第14話
『――ボクも行きますよ。これで戦力は3人になります。タンミレフトの英雄が2人に、グリューネバルトのが1人だ』
まず、エルトがニコの奴に乗せられて姉さんをシルキーテリアに連れて行こうというのが気に入らなかった。
シェリー姉さんがそれに乗ってしまったこともそうだ。なぜ姉さんがそんな危険を負わなきゃいけないというのだろう。
ギルドとテリアの連中が潰し合ったってそんなの、究極的に言えば姉さんには関係のないことだ。貴族でもない姉さんが命を張る場面じゃない。
『……だ、ダメだよ! クリスちゃんは関係ない!』
『ダメじゃない。ボクは貴女に借りがある』
『借り……? そんなのないよ、私、クリスちゃんにそこまでしてもらうようなこと、何も!』
姉さんがクリスという少女を止めたがるのは当然だった。
”死竜殺しのクリスティーナ”なんて言う仰々しい異名はともかく、今、俺たちの目の前にいたのはたった1人の可憐な少女だ。
とてもじゃないがドラガオンを殺すほどの実力者には見えない。
『――おっと、忘れてもらっちゃ困りますね。ボクはあの時のジュースのお礼をしていない』
『そ、そんなこと……気にしなくて良い、良いんだよ……?』
『ボクが気にするかどうかはボクが決めます。ジェフリーさんも異論はありませんね? シェリーさんが行く以上、戦力は1人でも多いほうが良い』
ッ、どうして俺はあの時、頷いてしまったのだろう。
あれに頷けばシェリー姉さんがシルキーテリアに戻るということが確定してしまうと分かっていたのに。
(……姉さんの意思を曲げられないって、分かっていたから、だよな)
苦々しい思いを抱えながら、俺はコーヒーを口にした。
「――戻るんだね? シェリーも連れて、シルキーテリアに」
アカデミアの中にある個室の喫茶店、その中で俺はトリシャと向かい合っていた。
シルキーテリア領への出発を明日に決め、一時解散したからだ。
とてもじゃないがあの中の誰といてもシェリー姉さんを止める方向に話を進めたくなってしまうだろうし、それが徒労に終わることも分かっていた。
だからシルキーテリアに着いてからの行動の指針を決めるため、俺はトリシャに向き合っていたんだ。
「ああ、エルトの奴に丸め込まれた。ニコの差し金だ」
「たっく、あの娘も食えないね、相変わらず」
「……冗談じゃねえぞ、なんのためにケイが姉さんを逃がしたと思ってんだ」
こちらの言葉に薄い笑みを浮かべるトリシャ。
「けれど逃げてるだけじゃ解決にならないってのは自覚しているんだろう?」
「だから俺がケイと一緒にギルドをぶっ潰してやろうとしたのによ」
「残念ながら、それじゃあシェリーの判断の方が賢明だ」
……トリシャの正論に腹が立つ。
「だけどよ……」
「分かってる。かなり危ない綱渡りだ。本当なら私が着いていきたいくらいで……」
「――自警団となんかやってんだろ? それに論文の締め切りも近いって言ってたじゃねえか」
教授職が多忙というだけなら無理してでもこいつの戦力も欲しい。
人智魔法使いでありながら機械魔法使いでもあるトリシャ・ブランテッドの戦闘力は破格だ。俺より数倍強い。
けど、今のこいつはアカデミアの中で自警団と共に何かを嗅ぎまわっている。何かを調べているんだ。
「……気づいてたかい?」
「何かをやってるってとこまでは。けど、細かい話はしないでくれよ、俺は関わりたくない」
「ふふっ、アンタらしいね。お気遣いありがとう」
……別に、気遣ったわけじゃない。
単純にもう一線を越えたような厄介ごとにはかかわりたくないってだけの話だ。
「……同行できない身で悪いんだけど、いくつか忠告をさせてほしい。
まずはケイとすぐに合流しな、これは絶対だ」
「分かってる。当たり前じゃないか」
トリシャの言葉に答えながら、コーヒーを口にする。
「次にシルキーテリア家を信用するな、ニコレットも含めて」
「それも分かってる。エルトだって信用ならねえよ、今回は――」
「……本当に分かってるかい? アンタ、なんか変なところで甘ちゃんだからさ」
