第二話 何時もの朝
朝の静けさの中、ゴリゴリとコーヒー豆を擂り潰す音が部屋の中に響く。ポットのコポコポとお湯が沸く音に紛れ、付けっ放しのテレビから朝のニュースが流れる。画面の中のキャスターは事故現場からの緊迫感漂う中継を行っていたが、部屋の主である雄二はそんなニュースを聞き流しつながら、金属製ドリッパーにお湯を注ぎ滴り落ちる黒い水滴を凝視していた。粗方水滴が落ちなくなるのを確認しドリッパーをサーバーの上から取り外し、磁器製カップへと適量を注ぐ。漂う香を確認し一口。
「ふむ。香りは良いが、この豆の組合わせは些か酸味が強いな。もう少し焙煎時間を延ばすかな?」
雄二は自家製ブレンドコーヒーに、そこそこの評価を下す。カップを片手にリビングを後にし、バルコニーへと向う。眩い朝日が差し込むバルコニーから外を見下ろすと、一面のオーシャンビューが広がる。微かに潮の香りが混ざる心地良い微風、微かに見える海岸の白波、気流に乗り天高く飛ぶ海鳥の群れ。何時もと変らぬ、穏やかな朝の情景であった。
雄二は暫し、その光景を肴にコーヒーを楽しむ。
「そろそろ、アイツも起こすか」
コーヒーを飲み終った雄二はリビングに戻り、飲み終わったカップをキッチンの流し場に置く。その足で、自室の反対側の部屋の前へと足を進めた。扉にはSHIZUKAと掘られた木製プレートが掛けられていた。雄二は扉を軽くノッする。しかし、部屋の中からは返事も、何かが動く様な物音も聞え無い。
「入るぞ」
もう一度ノックしても反応も無い事を確認した雄二は、一言断りを入れてから扉を開いた。
部屋の中は大小様々多種多様ヌイグルミが所狭しと飾られている。オーソドックスな動物物からアニメキャラやご当地キャラ物等。中でも一際目を引くのは、番人の如くベットの前に鎮座する人の丈程あるクアッカワラビーのヌイグルミだ。
雄二はベットまで歩み寄り、今だ布団に包まる人物に声を掛ける。
「おーい、起きろ。もう朝だぞ」
「……後、5分」
布団の塊の中から、か細い少女の声が聞えた。
「はぁ、またテンプレな寝言を。さっさと起きろ、用意した朝食が冷めるだろ」
雄二は布団に手を掛け、問答無用とばかりに一気に引き剥がす。すると、布団の下から白熊の着ぐるみパジャマを身に纏った雄二の妹、渋川静香が寒そうに体を丸まらせた姿を見せた。
「……おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう。ほら、さっさと着替えて来い。朝食の時間だ」
静香は眼を擦りながら、むくりと体を起す。
「うん……おはようのキスは?」
「馬鹿言ってないで、顔でも洗え」
「はーい」
雄二は静香の妄言を流しながら、窓に掛ったカーテンを勢い良く開け広げた。薄暗い部屋に強い朝日が差し込む。朝日を眩しそうに手で遮りながら、静香は寝ぼけ半分の頭のまま生返事を返す。
「先に行くけど、二度寝するなよ?」
静香が起きたのを確認した雄二は釘をさして部屋を後にし、用意していた朝食をダイニングのテーブルに並べ始めた。そして雄二が最後の品を並べ様とした頃、中等部の制服に着替えた静香が姿を見せる。
「おはよう、お兄ちゃん」
「ああ、おはよう。さ、朝食にしよう」
「うん」
寝ぼけた様子が消えた静香は軽く手を上げながら挨拶をした後、テーブルの自分の定位置に座る。雄二も最後の品をテーブルに置き、定位置の椅子に座る。
「いただきます」
「いただきます」
席に着いた2人は、一緒に朝食を食べ始める。朝食のメニューは、トースト・オムレツ・ベーコンポテト・オニオンスープ・シーザーサラダ・ヨーグルト、そして雄二特製のコーヒーだ。リビングに食器の接触音とリビングから流れ続けるニュースキャスターの声だけが響く。
そして、穏やかに食事が進む中、おもむろに静香は雄二に話題を振る。
「そう言えばお兄ちゃん。今度の高等部の校外活動って、ビックサイドのロボット技術展示会に行くんだっけ?」
「ああ、何でも日本の誇る最先端技術を見学し様って趣旨らしい」
静香はカップに息を吹きかけ冷ましながら、オニオンスープを口に含む。
「でも、最先端技術なら、うちの大学部の研究室を見学して回った方早いと思うんだけどなぁ」
