第56話
――エルハルトからの誘い。俺がまだその答えを見つけられなかった頃。
あいつの誘いから数日が過ぎた頃。俺はあの事件以来、褒章の授与以来、初めて向き合っていた。あの女と、太陽神官リリィ・アマテイトと。
「今日は、お呼び立てしてごめんなさい――」
「――いや、構わないさ。除幕前の慰霊碑に招いてくれてありがとう」
全てが灰と帰したタンミレフト。そこに取り残された地下水道、その浄化作戦にリリィは掛かり切りだったと聞いている。
彼女を死地に送り込んで殺そうとしたバルトサールという男が死んだとしても、結局のところアマテイト教会の慢性的な神官不足は解消されていない。
だから死都を産み出した黒幕を倒した英雄に、その後始末までさせるのだ。彼女の顔からは疲労が滲んでいる。
「……あなたが死を悼む相手がいることは、知っていましたから」
「ああ、結局タンミレフトの生き残りの中にあの娘は居なかったからな……」
教会が管理していたタンミレフトの生き残りの名簿を調べてはみた。
だが、あのカフェテリアに関する名前はなかった。まぁ、彼女の名前を知っていればそういう調べ方もできたのかもしれないが、あいにくとそれを知ってはいない。
だからと言って彼女が生き残っていると思えるほどに、俺はおめでたい人間ではない。
「――女神よ、この場で召された魂に”安らぎ”を――」
あの時と同じように祈りを捧げてくれる神官リリィ。
彼女を見つめながら、俺もまた胸に手を当てる。黙祷を、捧げる。
千人単位の人間が死んだ。遺体さえ残せない方法で殺されて、全てを灰にするしかなかった。
――言葉で捉えれば容易い。数字にすれば所詮それは歴史に残る数の問題でしかない。
だが、忘れるな、ジェフリー・サーヴォ。眼前に広がるこの灰は、紛れもなく人々の命そのものだったのだと。
「……教会は、バルトサールの”動機”を掴めたのか?」
黙祷を終えて、俺はリリィに言葉を投げかけていた。
目の前に広がる灰と化した都市を見つめながら、隣に立つ少女に問いかけていた。
「バルトサールの目的は、10年前の政変を恨んでの”王国への復讐”だそうですよ」
吐き捨てるように呟くリリィ。
……なるほどな。彼女の表情に疲労が滲んでいるのは、これが理由でもあるのか。
信用ならない組織としての決定に従うのは、それだけで苦痛なのだから。
「お前、本当にそう思っているのか?」
「まさか。あり得ませんよ、あの人は悪人であっても馬鹿じゃない。王国への復讐なんて考えるような人じゃ、ありません……」
……これが初めてかもしれない。この女を、リリィ・アマテイトを見て、儚いとか脆いとか、そんな風に思うのは。
「……あの人は、この国を愛していました。
ライティカイネン家の没落だって、それが真に王国が下した正当な判断であったのなら、彼がそう思っていたのなら、この凶行は起こさなかった」
俺は、バルトサール・アマテイトという男をほんの一部しか知らない。
だから正直なところ、リリィがいったい何をもってバルトサールのことをこう評価しているのかは分からない。
けど、彼女とバルトサールは長い師弟関係だったのだ。俺の知らないあの男を、彼女はよく知っていて、だからこそ彼女は彼のことをこう評価している。
ならば、それに茶々を入れるのは野暮というものだろう。
「――お前がそう思うのなら、きっとそうなんだろうさ。あいつとは長い付き合いだったんだろう?
なら、あいつの最期の言葉が本当かどうか、分からないはずはない」
リリィとの死闘の中で、あいつは言っていた。
”10年前の政変”では”奴ら”の実行役をやらされ、リリィと共に戦った事件では政治ゆえに捜査を打ち切られたのだと。
あの怒りが本物なら、あの言葉が真実の言葉であるのなら、彼の復讐の矛先が王国であるはずはない。
「ええ、彼の言っていた”王国に巣食う者たち”というのが全くの偽りだとは思っていません」
リリィの瞳が鋭利なものへと変わっていく。
「――私は、再びあの時と同じ辛酸を舐めさせられている」
「捜査を打ち切られた一件か」
こちらの問いに頷くリリィ。
「教会は、確実に浮世の理論で動いています。女神の声を聴いているとは、思えない」
「身内がこんな凶行をやったんだ。その動機を掴めていないってことにはできない。そういうことだろ? だから安易なところに落とそうとしている」
「ええ、でしょうね。そしてそれ自体が、筆頭が憎んだ者たちを利する行為だ」
いつの間にか、リリィがこちらを向いていた。
ともに灰と化したタンミレフトを見つめていたはずのリリィが、こちらを真っすぐに見つめていた。
「――ジェフ、今、ここには誰も居ません。そうなる機会を測って私は貴方を呼び出した」
”なんだ? 2人きりになって愛の告白か?”なんて茶化そうとした。
けど、言葉に音は乗らず、虚しく息が零れただけだ。
「私は、貴方に聞きたいのです。ジェフリー・サーヴォ。
貴方が手に入れていたという”フランセルの日記”に、ランディールに奪われたそれに、筆頭が憎んだ者たちへの手掛かりは本当になかったのかを」
これは、確実に”ある”と思っている言い回しだ。俺が何かしらの嘘をついていると確信している。
だが、なぜだ? どうしてこいつは俺を疑う? 俺は一切、尻尾を出していないはずなのに……!
