第1話
「――つまり君は”日本人”だということか」
眼前、黒髪の青年が問う。
絹のように艶やかな黒髪、その下から血のように紅い瞳が射抜いていた、ボクを。
「難しい質問ですね……ボクも信じていたんです、自分が日本人であることを。
いいえ、少なくともボクの血筋と容姿は日本人のそれじゃない。それでも、日本で生まれたのだと信じていました」
日本で生まれた英国人。そう教えられていたし、そう信じていた。疑うこともなかった。
ただ、答えを知ってから思うのは、確かにボクはイギリスの土を一度も踏んだことがないということ。
母さんは一度も故郷に連れて行ってくれなかった。故郷のことを教えてくれなかった。
「……アカデミア入学の直前に、こちらへ?」
「はい。父さんの差し金です。案内人が来てくれて、ボクは”スカーレット王国”に辿り着いた」
「つまり言うなれば、王国生まれのストライダーって訳か。出戻りとはな」
彼の言葉に頷く。日本からの旅を支えてくれた”彼女”のことは今も鮮明に覚えている。
できることならば、アカデミアでの生活も一緒に過ごして欲しかった。そう思うほどの人だ。
けれど仕事を果たした彼女は去っていった。彼女の街へと。”夏休みには会いに来てくださいね”なんて言って。
(……ああ、悪いことしちゃったな。今年の夏は、あの事件に掛かりきりだった)
彼女のこと、そして事件を共にした古き王のことを思い出しつつ、グラスに注がれたブランデーに口を付ける。
脱線した思考を手繰り寄せる。
「……どうやってこちら側に?」
「一度目は覚えていません。物心つく前の話だったから」
「覚えているんだろう? 二度目は」
彼の問いに頷く。
「使い捨ての魔術式です。あの時はそういうものもあるんだろうくらいに思っていましたけれど、今となっては背筋が冷えます。その希少価値に」
「……だよな」
「見たことがあるんですか? 貴方も」
ボクの問いに頷く彼。その動きだけで絵画のように映えていて、つくづく美しい人だなと思う。
女性に見間違えそうなのに、垣間見える男性らしさがなんというか、色っぽい。色気のある人だ。
「人生で一度だけ。転移魔法のそれを」
「……魔法王時代にも確認されていないですよね、魔術式の固形化なんて」
「ああ、そんなもん確立できていたのなら”機械魔法”なんて出てくる余地はない」
魔術式の保存どころか魔力の保存さえできなかったから、魔法時代なんていう狂気の時代が生まれた。
乱立する魔法王がそれぞれに領民を抱えて、その死の瞬間をもって魔力を生み出す悍ましい時代が。
そうだ、魔力とは生きている人間からしか抽出することができない。それが魔法というものの最大の欠陥だ。
「……出所に心当たりは?」
「あるかよ、そんなもん。君の方こそどうなんだ?」
「ありませんよ、冷静になって考えるほど”あちらとこちら”の行き来を可能にする術式が固定化されていたなんて信じられない」
お互いにブランデーに口を付ける。場の空気が停滞した。
ならば、そろそろ切り出しても許されるだろう。
「――ボクはボクのことを話す」
「その代わりに俺も質問に答えろ、だったな――」
彼の瞳がボクを見つめる。同じ紅い瞳。なんとなくだけれど、親近感を覚える。
「ボクは、機械魔法の開祖をトリシャ・ブランテッド教授だと思っていました」
「そいつは違うな。技術というものがたった1人の天才から生まれてくるなんて話は存在しない。
あの魔法皇帝だって、やったのは神官聖術と人智魔法の分離だったように」
そうだ。神官時代、いや、教会時代というべきか、魔法時代前夜を破壊した”魔法皇帝”もまた、たった一人で魔法という技術を確立した訳じゃない。
一般的な浅い知識だと「魔法皇帝がいきなり魔法という技術を確立した」と誤認しやすいのだけれど違うんだ。
彼がやったのは、神官聖術を解体すること。当時は、魔術師も神官も全部ひっくるめて神官だった。女神の加護と自らの魔力を使う魔法の区別がなかった。
魔法皇帝は、漫然と混ざり合っていたそれを綺麗に分けてみせたのだ。そうして教会勢力を分断していった。
「その話は知っています。だから聞かせてほしい。貴方は機械魔法がどこから生まれたと思っているのか、それをどうやって知ったのか」
「……それこそ”向こう側”からさ。地球って言うんだっけ?」
「ええ、あの世界の総称としてはそれが正しいでしょうね。国はいくつもありますから」
人間国家であるスカーレット王国と、竜帝国ドラゴニアしか存在しないこの世界とは何もかも違う。
「そんな”地球”からもたらされた機械技術と魔法を組み合わせたのが”機械魔法”だ。
ストライダーの存在は大昔から観測されている。そいつらが散発的に持ち込んだ技術、それを体系化して発展させてるのが機械魔法さ」
「……では、トリシャ教授に知識を与えた”さすらい人”というのが」
彼女自身は地球の人間ではない。ボクの父と知り合いだから、その関係で地球への知識があってもおかしくはないけれど、あくまでそれだけだ。
「――ドクターケイ、約65年前にこちら側に訪れたストライダー。そいつがトリシャにとっての師匠だ。知っての通りな」