「まぁ、一応は校外活動だからな。内々でって言う訳にも行かないんだろ」
「ふーん」
雄二はコーヒーを飲みながら、素朴な疑問を抱く静香を諭す様に、苦笑気味の口調で郊外活動の意義を擁護をする。静香は雄二の説明で納得したのか、気の無い返事を返しトーストに手を伸ばした。静香の気の無い返事に苦笑を漏らしつつ、雄二は飲み終わったコーヒーをテーブルに置く。
2人の話に区切りが付いた時、リビングのテレビから電子音と共に流れてきた速報ニュースに2人は目が止まる。速報ニュースの内容は、輸入業者が使っていた都内の貸し倉庫で小規模の爆発が起きた事と、その犯人からの犯行声明が警察に送られて来た事の2つ。
「最近は良くテロが起きるね」
「ああ。多分、去年から始まった月産PEの流入でテロ組織の活動が活性化した見たいだな」
速報ニュースの内容に静香は食傷気味の表情を浮かべ、雄二も不快感を表す様に目を細める。
「こんな事で、世の中を変えられるって思ってるのかな?」
「思ってるんだろうな。だから、こんな事をするんだ」
静香の疑問に、雄二は鼻で笑った様な雰囲気で答える。
「PE登場当初ならいざ知らず。現在の分配レートは、国際会議と国力バランスで決まっている。確かに、日本はPE最大産出国として影響力はあるけど、会議参加国の思惑を全面的に無視してまで分配レートを決める程の決定権は無い」
「無いの?産出国なのに?」
「無くは無いけど、やったら色々な国から袋叩きに合うな」
「?」
静香は不思議そうに首をかしげる。新しく注いだコーヒーを飲みながら、雄二は教師の様に説明を続ける。
「一昔前と違い、今の世界の基幹エネルギーは化石燃料からPEに移行している。何せ、化石燃料とは段違いに環境に優しく取り扱いが容易で、核が比較に成らない程に高出力だからな。今の世界の年間消費エネルギー量は、PE登場前の数倍じゃきかない。で、そんな世界の重要物資が産出国の国内事情で、国際会議で決められた分配レートが簡単に捻じ曲るとしたら?」
「……」
雄二の説明に、静香は驚きで目を丸くする。
「化石燃料は複数の国家で産出していたから、一国の国内事情が世界情勢に影響する事はあっても直結するって事は無かった。しかし、PEに関しては日本が最大産出国で、採掘総量の90%は日本産だ。先進国と呼ばれる国々なら、採掘コストを無視すればPE自給出来るかもしれないけど、小国なんかは其の侭国家滅亡の危機だ」
知らなかった事実に、静香の頬が引き攣る。
「今の日本は、多くの国のエネルギー資源と言う生命線を握っている。だからこそ、日本は国内でテロが多発し様とも、分配レートを勝手に変える事は無い。勝手な分配レートの変更等を行ったら、最悪戦争になる」
雄二はコーヒーを一口飲んだ後、結論を静香に諭す様に言う。
「故に、現在の日本国内で彼らが何度テロを起しても、彼等の主張するPE分配には殆ど影響は出ない事に成る」
「……」
雄二の話を聞き終えた静香には、時計の音が酷く大きく聞え、ニュースを聞いた時の食傷感とは別の感情が渦巻く。気不味い雰囲気で口数が減り、2人は手早く朝食を食べ切った。
「朝からする話じゃなかったな」
「うんうん、大丈夫。私から振った話だったし、見えてなかったニュースの側面が分ったから」
「そうか」
何とか気持ちに折り合いが付いたのか、吹っ切れた様な静香の表情に雄二は安堵の息を漏らす。
「片付けは遣って置くから、静香は登校の用意をしておけ」
「うん」
時計を一瞥した雄二は、使った食器を食洗機に入れ登校の準備を始めた。洗面所で歯を磨き、自室へと早足で移動する。クローゼットの姿見の前で確認しつつネクタイを締め、ハンガーに吊るしていた学校指定のブレザーを羽織った。携帯の充電を確認しポケットに捩じ込み、机の上に用意して置いたカバンを持ちリビングへ戻る。
「静香も準備出来た見たいだな」
「うん」
先に準備を済ませた静香が、リビングのソファーでニュースを見ていた。
「あっ、さっきの速報のニュースをやってたよ。犠牲者は居ないって」
何処と無く安堵した様な様子の静香が、TVを指差しながら言う。
「そうか。犯人も早く捕まると良いんだけな」
「うん」