「あったのならとっくの昔に話しているさ。違うか?」
「ふふっ、貴方は用心深い男です。それにがめつくもある。情報の売り時を探している、あるいはこれ以上の厄介ごとに巻き込まれないようにしている。
いえ、本命は”アティーファ・ランディールへの義理立て”でしょうかね。彼女のこと、好いているんでしょう?」
ッ……!! バカな、俺が、アティへの義理を立てているだと?
そんなことがあるわけがない。誰が、あんな裏切り者のことを好くものか。
「なぁ……リリィ。お前言ってくれたよな、あの仕事に入る直前に。俺は逃げていいってさ。
あの時は逃げなかった。だが、今回は違う。……頼む、逃がしてくれないか? 俺はもう、あんな”一線を越えた危険”に巻き込まれるのは御免なんだ」
この言葉は、半分が打算で、半分が本心だった。
もう、御免なんだ。俺は金を貯めた時点で土地を買い戻して姉さんの元に戻る。
だから、死にたくない。過度な危険に、巻き込まれたくない。
そう思っているのは本心だし、リリィという敬虔な神官相手にはこの言い回しが一番効くと思った。
「ッ、あなた、それが私への情報提供だと分かって、分かって言っているんですね……?」
「……ああ、そしてお前はここで俺を深追いするような人間ではないんだろうという確信もある」
リリィの両手が俺の胸倉を掴み上げていた。
「――試して、みますか?」
「お前の、アマテイト様は、ここで俺を締め上げてでも情報を吐かせろというのか?」
「ッ……!! 女神がそう言わずとも、それくらいのこと、私には、やる覚悟がある!」
……嘘だな。本気でこいつがその気なら”胸倉を掴む”だけで済むはずがない。
既にこちらに殴りかかるなりなんなりしているはずだ。神官という存在にとって拷問はお手の物なのだから。
「――いいや、お前は一般人に手を挙げられるような女じゃない。あの時、俺を逃がそうとした女に、それはできない」
「知ったような、口を……いえ、そうなのでしょうね。……嫌な人だ。貴方が”何も知らない”という嘘を貫いてくれれば、私も諦められたかもしれないのに」
――彼女の言葉は誤認だ。俺が何も知らないとしても彼女が”バルトサールの動機の解明”について妥協することはありえない。
もしそうなら、そもそも最初から彼女はこんな手を打ってはいない。
「嫌な人か――初対面の印象通り、だろ?」
「ふふっ、いいえ。私が貴方を嫌いになったのは”今が初めて”です――」
――もしも、気が変わったのなら、あなたの知っていることを私に教えてほしい。私はいつでも、いつまでも待っています。
それが、この場において、リリィと交わした最後の言葉だった。
(ベースメント、オルガン……か)
リリィ・アマテイトという女に洗いざらいをぶちまけて、ベースメント・オルガンを追う。
そんな生き方も、あるんじゃないだろうか。奴らを追えば、リリィはバルトサールの復讐の真相に、俺は親父の死の真相に近づくのだろう。
そしてアティが殺しに来るはずだ。俺を、リリィを。そうすればまた相まみえることができる。あの女と。
不利益などない。ただ、そういう生き方しかできなくなるということ以外には。
エルトの誘いに乗って傭兵を始めるどころじゃない。リリィと共に実体さえ分からない組織を追うなんていうのは、本当に人生を捧げる戦いになる。
ましてやそれが、俺の親父を、バルトサールの家を、無数の貴族たちを没落させた”あの政変”を起こしたような連中だというのなら。
人生の全てを賭して、近づけるか――その前に、殺されるか。どちらにせよ、待つのは戦うことしかできない人生だ。
(……嫌だ、そんなの)
親父の死の真相なんて、サーヴォ家の復讐なんて、そんなのどうでもいいことだ。
母さんみたいになりたくない。あんな酷い顔で死んでいくのは嫌なんだ。
だから、帰りたい。姉さんのところへ。俺の人生は、あの狭い農地で終わるんだ。それ以外は、どうでもいい。
「シェリー、姉さん……」
ああ、貴女はもしかしたら怒るのかな。父さんの死の真相を掴めそうで掴めなかったこの俺を。
いいや、そんなはずはない。だって姉さんも、死にゆく母さんを見ていたんだから。
きっと姉さんなら、俺が生き残ったことをまずは褒めてくれる。それだけでいいんだよって、言ってくれる。
(ああ、会いたい……会いたいよ、姉さん……)




