13 言葉にできぬ音
13 言葉にできぬ音
「こるぬころな……?」
マーカスは首をかしげた。
「コロヌ・コロナよ! 動物の角を王冠みたいにかぶせてあるの」
「聞いたことはありますね。なんでも弦を張って音を奏でるとか」
「そうよ、その弦を本体につなげてる両端の器具を装飾でかくしてあるの。みたことある?」
「いえ、見たことはありませんね……」
夕食時である。日が沈み、蒸し暑かった王宮も少し過ごしやすい時間帯になった。今日はクライネの提案で、二人のほかにもフラビウスとフィンネ――座るように言っているのに立ちっぱなしではあるが――も夕食に同行していた。
マーカスは隣の席に座っているフラビウスに顔を向けた。フラビウスは首を横に振った。どうやらフラビウスですら知らないらしい。
もしかして、クライネはその物珍しい楽器をやってみたいというのではないだろうか。マーカスはヒヤヒヤした。クライネのために何かを輸入するのは構わないのだが、教えてくれと言われでもしたらお手上げだ。
「まぁ、知ってたら驚いちゃうわ。それね、海外から遭難してきた人がもってた技術で作った楽器なのよ。フィンネのうちで生産が始まったんだ。ね? フィンネ」
三人しか席に座っていないのに、水の入った瓶をもって緊張しているフィンネは、突然話を振られて少し慌てたようにうなずいた。
「え、ええ。父が作って、母が旋律を考えているのです。私も教わっていまして、最近はそれをクライネ様にお教えしているといいますか…」
「ほぅ、フィンネの家はたしか楽器だとかを扱っているのだったな」
「は、はい」
「では、俺が国王を継いだ暁には、フィンネに女中ではなく宮廷楽師でもやってもらおうか」
フラビウスが半分本気だというような目で提案すると、彼女はぶんぶん首を横に振り「恐れ多いです!」と後ずさった。
「え、でも私もそれいいと思うわ! だってフィンネとても上手だもの! 私は無理だけど、フィンネは歌も歌えるのよ」
「く、クライネ様おやめください、お恥ずかしいです」
「クライネ、お前は歌えないのか」
「んー、歌ってると指が止まっちゃうの」
「ああ、そうだお前は一度に二つのことができない人間だったな。すまん、すまん」
フラビウスのわざとらしい言い草に、クライネはむすっとして顔をそむけた。
「フラビウスなんて知らないわ。私はそのコロヌ・コロナをマーカスに聴いてほしいなって言いたかったの」
マーカスは目を瞬かせた。教えるどころか、聞かせてもらえるだなんて。
「俺には聞かせてくれないのか」
「フラビウスは馬鹿にするから嫌よ。そうだ!
じゃあフラビウスはフィンネのを聞かせてもらえばいいんだわ! あれならきっとフラビウスにも文句のつけようがないもの」
「ま、巻き込まないでくださいクライネ様」
「なんだなんだ、お前まで俺を嫌うのかフィンネ」
「いっ、いいえ! ぜ、ぜひ弾かせていただきます、はい!」
「お前たち、フィンネをいたわってやれよ……」
ちょっとしたからかいなのに、フィンネはもう顔が真っ赤で爆発しそうだった。
***
ちゃんと準備するから、次の満月の日まで待ってね。クライネにそう言われてから、マーカスはそのコロヌ・コロナを聞かせてもらえることが楽しみだった。
どんな楽器なのか興味があるし、クライネが自分の知らないところで練習をしていたのだと思うと内容も気になってしまう。それに、きっとクライネが楽器を構えるさまは美しいだろうな、とマーカスは考えた。その次の満月まで、あと七日ほどだった。
そうして当日、マーカスとフラビウスは別々の小部屋に招待された。
フラビウスはマーカスと別れてフィンネの待つ部屋へ向かった。
部屋の外に音が漏れ出している。音青合わせているのか、決まった旋律はなく、ただ一音一音がぽーん、と聞こえてくるだけだ。フラビウスは控えめにノックをした。
部屋の中でガタンッと音がして、扉が開かれた。あらわれたフィンネは、緊張のせいか顔を真っ赤にしていた。
「ふ、フラビウス様……い、いらっしゃいませ」
「ああ、邪魔するよ」
中に入ると、フィンネは倒れた椅子を直し、もう一方の肘掛のある椅子をフラビウスに勧めた。彼はうなずき、腰かけた。古い椅子はきぃぃ、と音をたてた。締め切ったカーテンの虫食い穴から、午後の日光が差して、床に細長い光を落とす。
ランプの光が腰かけるフィンネの影を壁に映し出していた。フラビウスの視線に気づき、フィンネは言った。
「窓ガラスがあまり良い状態ではなかったのでカーテンを閉めてしまったのですが、暑くないですか?」
「ああ、大丈夫だ」
「そうですか。では、このままで」
フィンネは震える手でコロヌ・コロナをつかんだ。その楽器はフィンネが抱えるとちょうどよい大きさをしており、楕円形の本体には合計12本の弦が張られている。
本体は中央へ向かうほどえぐられるような形になっており、そのえぐられた部分と弦の空いた空間から音がするようだ。クライネの言ったように、その弦を張っている上下の端には、動物の角が装飾されていた。
フィンネは脚を組んで、太ももの上にコロヌ・コロナを置いた。
「何の歌を聞かせてくれるのだ?」
「あ、あのですね、本当は、クライネ様が提案なさる前から、フラビウス様に聴いていただきたいと考えていまして。覚えておいでですか?
