?」

「ええ、最北の局地でしょう? ただ、ドラガオンだけなら別にどこにいてもおかしくないんじゃない?」


 ――竜帝国を最北と言い、ドラガオンがどこにいてもおかしくないと言う。

 これは、明らかに現代スカーレット王国民の”常識”ではない。

 やっぱり彼女は、ベティという少女は、300年前・魔法時代末期の人なんだ。


「そうだね、ドラガオンが魔法王だなんてのも、珍しくないもんね?」

「ええ、だからドラコ・ストーカーなんて言っても、所詮は”こっち側”で領土が欲しいドラガオンの互助組織でしょ? 転移を使えるからって帝国に土地を持っていないことも考えられるわ」


 ――ほう! そっか、今の”ドラコ・ストーカー”は、スカーレット王国内に巣くう竜帝国ドラゴニアの密偵組織だ。

 けど、300年前、いや、魔法王たちの時代におけるドラコ・ストーカーは、またその有り様が違ったんだ。

 しかし、そっか、竜魔法王を目指すドラガオンたちの互助組織として機能してたんだ。へぇ、面白い、面白いなぁ……。


「だって、あのヘイズだって、ストーカー出身だけど帝国との繋がりは殆どないじゃない」

「ヘイズ?」

「そう、ヘイズよ。私たちを、支配する、あの竜魔法王……」


 ヘイズ――ベティちゃんを支配する、竜魔法王? なんだ、それは?

 竜魔法王という存在自体は、別に魔法時代末期でも珍しいものじゃない。

 それどころか、後期から末期にかけてが最も多かったと言われているのが竜魔法王――”魔法王として領地と領民を抱えたドラガオン”だ。

 けど、慈悲王様の王国で暮らしていたはずのベティちゃんが、支配されていたというのは何だ? どういう記憶なんだ?


「……いや、違う。倒した、ヘイズは、倒し、倒されたんだ」


 ベティの表情が歪む。額に滲む脂汗に、こちらの背筋が冷える。


「ベティ! ボクの目を見て」

「……クリス?」

「そうだ、クリスだ。ベティ、息を吐いてみようか、深く、深くだ」


 震える肩を掴み、視線を合わせ、息を吐かせる。

 そして、吐ききった息を吸う。それを、見届ける。

 よし、落ち着いてきたな……。


(……しかし、ようやく”記憶”が戻り掛けたと思ったら、これか)


 竜魔法王ヘイズに支配されていた。ヘイズは倒された。

 その言葉だけで、何かを調べるきっかけにはなる。借りている資料を見返すか、落ち着いて記憶を辿れば分かるかもしれない。

 ボクだって、全く聞き覚えがないってわけじゃないんだ。けど、目の前で、震えているベティを見ていると、そんなものを冷静に思い出している余裕なんてない。


「ねぇ、クリス……私、生きているの……?」

「もちろん、生きているよ。心臓がさ”どくん、どくん”って言っているだろう?」


 なんだ? いったいなんなんだ? どうして、どうして生きているかどうかなんてことを疑問に思う?

 今、ここにいて、ボクを抱き返してくれているのに。確かにここにいることを、どうして疑うんだ?


「ええ、そう、そうね……生きてる、私は、生きている……」


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