第55話
――タンミレフトから帰還して1週間の時が過ぎた。
事件の黒幕がバルトサール・アマテイトであったことは既に公表されている。
だが、その動機は未だ不明ということにされていた。
「教会からの褒章とは、お互い凄まじいものを手に入れましたね。ジェフ」
こうしてエルトと喫茶店でコーヒーをやるのは、いつぶりだろうか。
俺たちが最初に入った店、その場所で俺たちはいつものようにテーブルを囲んでいた。
アマテイト教会より褒章を与えられた、その翌日に。
「ああ、おかげさまで解放されるまでにかなりかかった。良いのかよ、エルト。お前、色々と誘われていたんだろう?」
「その手の誘いは、明日以降に入れました。流石に1日くらい休みが欲しいんでね」
にこやかに微笑みながらコーヒーを傾けるエルト。
――俺は、アマテイト神官であるリリィに協力した水先案内人として、エルトはそんな俺という親友を助けるために無茶をした男として、どちらにせよタンミレフトの惨劇を解決した英雄とされた。
リリィ・アマテイトこそが最も持ち上げられてはいたものの、俺とエルトが得たものは大きい。
「しかし、身内の恥を隠す良い材料にされたな? 俺もお前も」
事件解決の英雄を大々的に讃え、ごく短い間に褒章まで用意する。
その目的はひとつだ。英雄を称えることで今回の黒幕から目を逸らさせたいのだ。
実際、その喧伝は功を奏している。まぁ、当たり前だろう。教会以上に情報を発信できる存在など数えるほどしかないのだから。
「構いませんよ、それで僕に利益がもたらされるのであれば」
「そう言うと思ったぜ。俺を誘いに来たアティの誘いに乗ったと聞いたときには何を考えているんだ?と思ったが、全て計算済みだったとはな」
「まぁ、7割くらいの確率で死ぬと思ってましたけどね」
笑顔を崩さずにそう言ってみせるエルトの表情を見つめる。
本気、なんだろうな。この男は。
「それでもこの名誉が欲しかったという訳か」
「……まぁ、ここまで上手く行くと計算していたわけではありませんよ。
ただ、こんな歴史に残るような事件に近づくこと、2度と無いかもしれない。そう思ったら食らいついていました。あの女傭兵に」
エルトの笑みから強い影が滲んでくるように見えた。
出会いの時、こいつは言った。学院生というものは野心の1つや2つはある人間ばかりだと思っていたと。
そしてこいつが抱える野心も聞いた。あの時はドラゴニアから民を守る力を、ドラゴニアから土地を奪う力をと言っていたが、どうもそう単純な話ではないらしい。
「どうだった? アティは」
「――良い女でしたね。信用ならないと分かっているのに不愉快さを感じさせない。あれが魔性というのでしょう」
「なるほどな。確かにそういう女だったな、あいつは」
フランセルとバルトサール、アマテイト教会さえその動きを掴めていなかった男たち。
それを殺すために送り込まれた女暗殺者。あんなもの、信用してはいけない。分かっていた。分かっていたはずなのに、俺は奪われた。あいつの良いようにされた。
「お互い、あれに良いようにされた者同士ですが、彼女は貴方のことを相当に気に入っていたんでしょうね」
「……どうして?」
「簡単な話です。そうでなければ貴方を誘いになんて来ないし、リリィが貴方を助けに行こうとしたときにその背を押したりはしない」
――違う、だろうな。あの女はそういう好きや嫌いで動く部類の人間ではない。
「前者は事情を知った実力者が欲しかっただけだし、後者はアティの目的が”バルトサールの暗殺”だって忘れてるぜ。
あいつはリリィにやらせたのさ。あの場所でバルトサールを殺せる可能性を持っていたのは神官であるリリィだけだった」
「……そういうものですか? ではジェフ、あなたは彼女のこと、どう思っています?」
クスクスと笑みを浮かべながら質問を投げかけてくるエルト。
「別に、どうとも思ってない。日記を奪われて悔しいだけだ」
「――ふふ、今の貴方の顔、鏡で見せてあげたいですよ。なにまた彼女と巡り合う時は来るでしょう。貴方もまた傭兵である限りは」
ケッ、今すぐこの傭兵稼業から足を洗ってやろうか。
今回の戦いでかなりの”原資”が出来たんだ。これにこだわる必要はかなり薄くなった。
「――ねぇ、ジェフリー・サーヴォ。僕は貴方にひとつ提案をしたい」
この男が敢えて間を置いた。そして今までの笑みが消えた緑玉色の瞳。
これを見るだけで分かる。この男が次に放つ言葉、気軽に流してはいけない。
「なんだ? かしこまって」
「――僕と手を組まないか? 傭兵として。君がこの仕事を続けるというのなら欲しいはずだ、仲間が」
……手を組む? 傭兵として、俺が、エルトと。
即答できる類いの問いではなかった。提示された言葉を聞いた瞬間に真逆の思考が脳裏を過った。
ひとつは、傭兵稼業を続けるとしたら確かに仲間は欲しい。エルハルト・カーフィステインという男は、それに申し分ない実力者だ。
霊体を倒すほどの力がないのは俺と同じだが、普通の戦いでなら十二分に才能を持っている。
もうひとつは、その逆。仲間なんて作ってみろ。特にこの男のような野心家を仲間にしたのなら、戻れなくなる。
俺は俺の都合だけで傭兵を辞められなくなる。辞めにくくなるぞ。
「今すぐ答えを出せとは言わない。よく考えてから決めてほしい――でも僕は期待しているよ、君からの良い返事をね」
言いながら伝票を持ち、エルトが喫茶店を後にする。
……俺のカップにはまだ半分以上のコーヒーが、残されていた。
(エルハルトと、組むか、否か――)
少なくともその答え、このコーヒーを飲み干したとしても見つかることはないのだろう。
この男の誘いに乗るかどうか、それだけで人生が決まるんじゃないだろうか。そんな気分にさえなっていた。
ただでさえ、とてつもなく大きな事件に巻き込まれた直後だったから。




