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おっさん、出陣

 ユリア姫こと大野直樹に付けられた新米侍女のエルマ曰く、リーネルト子爵家は貧乏貴族の部類に入るらしい。

 今いる邸宅は、直樹からすれば充分大豪邸だと思えるにもかかわらず、である。

 何でも、リーネルト子爵家に代々与えられている所領は辺境もいいところで、土地は痩せ、ジャガイモくらいしか碌に穫れないのだそうだ。

 貴族の館が建ち並ぶこの一角には、リーネルト邸が三つも四つも入るような大邸宅がごろごろ建っているらしい。

 もし娘が県外の私立大学に行きたいなら奨学金を借りてもらわないとだめかなぁなどと考えている直樹にとって、貴族の世界とは、本当に想像もつかないような豪華絢爛、きらびやかな世界である。


「でもユリア様なら、どんな高貴な姫君にも負けませんわ」

 長く艶やかな金髪を一生懸命洗いながら、エルマは言う。


 直樹は只今、世の乙女が一度は入ってみたいと思うであろう、薔薇風呂を堪能中である。しかも髪や身体は侍女が洗ってくれる。まさに至れり尽くせりのお姫様気分だ。


 確かゲームの中にもこんなシーンがあったような、と、ちょうどいい湯加減と薔薇の豊かな香りを楽しみつつ、直樹は思う。

 特にイケメンとのイベントでもないので、あまり麻里奈が興奮することもなかったから、詳しいことは定かではないが。


 ゲームの中では確か、人に身体を洗われる状況に抵抗を感じるヒロインが可愛らしく恥じらっていたような気がする。

 だが、この状況は直樹にとってはある意味ありがたかった。

 若い侍女とお風呂でキャッキャウフフできるからでは、断じて無い。

 そもそもエルマはちゃんと服を着ている。


 直樹は、慎み深いタイプのおっさんである。今は自分が憑依しているとはいえ、厳密には自分のものではないこの美少女の身体を自分が隅々まで洗うというのは、どうにも罪悪感がある。

 自分のようなおっさんに触られるくらいなら、おそらく同世代であろうエルマのほうがまだましだろう。

 水面を埋め尽くす薔薇の花弁で肌があまり見えないのも都合がいい……という、何とも枯れた理由で薔薇風呂がお気に召した直樹であった。


 まあ、どうせ夢ならば楽しんじゃうのも有りといえば有りかもしれない。だが、おっさんが乙女ゲームのヒロインになってしまうというこの摩訶不思議な夢、一向に覚めないのである。


 直樹がこの世界に来てから、すでに一週間が経っていた。


「ただし、ユリア様」

 髪を洗うエルマの手に、心持ち力がこもる。


「な、何でしょうか」

 娘ほどの年齢の侍女に、思わず敬語になる直樹。


「私、ばっちり見ましたからね」


「何を」


「ユリア様が、ビールをぐびぐび飲んでいるところ」


「えっ、何、いつ!?」

 思いも寄らぬ、いや、身に覚えがありすぎるエルマの言葉に、直樹は思わず、勢い良く彼女のほうを振り返った。


 黄金の絹糸のごとき長い髪が、泡とお湯をまき散らしながら暴力的にエルマを襲う。


「痛っ」


「あ、ごめん。

 でもいきなり何だ、俺がいつそんな……あ、いや、私がいつ、そのようなはしたない真似を?

 夢でも見たんじゃありませんの、エルマったら?

 嫌ですわ、おほほほほ……」

 おっさんのかんがえたさいきょうの美少女像で何とか切り抜けようとする直樹。


 だが白状しよう。

 三日ほど前に、ディナーの席でほろ酔いになったマティアスに、君もちょっと飲んでみなよ、と進められて飲んだこの世界のビール。

 やたらおしゃれで容量の少ないグラスに注がれたそれは、直樹が今まで飲んできたなかで一番ではないかと思うくらい、美味しかったのである。


 最近の若者は飲み会でもビールを飲まないが、昔の若者である直樹は、飲み会の一杯目は必ずビール、家での晩酌もビールという、徹底したビール党だ。ビールには、大人になってからの彼の人生が詰まっているといっても過言ではない。


 いや、わかってはいるのだ。乙女ゲームの世界にビールなどオーパーツもいいところ。可憐な姫君はそんなもの飲んだりしないと。

 だから、夜エルマが部屋を退がった後こっそり、厨房の使用人の一人を脅し、いや、買収、いやいや、使用人の一人とお話をして、誰にもバレないように分けてもらっていたのである。


「騙されませんよ、ユリア様。

 ユリア様ったら、こんなにお美しいのに、心の中におっさんでも飼っていらっしゃいますの?」


 この小娘、言いよる。


 はいその通りです、とも言えず、直樹は曖昧に笑った。

 そろそろのぼせそうだ。色んな意味で。


「ともかく、お酒はだめですよ。これからは禁酒してください」


 侍女に禁酒令を出されてしまった。娘にも出されたことないのに。


「明日はいよいよ、王宮へ上がるのですから」


 エルマの言葉に、思わず肩に力が入る。

 そう。明日、ついにXデーがやってくるのだ。

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