第2話
――それは、とても暑い夏だった。海岸線沿い、南の楽園で過ごした暑い夏。
そしてそこから続いたほんの少しの延長戦。学術都市アカデミア、その設立を辿る冒険。
結局のところボク達3人は、その答えにまで辿り着くことは出来なかった。
けれど、純に知的な好奇心を満たすだけの時間は本当に、至福の一言だった。
「へぇ、新作は”梨”なんだね」
季節は秋、涼しげな風が吹くようになってしばらく。
アカデミアの一角に設置されている”ジュース販売機”のラインナップも変わる。
……梨か。随分と食べていない果物だ。なんて思いながらボクはそれを買おうとした。
「むむっ……銭貨がない」
ちょうど良い銭貨を使い果たしていたみたいで、財布には紙幣しかなかった。
どこかで買い物でもして崩してくればいいだけなんだけれど、別にそこまでするほどの話じゃない。
梨のジュースを飲むのはまた今度にしよう。そう立ち去ろうとしていた時だった。
「ああ、これ! これがジェフリーの発明♪」
――サングラスを掛けた金髪のお姉さんが可愛らしい声を上げていた。
旅行者然とした彼女の姿に、アカデミアの人ではないことを察する。
それにアカデミアの人なら今さらこのジュース販売機に驚いたりしない。けれど、ジェフリーの発明ってのはどういうことだろう?
知っているのかな、これを造った人のことを。
「……ねぇねぇ、お嬢さん♪ 貴女いま、ジェフリーのジュース買おうとしてたでしょ?」
ボクがその人を見つめていたのは、完全な興味本位だった。
特に話しかけるつもりもなかったし、すれ違うより少し長いくらいの話だと思っていた。
けれど、話しかけられていた。それどころか見られていたんだ、ボクの方も。見ていただけじゃなかった。
「えっ、ええ……そう、ですけど……」
「じゃあ、ちょーっと待っててね♪」
そう言いながらサングラスのお姉さんは銭貨を入れる。
「何味?」
「えっ?」
「何味を飲もうとしてたの? りんご?」
「梨、ですけど……」
ボクがそう応えるとお姉さんは迷わずボタンを押した。そして続けざまにもう一度同じことをする。
2本の梨のジュースを掴みながら、1つをボクへ手渡してくる。
「あ、あの……貰うわけには……」
「どーして?」
「貰う理由がありません」
ボクは育ての兄に教えられている。人の頼みはタダでは受けるなと。
だからタダで施しを受けるのも嫌なんだ。それに見知らぬ人に奢ってもらうなんて気が引ける。
「いいや、あるね」
「どうして?」
「だって私が見たいだもん。そして感想が聞きたいの」
グイっと押し付けられる梨のジュース。それを受け取ってしまう。
……うう、こういうところで押しの弱さが出るか。久しぶりかもしれない。こう丸め込まれるのは。
「ど、どうしてです?」
「私がお姉ちゃんだから。これを造った奴の。そして近くに貴女が居たからだよ、理由はそれだけだし悪い話じゃないでしょ?
もう買っちゃったんだし、ぜひそれをグイっと飲んで味を教えて? あと、普段どんな感じなのかも聞かせてほしいなぁ。ここら辺の人なんだよね?」
本当にグイグイ押してくるな、この人……。
でも、良いか。弟さんか妹さんの活躍を知りたいというのなら、協力してあげたって。
「そ、そこまで言うのなら分かりましたよ。感想に期待しないでくださいね? ボク、吟遊詩人とかじゃないんで」
「良いよ、素直な感想を聞かせて! 不味いって言っても良いよ♪」
……言えるわけないじゃん。奢ってもらった相手に、そんなこと。
なんて思いつつボクはビンの蓋を開ける。その瞬間に漂ってくる芳醇な梨の香りに心が躍る。
これは期待できそうだなんて思いながら一口、舌で踊らせる。
「ん、おいしい……」
「おお、良い反応だねえ。じゃあ、私も一口……うん、おいしい♪」
満面の笑みを浮かべてるお姉さん。彼女に向かってボクは口を開いた。
「……聞きたいんですよね? 普段のこと」
「うん♪」
「じゃあ、座ります?」
近くのベンチにお姉さんを連れて腰を掛ける。
……サングラス越しにちらつく黄金色の瞳が美しい。
髪も瞳も黄金だなんて、本当に綺麗な人だ。どこかあの人を思い出す。
「これが出来た頃ってどんな感じだったのかな?」
「……すみません。ボクがアカデミアに来た頃にはもうあったんです」
「へぇ、じゃあ、貴女は春過ぎからアカデミアに?」
お姉さんの問いに頷く。
「春過ぎというか、夏の少し前くらいです」
「ふぅん、珍しいんじゃない? どうしてそんな時期に?」
「ちょっと色々ありまして……」
こちらの反応を見てニコリと笑うお姉さん。
なんというか”これ以上この話はしないから安心して?”と言われているみたいに感じる。
「で、これ見た時の感想どうだった? 凄いでしょ?」
「ええ、凄いと思いました。機械魔法というのはまだ新興の技術、拳銃でさえも広がっているとは言えない状況です。
その中で”自動販売機”を造って維持管理しているなんて本当に凄いなって」
ボクの言葉を聞いて目を輝かせるお姉さん。
「知ってるんだ? 機械魔法のこと」
「ええ、専攻している訳じゃないんですが、その、魔術史学科の人間でして……」
「魔術史学科の? じゃあ、トリシャの生徒さんだ♪」
――?! この人、トリシャ教授の知り合い、なのか……?
「あ、あの、貴女はいったい……?」
「私? 私はシェリー・サーヴォ。トリシャの一番弟子ジェフリーのお姉ちゃん♪」
トリシャ教授の一番弟子――その言葉でとある男の人を思い出す。
何度か見かけたことのある人、機械魔法の天才、トリシャ教授がいつも嬉しそうに話す男の子。
長い黒髪が美しくて、女の人みたいに見えて、それこそ目の前のこの人にそっくりな……
「ジェフリー、知ってます、ボク見たことある……」
「おお、そうなんだ! 弟がお世話になってます。お名前、教えてもらっても?」
「――クリスです、クリス・ウィングフィールド」




