第5話
――しかし、美女と事件というのはセットでなければならないのだろうか。
思ってもいなかった。あんなに純真でグイグイと人に働きかける柔らかな女性シェリー・サーヴォさんが狙われているだなんて。
いったい誰に、どんな理由で? それを聞きたいと思った。けれどトリシャ教授の研究室は本人不在で鍵がかけられてしまう。場所を、変える必要があった。
「……どこ、行こうか? トリシャのおうち?」
「いえ、少し遠いんですよ、あの人の家。近くに良い場所を知ってます」
「良い場所?」
そう尋ねてくるシェリーさんの表情はどこかぎこちない。
……狙われているという話、ボクに知られたくなかったんだろうな。
まぁ、それもそうだろう。自分が危ないと知られれば変に距離を取られると思うはずだ。
「ボクの行きつけのお店です。あそこには人もいない」
「……人のいないお店なの?」
「ええ、ガラガラです。だから内緒話にはもってこいなんですよ」
いつぞやか、トリシャ教授を誘おうと思っていた店だ。
ボクがアカデミアで見つけた行きつけのお店。気まぐれなマスターとその妹さんが2人で切り盛りしている。
今の時間帯なら恐らく一番客がいない。
「――いらっしゃいませ。クリスちゃん」
「どうも、マスター」
「新しいお客さんだね、ようこそ私のお店へ」
マスターの言葉にシェリーさんは簡単に頷く。
「今日は何にする?」
「んーっと、奥の箱席つかっても大丈夫?」
「構わないよ」
マスターの了解を取る。個室ではないけれどカウンター席よりも話が漏れにくいはずだ。
この人がペラペラと客のことを話すとは思っていないけれど。万が一、他のお客さんが入ってくるということもある。
「それで注文なんだけど、さっきまで紅茶飲んでてね」
「紅茶は嫌だってことかな?」
「うん、おすすめで頼むよ」
こちらの無茶な頼みに簡単にうなずいてくれるマスター。
そうして区切られた席に座ったボクらの前に2つ、ホットミルクが用意された。
「ほんのり甘いホットミルクはいかがかな? クリスちゃん」
「えへへ、良いね……ありがと、マスター」
「いえいえ、それではごゆるりと――」
そう言ってマスターが厨房へと戻る。
ボクは、シェリーさんと向かい合った。
「……綺麗な銀髪だね、あの人」
サングラス越しに、シェリーさんの瞳がマスターを見つめていた。
「うん、ボクもそう思います。本人は”若白髪”なんだって言ってましたよ」
「気苦労、多いのかな。お店やってると」
簡単に笑い合いながら、場の空気が冷え込んでいくのが分かる。
それもそうだ、これからボクらは本題を話すんだから。
「それでシェリーさん、狙われてるって誰に――?」
「……クリスちゃんって”さすらい人”って知ってる、かな」
さすらい人、か。
「このスカーレット王国に”どこか”から流れてきた人たち。神隠しの逆みたいなものですよね」
「そうそう。なんだっけかな”鉄と煙の国”から来てしまったってよく言ってる人たち」
……だいたい知ってる。
こことは違う世界からこちらに紛れ込んでしまった人々。それが”さすらい人”だ。
「その”さすらい人”がシェリーさんを狙っているんですか?」
「……いいや、正確にはその可能性があるって話かな。まだ明確に狙われてるわけじゃないよ」
「いったい、どうして……?」
さすらい人に狙われるって相当だぞ。彼らは基本的には、不慮の事故でこちら側に来てしまった人たちだ。
ごく一部を除いてスカーレット王国の人を狙って危害を加えたりしない。
「――私が、鍵らしいんだよ」
「鍵……?」
ホットミルクが冷めていくのを感じた。飲み物なんて飲んでいる余裕はなかった。
「あちら側、さすらい人の国へ帰還するための転移装置。それを起動するための鍵が、私なんだって」
「えっ、どうして……?」
「それは私にも分からない。神官さんや魔法使いが、どうして自分がそうなのかを知らないように」
確かにシェリーさんの言うとおりではある。
魔術師というものが、自分がなぜ魔術師なのかを知らないように、シェリーさんだって自分がなぜ鍵なのかは知らないだろう。
でも、これは知っているはずだ。今からボクが聞く、このことは。
「じゃあ、質問を変えます。どうしてシェリーさんは自分が鍵だと知っているんですか?」
「……んーっと、付き合ったからかな。実験に」
実験……? というと、転移装置に関する実験なんだろうな。
けれど、どういうことだ? シェリーさんの近くにはそういうものを実験している人がいるということか?
「クリスちゃんってさ、ドクターケイって知ってる? トリシャから聞いたりしてる?」
「いいえ。教えてもらっても良いですか? ボクは何も聞いていない」
ようやく、一口ばかりホットミルクを口にする。
ぬるい牛乳に少し、気分が落ち着いてくる。
「ドクターケイってのは、シルキーテリア領にいる一代限りの土地持ち貴族。
65年前にこっちに来た”さすらい人”なんだよね」
「……65年前?」
なんて、途方もない時間を、こっちで過ごしてきたんだろう。
故郷にも帰れず、人生の全てじゃないか。そんなの。
「うん。そうして長い間シルキーテリアのお抱え魔術師をやってる凄い人。
彼が今、開発しているのが”転移装置”で、ちょっとだけ私も手伝ったりしてたの」
「それがきっかけで、貴女が鍵だと分かってしまったということですか」