あなたが水を飲みにいらっしゃったとき、あとで聞いてほしいことがあるといったことを」
フラビウスはもちろん、という代わりに大きくうなずいた。
「それが、この楽器のことでして。この曲を聴いてほしくて母にコロヌ・コロナを教わりました。名前は言えません。私からこの曲の名前を伝えることはできません」
フィンネはうつむいて、せつなげに言った。フラビウスにはそのわけがわからなかったが、曲の名前などあってもなくても構わなかった。
「構わん。聞かせてくれ」
「はい――私の気持ちを込めて、フラビウス様にお聞かせします」
フィンネの言葉や動作の一つ一つが、フラビウスを引き付けた。自分に聞かせるために母から習った曲を、自分のためだけに弾いてくれる。それがひどくうれしかった。
コロヌ・コロナは聞いたことのないような美しい音を奏でた。ガラスのコップに宝石を落としたような高く澄んだ音から、木を叩いたような落ち着いた音までが、ランプの光で赤く光る部屋いっぱいにあふれている。
フィンネの白くて、水仕事で少しだけ荒れた指先がせわしなく弦の上を走っている。先刻までの緊張した様子は、消えていた。彼女の意識は全てがその楽器に向けられていた。
やがて彼女は異国の言葉で歌いだした。
フラビウスには、歌詞の意味など分からない。けれどその曲の意味するものが、直感的に伝わってきた。フィンネが曲の名前を聞かせてくれなかった理由もわかる。
フラビウスは胸が一杯になった。
そのフラビウスの胸を満たす想いは、一方ではあまりに切ないものだった。
歌が終盤に差し掛かる。フィンネはまるで泣いているように歌った。
そして、丁寧に弦を叩いて、最後の一音は部屋の中に広がり、やがて消えた。
フィンネは、そっと顔を上げた。フラビウスは無意識のうちに立ち上がり、拍手をしたり称賛の言葉を浮かべる間もなく、彼女に歩み寄った。
フィンネは少し動揺したように楽器を置いて自分も立ち上がる。
次の瞬間、フラビウスはフィンネを抱きしめていた。
フィンネはひどく驚いたように目を見開いた。だが、抵抗はしなかった。
「すまない」
フラビウスは絞り出すように言った。
「あとにも先にも、これが最後になる。だから、嫌がらせをしてきた権力者をなだめるものと思って、腕を回してはくれないか」
言われて、フィンネはその通りにした。
「嫌がらせなど……そのようには感じておりません。私めの想いが、伝わってしまったのですね」
「ああ……すまない」
「あなたが謝ることはございません。仕方がないことです。伝えることができただけで、幸せでございます」
そんなわけがあるか。伝えただけで、何もできないことが幸せなはずがない。
二人は互いの気持ちを胸の内にとどめて、強く抱き合った。
「……もう、行かなくては。会議の予定がある」
フラビウスは、惜しむように言ってから腕を離した。フィンネは何も言わず、女中らしく頭を下げた。フラビウスが出ていくまで、その顔を上げることはないだろう。
フラビウスはゆっくりとした足音で部屋を後にした。扉を隔てた向こうから、フィンネのすすり泣きが聞こえてきた。フラビウスにはどうしてやることもできない。
今までこんなに悔しいことがあっただろうか。フラビウスはぎりぎりと歯をかみしめた。
***
「あ、いらっしゃいマーカス! 音も合わせたし準備万端よ」
マーカスが部屋へ向かうと、クライネは気合十分と言った様子で椅子に座っていた。初めて目にする楽器にマーカスは感嘆の声を上げた。
「これが例の楽器ですか! しかし弦が12本もあって、大丈夫なのですか」
「な、なんてこと言うのよ! ちょっと見てなさい」
クライネは得意げに言い、弦を一本づつはじき、簡単な一節を弾いて見せた。マーカスは感心していた。最後の一音を盛大に外すまでは。ぼよんっという間抜けな音が部屋に響いた。