……余計なお世話だ。けれど胸に刻んでおこう。
今回の事件に限っては。
「だから絶対にシェリーから目を離すんじゃないよ? アンタかクリス、常にどっちかが一緒にいること」
「肝に銘じておく――」
俺かクリス……そう、クリスだ。
クリスティーナ・ウィングフィールド、トリシャの旧友の娘。グリューネバルトの英雄、死竜殺し。
いったい何なんだあいつは。どうして死地と分かっているシルキーテリアへの旅に同行する? 何を考えているんだ。
「――にしてもよ、トリシャ。クリスってのはいったい何なんだ?」
「何ってのも漠然とした話だね?」
「どうしてあいつは俺たちと一緒に来るんだ? ジュースの借りがあるとか言ってたけど、銭貨1枚だぞ?」
とてもじゃないが釣り合わない。あんなのただのカッコつけに過ぎない。
「さぁね。ただ、そういう女だったらしい。私も知らなかった」
「旧友の娘、なんだろ?」
「ふふっ、あいつの親父はクリスほど義理人情のある人間じゃないさ。ない訳でもないが、少なくともあの娘ほどじゃない」
昔を懐かしむトリシャの表情が、なんだか妙に美しかった。
本当に色んな事を思い出しているみたいで。
「……グリューネバルトの坊ちゃんからクリスのことを聞いたときには驚いたよ。
あの娘、あの慈悲王の”支配の魔術”を乗り越えて戦場に戻ったんだってさ」
「は……? 慈悲王だろ……? あの古の魔法王なんだろ……?」
あんな魔法も使えないただの人間が抗ったというのか? 魔法というものが最も洗練されていた時代を生きた王の魔法を。
「そうだ。慈悲王の”アカデミアに帰れ”って支配を打ち破ってまで守ったんだってさ、慈悲王を、グリューネバルトを」
……つくづくとんでもない奴が味方についているんだな、今。
「きっとクリスのことだ。好きになったんだろうさ、慈悲王のことを。あいつが慈悲王のことをベアトって愛しそうに話しているのを見るとよく分かる」
「好きになったからって戦うのかよ、死竜相手に」
じゃあ、クリスが味方についてくれているのは好きになったからなんだろうか。
シェリー姉さんのことが。たったそれだけのことで、目の前の危険に飛び込むというのか?
「そういうアンタは金のために戦ったじゃないか」
「知らなかった。死竜がいるなんて」
「でも死都にもう一度飛び込んだのは金のためだろ?」
トリシャの言葉に頷きつつ、話題を変える。
「なぁ、クリスってどうしてアカデミアに来たんだ? どういう事情があった?」
「……旧友に世話を頼まれた」
「それを詳しく教えろって話をしてんだぜ? あいつ、さすらい人どころかストライダーズ・ギルドの存在さえ知ってた。まともな知識量じゃない」
別に絶対的に情報が伏せられている訳じゃないが、あの秘密主義の組織が文献に出てくる機会はかなり少ないはずだ。
専門にそれを扱っているような分野も存在していない。機械魔法の源流がさすらい人の技術であることさえ、知っている人間はごく一握り。
なのに彼女は知っている。さすらい人のことも、ギルドのことも。ましてや、あちら側の世界のことについても。
「――悪いが、詳しい話は教えられない」
「どうして?」
「本人から聞きな。私が話したら口の軽い女だと思われちまう」
クリスからの信頼を失うということか。
……まぁ、当たり前の範疇ではあるんだが、本当にこいつクリスのことを大事にしているよな。
グリューネバルトからの一報を聞いたときの青ざめ方は尋常じゃなかった。
「……分かったよ、ケチ」
「ケチで結構、アンタだって口の軽い女は嫌いだろ?」
トリシャの言葉に頷く。
……こいつも知っているんだ。シェリー姉さんの”魔力を見てしまう”という体質のことを。
ましてやアカデミアの教授サマだ。何度シェリーの力が欲しいと思っただろう? それなのにシェリー持つ力のことは誰も知らない。
トリシャという女はそういう義理堅い女なんだ。
「まぁ、アンタの口の堅さには本当に助けられているよ。感謝してる」
「やめなよ、照れくさい――」