ニュースの内容が変わり、ロボット技術展の紹介コーナーが始まった。リポ-ターが出展予定の企業に出向き、広報担当者が取材に答える。当たり障り内容の応答が続いた時、静香が声を上げた。
「あっ、技術展で思い出した。そう言えばお父さんの会社からも、新作を展示会に出品するって言ってなかった?」
静香はふと思い出した事を雄二に問う。
「ああ、CAS向けの新型を出品するって言ってたな」
CAS――公認民間武装警備会社(Certified private Armed Security Company)とは、国家に認定された非殺傷兵器での武装と行使を許された民間会社の総称である。
2030年代初頭に起きた大規模国内テロを呼び水に、国内各地でテロが頻発し治安が悪化した。事態を重く見た当時の政府は治安回復を目的に法改正、民間警備会社に国家公認で武装と行使を正式に認めた。
そして現在、CASは国内に大小合わせ数十社あり、その装備品を扱う市場は今尚拡大している。
「何でも、今回の新型は従来品の改良型じゃ無く、新機構を採用した新型らしい」
「ふーん」
新型の内容までは興味が無いのか、静香は気の無い返事を返す。
「全くの新型だから実戦証明が不足だって思われて、CAS側の反応は鈍いかもとも言ってたけどな」
「そうなんだ。新型の方が性能が良いのにね」
「まぁ、命を張った職業だからな。実績と言う、最低限の保障は欲しいって所だろうさ」
雄二はカバンをテーブルに立てかけ、静香の対面のソファーに座る。その間にも紹介コーナーは進み、リポーターが出品予定の商品の一部を見せられていた。試験場らしき一室の中央部に、増力機能付き強化外骨格――パワードスーツが鎮座している。甲冑の様な白い装甲を纏った、中世の騎士の様な威圧的な外観だ。
「へー、この企業もCAS向けのパワードスーツを出品するんだ」
「あれ?この会社って、介護向けのパワードスーツを作ってなかった?」
雄二は騎士の様なフォルムに感心した様子でニュースに注目し、静香は余り聞かない会社名に疑問符を浮かべる。
「宇宙事業が進んで、テロメア再生薬や抗アルツハイマー薬何かが色々開発されたからな。昔ほど介護問題は深刻に成って無いから、介護業界事態が縮小傾向にあるって聞いた事もある。多分、自社技術を生かして新分野に活路を見出そうとしているんだろう」
リポーターの前で、研究員らしき人達が動作テストが始めた。
「上手く行くのかな?」
何所と無く荒い動きのパワードスーツに、静香は紹介されている企業の先行きを不安に思う。
「どうだろう?全くの新分野って言う訳じゃ無いから、時間を掛ければそこそこは行くんじゃないか?見た所、動きは遅いけど重装甲だから壁には出来そうだしな」
「壁って……」
「視覚心理効果と重装甲と言う事を考えれば、良くて暴徒鎮圧向けって所かな?」
雄二は首を捻りながら頬を掻く。TVの中でぎこちなく動くパワードスーツの運用法を考えたが、碌な運用法が思い付けなかったからだ。
「結局、コレは使えるの?」
「今後に期待って所かな?」
目を細める静香に、雄二は肩を竦めながら結論を告げた。
企業紹介コーナーはパワードスーツの動作テスト終了と共に、当たり障りないリポーターの応援コメントで絞められ終了した。
「さぁ、そろそろ学校に行くぞ」
TVの隅に表示される時計を見た雄二は、静香に声をかける。
「はーい」
TVを切り、戸締りと火元を確認し2人は部屋を後にする。
「お早う御座います、鮫島さん。学校に行ってきます」
「はい。御気を付けて」
雄二と静香はエントラスでコンシェルジュの男性、鮫島に挨拶をし正面玄関からマンションを出た。地下駐車場入り口横の駐輪場へと足を進め、黄色と黒で縁取りされた銀色のゲートの前で止まる。雄二がポケットから取り出した認証カードを壁のコンソールに翳すと、カウントダウンの表示と黄色のランプが回り、数秒で青い自転車が出庫された。
「充電も良い見たいだな」
マウンテンバイク型の電動アシスト自転車。雄二はコントロールユニットの電源を入れ、バッテリーの充電状態を確認する。
静香もシティーサイクル型のピンク色の自転車を取り出しており、同じ様に充電を確認していた。
「じゃぁ、行くか」
「うん!」
2人は自転車を漕ぎ出し、学校への通学路を進む。