「……い、一本ずつって難しいから、まだ練習中なのよ!」
「クライネ様、俺は何も言ってませんが」
「あなたの目は私を小ばかにしてるわ。今日聞いてもらうのは、十二本一気にじゃーんって弾くだけだから、問題ないの! わかったらその椅子に座って頂戴」
「はいはい、失礼します」
マーカスは笑いながら腰かけた。窓からの青白い光を受けて、クライネのサンディブロンドの髪が輝いている。
「コロヌ・コロナはね、まだあんまりたくさんの歌はないの。これは愛を歌ってるってフィンネが言ってたわ。本当は外国語の歌詞だけど、私外国語の発音が下手くそだから、こっちの言葉に直したのをフィンネに教えてもらったわ。」
「ほぅ、クライネ様が愛を歌うのですか」
「だって愛しかなかったんだもの。じゃあほら、いくわよ?」
最後までちゃんと聞いていてねと念を押して、クライネは腿の上でコロナ・コロヌを構えた。
最初の一節は、先刻引いたのと同じで一本一本の弦をはじく弾き方だった。
クライネは眉を寄せて、少しぎこちなく音を紡いでいく。マーカスまで一緒になって緊張して指の動きを見守った。そしてその節に区切りがつくと、十二本の弦を撫で上げるような手つきで弾きあげた。そこからのクライネは楽しそうだった。
マーカスの頭には草原でサンダルを履いた少女が走り回るような光景が浮かんだ。
クライネは前かがみになり、後ろで結い上げた髪の毛先が肩から落ちてくる。それを後ろへ払うように、彼女はぐんっと頭を上げて歌い始めた。
クライネの鼻歌は何度か聞いたことがあるが、こうして真面目に歌っている様子を見るのは初めてだ。普段のお転婆な様子とはかけ離れ、クライネは美しかった。
髪が太陽に輝くあなた
大きな手のひらを太陽にかざすあなた
あなたからは太陽の香りがするわ
そして太陽のように、光り輝いて
私の行く末を照らしてくれるの
ねぇ、この想いは届くのかしら
クライネはマーカスがきちんと聞いているのか確かめるように一瞬だけ瞳を上げた。
二人は目を合わせる。それはすぐに離れたが、マーカスはぐっと引き込まれていた。
届かないかもしれないわ
だからこうして、コロナの旋律に乗せるのよ
ああ、太陽みたいなあなた
腕を伸ばしても届かない
どんなに走っても、世界が違うから
声が届かないから、せめて歌いましょう……
歌われているのは、誰のことだろうか。マーカスは一瞬考えた。
クライネはそんなつもりはないだろうが、それでもひどく気になってしまう。マーカスがもしこの歌を歌うならば、ここで歌われるのはきっとクライネだろう。
クライネの歌う相手がもし自分だったなら……太陽のように輝き、自分の進むべき道を照らしだしてくれた彼女。
だが、どんなに腕を伸ばしても、届かない――。
演奏は終わっていた。最後まで弾き終わったのか、途中で止められたのか、マーカスにはわからなかった。クライネに視線を向けると、彼女は何か驚いたような顔でコロナ・コロヌを見つめていた。
拍手や称賛の言葉は出なかったし、クライネもそれを要求しなかった。
二人は呆然と空気を見つめた。
今、自分は何を考えていた?
この「愛の歌」が自分に向けられていたら、と?
そして自分ならば彼女のことを歌っていただろう、と?
マーカスは何とか自分自身を奮い立たせて、声を上げた。
「……たくさん、練習なさったのですね。とてもお上手でした」
「う、うん……うまくいって、よかった、わ」
二人はうわべだけで笑い掛け合った。お互い、相手にうわべだけの笑顔を見せるのは奇妙な感じがした。マーカスは逃げるように「このあと、訓練の予定がありまして」と言った。
クライネも「わ、私も裁縫を習う約束なの」と言った。マーカスは世話役の騎士らしく頭を下げて、部屋を出て行った。
その足取りは、どこは焦ったようにもつれかけていた。
うわこれ恥ずかしいやつですね、はい
うん
ごめん歌詞下手で……




