第53話
――戦略級の魔術式。その発動にはほぼ間違いなく多くの人命が贄として求められる。
100人を殺すために10人、1000人を殺すために100人。変換効率はともかくとして、そういう”元手”が必要になる。
だが、太陽神官は違う。神官の中でもごく一握りではあるが、使えるのだ。生贄なしで、戦略級の魔術式を。
「……これが、太陽落とし、なのか」
”太陽落とし”――有史以来、アマテイトの加護を受けた神官たちが使ったとされる極大の神官聖術。
いくつもの絵物語で描かれる”全てを焼き尽くす究極の一撃”
俺たちは今、その真っただ中にいた。全てが燃えていくタンミレフトのど真ん中に。そして同時に俺たちは、燃え尽きてはなかった。
「これは……」
「――バカ、手を出すんじゃない」
眼前、視界を埋め尽くす炎の壁。なぜ炎があって、壁になるのか? こちらに近づいてこないのか?
それが気になって、俺は手を伸ばした。単純な興味だ。分からないものには触れたくなる。そんな子供心がうずいたんだ。
でも、それはトリシャに止められた。彼女の左手が俺の右手を掴んでいた。
「せっかく拾った命、無駄にするつもりかい?」
「……ああ、いや、すまない」
完全にただの好奇心だった。けど、トリシャの言うとおりだ。
こんなものに手を伸ばせばどうなるか。それを考えるだけの頭がなかったんだ。
「――ブランテッド教授、説明願えますか? どうして彼女が、大神官が、ここにいるのです……!!」
両眼を見開いたまま無言を貫く”大神官”を目の前に、リリィが詰め寄る。
ああ、そういえばエルトが言っていたな。太陽落としの実行役は、確か――聖都直属の大神官ルビア・アマテイトだと。
「ふふっ、そう怒るなよ。リリィ」
「……怒ってはいませんよ。ただ、信じられないんです。太陽落としの発動中なんていう最も無防備な神官を、こんなところに、連れてくるなんて!」
太陽落としを発動しようとしていた真っ最中に暗殺された太陽神官。
歴史を辿れば、そうやって命を落とした神官は数知れない。
「そうでもしなきゃ、アンタらを助けられなかった。違うかい?」
「――私たちの命のために、大神官ルビア・アマテイトの命を危険に晒すなんてまともじゃありませんよ」
睨み合うトリシャとリリィ。それを見つめながら真紅の炎に燃える瞳が微笑む。
そして1度の瞬きを境に、瞳に宿る炎が消え、降り注いでていた炎が収まる。
あとはただ大地にて燃え盛るのみ。
「――いいや、まともじゃないのは君たちを見殺しにしようとした教会の方だよ。
この私に、トリシャの秘蔵っ子と私のお気に入りを殺させようとするんだから、本当にふざけた話だよね」
言いながらリリィを抱き寄せるルビア・アマテイト。
その両腕は強く強くリリィを抱きしめていて、抱かれるリリィがまだ成人したての少女であることを思い知らされる。
「ルビア、さん……っ?!」
「――良かった。よく、生きていてくれた。ありがとう……本当に、ありがとう」
トリシャに詰め寄っていた時の鋭利さが失せていくリリィの瞳。
彼女の瞳がすっかり柔らかくなるころには、周囲に燃え盛っていた炎も消え去っていた。
広がるのは、ただ一面の灰。全ては灰燼に帰したのだ。
「……どう、して、どうしてここまで」
「決まってるでしょ? 太陽落としは実行しなきゃいけなかった。でも、私は貴方たちを殺したくなかった。
私だってアマテイト神官だもん。仲間は殺せないよ。特にリリィちゃんは次世代を担ってもらわなきゃ」
――太陽落としを実行しながらも、俺たちを救う。
そのためにルビアという太陽神官はここに来たという。そして実際、ルビアの周辺だけが炎に巻かれずに済んだ。
ここから弾き出せる答えはひとつだ。太陽神官は自らの炎で焼かれることはない。ルビアはその範囲を広げられるのだろう。
リリィは自分1人だけだと言っていたが、そこにも個人差があるんだ。
「っ……あなたに良くしてもらえるのは嬉しい。ですが、何が大事なのかを見誤らないで欲しい」
「私は見誤ってなんかいないよ。だって私のアマテイト様が言っていたんだもの。2人を助けなさいって。
それともあなたのアマテイト様は、私に”仲間を見殺しにしろ”なんていう女神様なのかな?」
……その言葉は、卑怯です。リリィは静かにそう答えた。
そんな彼女の姿が、とても幼く見えて、ああ、彼女のことを守ってくれる保護者はいたんだなと実感する。
ルビアさん相手には、噛みつかなくてよさそうだ。初見のバルトサールとは決定的に纏う空気が違う。
「しかしよ、いったいどんな関係なんだ? ルビア様とは」
「ああ、お前は知らないか。戦友さ、青春を共に戦い抜いた古い友だ」
「えへへ、こんな無茶したのは10年ぶりくらいだよね。トリシャちゃん♪」
トリシャとルビア、2人の交わす視線を見れば分かる。
本当に彼女たちは長い付き合いなのだと。
「――ああ、今回もうまくやってやった。最高の気分だよ、ルビア。ありがとう、私の誘いに乗ってくれて」
「あったりまえだよ。トリシャちゃんの隣より安全なところはないもん」
そんな風に笑い合っていた。アカデミアの教授とアマテイトの大神官が。
互いにかなりの重役に座る2人が、無邪気に笑い合っていたんだ。




