第20話
「――やめなさい、エルハルト。ただ現場に居合わせただけの人間に、貴方が本物かどうかなんて見抜けるはずないじゃない」
領兵の1人に詰め寄っていたエルトさん。彼を遮るように女性の声が響く。
凛と透き通るような強い女性の声が。
「で、殿下……! 傷はご無事で……?」
「ええ、私はかすり傷に過ぎません。……私の友が迷惑をかけたようね、持ち場に戻って構わないわ」
スッと領兵さんとエルトさんの間に割って入るロングスカートの女性。
歳はボクらと同じくらい、いや、少しだけ上なんだろうか?
「それとこいつに何も教えなかった貴方の行動は正解よ。そして無碍にあしらわなかったことにも感謝しているわ、これでも私の友人だから」
「――おいおい、酷い言い草だな。君の頼みを聞いてあげた友に向かって”これでも”とは」
「なら貴方も他人の家の人間に不躾に話しかけるのはやめてもらってもいいかしら? すっかり委縮してしまっていたじゃない」
去っていく領兵さんを見つめながらロングスカートの女性がエルトさんに視線を向ける。
黒髪に黒い瞳、別になんら珍しい訳じゃないんだけど、なんだろう。
こういうシンプルな髪と瞳をした貴族様を見たのは初めてのように感じる。
「ふふっ、ごめん。只事じゃないと思ってね――実際そうなんだろう? 大丈夫かい? その腕」
「ええ、あと数刻もないうちに神官様からの加護をもらうわ。これはそれまでの気休めみたいなものよ」
……神官の加護を用いなければ治せないなんて只事ではないんじゃないか。
この縛り方は腕が折れているように見える。
「――まずは礼を言うわ、エルト。貴方を見込んだ甲斐があった。
そしてジェフ、貴方には謝罪をしなければならないわね。怒っているんでしょう? 私のことを」
「自覚はしているようだな……」
漆黒の瞳がジェフさんとすれ違い、そしてボクが手を握るシェリーさんと向かい合う。
「よく、来てくれたわね。シェリー……」
「――呼んだんでしょ? 私が必要だって、他ならぬニコが」
ニコ、やはりそうなんだ。この人がニコレット・シルキーテリア。
エルトさんにシェリーさんを連れてくるように依頼した貴族、ジェフさんたちの幼なじみ。
「そう、呼んだ。私が……ごめん、こんな歓迎になってしまって」
「何があったの? 教えてくれるよね」
「……その前に、場所を変えましょう。ここは人目につくから」
彼女の導きに従い、ボクらは招かれる。シルキーテリア家の応接室へと。
「お嬢様――」
「――いつも通り、いいえ、最高の待遇で。彼らは私の友人だから」
「承知いたしました」
クラシカルな礼装に身を包んだ侍女さんにニコレット殿下は耳打ちをする。
そして、その準備が整う前にボクらをテーブルにつけた。
「――本題に入る前に自己紹介が必要なようね。私はニコレット・シルキーテリア、このシルキーテリア家の三女。
エルトとは社交会での知り合い、サーヴォの2人とは幼なじみといえば通じるかしら?」
5人もいるこの空間、眼前の貴族様はボクだけを見つめていた。他ならぬボクだけを。
「ええ、聞き及んでおります。ニコレット殿下。
私の名前はクリスティーナ・ウィングフィールド。シェリーさんの友人兼護衛役です」
「護衛……? 魔術の嗜みが?」
ニコレット殿下の確認に対し、首を横に振る。
「魔術師ではない、護衛役……?」
「――そいつは”死竜殺し”だ。グリューネバルトの一件、知らない訳ないよな?」
「ッ……! たしか、古の竜魔法王を殺した英雄……なの? 彼女が……?」
首をかしげるニコレット殿下。
なるほど、この反応もまた慣れたものだ。
「信じられませんか? それでも構いませんよ、追い出されたりしない限りは」
「しないわ。シェリーが追い出せって言わない限りは」
「ふふっ、言わないよ。そんなこと」
シェリーさんの眼を見て、頷くニコレット殿下。
これでボクのことは信頼してもらえたらしい。そのことにホッと肩を撫で下ろしたくらいのタイミングで、先ほどの侍女さんが紅茶を用意してくれた。
所作の全てに無駄がない洗練された動きで。
「ありがとう、ベータ。下がっていいわ」
「分かりました。神官様が到着したら伝えますので」
「ん、よろしく」
出された紅茶に口を付ける。
ミルクティーに仕立てられているけれど、これに使われているミルクはかなり良いものなんだろうな。
風味が段違いに良い。
「――それで良い加減、本題に入ってくれても良いんじゃないか? このままじゃ僕がジェフにかみ殺されそうだ」
「ふふっ、そうね。別に隠すことでもないし、隠せることでもないわ」
そう言いながらニコレット殿下はスッと一口、紅茶に口を付けた。
そして深い深い溜め息を吐いた。
「事の発端は今から数刻み前、私たちが乗ろうとした馬車が襲われた」
ッ、やはりそういうことだったか。そうだと思ってはいたけれど。
あの黒焦げになったシルキーテリア家の馬車を見れば分かることだ。
「御者と馬に被害はなかった。私も片腕だけで済んだ。もがれなかったのは幸運ね。神官に何とかしてもらえる程度なのは」
「――いるんだろ? 無事じゃなかった人間が」
ジェフさんの瞳がギラリとニコレット殿下を射抜く。
そうだ、あの領兵さんの反応を見ていれば分かる。誰かが無事じゃなかったことは。
「そう、ね……そう……」
「誰だ? 誰が、どれほどの怪我を負った……?」
「怪我ね……怪我なら良かったのに……」
ッ――悲痛なニコレット殿下の言葉が胸に刺さる。
「死んだわ、遺体も残らなかった。殺されたのよ――ドクターケイが」




