おいでよ、どれすの森
「ほぉ……」
部屋に入るなり、ため息とも感嘆ともつかぬ声が自然と漏れた。
間取りはおそらくほぼ同じのはずである。が、敷き詰められた赤い絨毯の質感や、飴色の艶を放つ家具の重厚さ。そして、壁にかけられた偉そうなおっさん、否、威厳をたたえた紳士の肖像画。何もかも、直樹の部屋とは正反対だ。女の子の部屋としては随分と渋いが、これが公爵令嬢の品格というものか。
「さっさとお選びになって」
シャルロッテがクローゼットの扉を侍女に命じて開かせる。
年頃の女の子のクローゼットを拝見する罪悪感を若干感じつつ、直樹は、現代風にいえばウォークインクローゼットになっているその中へと足を踏み入れた。
「うわぁ……」
また、あまり意味のない言葉が口をつく。
シャルロッテの代名詞ともいえる豪奢な深紅のドレス。それから、黒地にふんだんに金糸をあしらった重厚なドレス。見るものを圧倒する、彼女らしいといえば彼女らしいドレスの数々が並んでいた。
「何ですの? 意味のないうめき声ばっかり。
さっきまであんなに流暢にお話しでしたのに」
偉そうに腕組みをしたシャルロッテが苛々した口調で言う。直樹はそんな彼女をちらりと一瞥した。
その視線を受けて、シャルロッテは気まずげに組んでいた腕を下ろす。
賢くもないかもしれないが少なくとも馬鹿ではないシャルロッテは、一応今の自分の立場を理解しているらしい。
直樹は絢爛たるドレス達に向き直った。
この際似合うかどうかは問題ではない。
令嬢にとってのドレスはいわばサラリーマンにとってのスーツ。意識の高い者にとっては戦闘服かもしれないが、そうでなければ、自分の身分を表すための記号でありさえすればいい。
要は王妃様の御前に出るに相応しい格を持ち、且つ王妃様のドレスの色と被らなければそれでいいのだ。
「……ん?」
いつ終わるとも知れぬドレスの森を探索していた直樹は、ふと動きを止めた。
奥のほうにひっそりと隠すように並べられたそれらは、明らかに手前の賑々しいドレスとはテイストが違う。
「こんなのも持ってるんだ」
直樹の目に留まったのは、パステルカラーの淡い緑のドレスだった。優しい色合いに染められた薄い生地が幾重にも重なり、ふんわりとした柔らかいボリュームを出すスカート。胸元にあしらわれた薄いピンク色のレースの花が、生地の緑と相まってまるで春の野原のような優しい印象を与えている。
スカートの裾を少しだけ引き出し、斜め後ろに立つ令嬢の顔と交互に見る。
「何よ……」
シャルロッテが気まずげに俯いた。
「もっとこういうのを着ればいいのに」
何気なくそう言った直樹に、シャルロッテはきょとんとした顔になる。顔を上げ、ぱちぱちと目を瞬いた彼女を、不覚にもちょっと可愛いと思ってしまった。
「本気で言っているの?」
「え? 何で?」
聞き返すと、シャルロッテは再び俯いてしまった。
「だって、わたくしには似合わないでしょう?」
直樹が何か言う前に、シャルロッテが早口で捲し立てる。
「わたくしだってこんな可愛いドレスが似合うお嬢様になりたかったわ。なれるものなら。
そうよ、わたくしだって、ユリア、あなたみたいになりたかった」
それはいけません、と思わず直樹は心の中で呟いた。
今シャルロッテの目の前にいるのは、外見はともかく中身は女の子のクローゼットを物色するおじさんである。
だがシャルロッテは止まらない。
「ユリア、あなたはアレン殿下のことをどうお思い?」
「まあ、素敵な方だとは……」
「ええそうよね。わたくしもそう思いましてよ。
でもね、わたくしはもしアレン様が目も当てられないほどの醜男でも、彼の花嫁の地位を望むわ。
わたくしは王妃になるべくして生まれた。それしか許されない立場だから」
どうやら、シャルロッテの父親であるヴァルトフォーゲル公爵は、公爵という高い地位にいながらも、そのさらに上を望む非常に上昇志向の強い人物であるらしい。
貴族だの王族だのといった雲の上の景色は、正直直樹にはよくわからない。ただ何となく、偉い人にも色々あるんだな、と思う程度である。
だが、本来どんな自分であっても掛け値無しに愛おしんでくれるはずの親から、必ずや未来の王妃になれと強制された少女が背負う重荷は察するに余りある。
きっと、一流の貴婦人になるために血のにじむような努力をしてきたのだろう。
それなのに、ぽっと出のゆるふわ美少女に、ピンクのドレスを王子様からプレゼントしていただきましたのうふふ、などとやられたらまあ当然はらわたが煮えくり返るだろう、と少し彼女に同情した。
けれど、少女は毅然と顔を上げた。
「だけど誤解なさらないでね。
わたくしは、どうか王子を諦めてくれとあなたに頭を下げるつもりなどありません。
今回は浅はかだったと反省しているけれど、それでも最後に勝つのはわたくしですわ」
高貴な令嬢そのものの高慢さで、シャルロッテは言い放った。
このとき初めて直樹は、テンプレート通りの悪役令嬢あるいはやたらと爪を立ててくるうるさいペルシャ猫程度の印象しかなかったシャルロッテのことを、血の通った生身の少女なのだと実感した。
直樹は一歩距離を詰め、シャルロッテの赤い髪を撫でた。このときばかりは自分が少女の姿で良かったと思った。他意はないが、それでももし本来の姿でこんなことをしようものならば乙女ゲームどころか人生がゲームオーバーである。
意外にも、シャルロッテは大人しく撫でられている。
髪を撫でながら、直樹は言った。
「でもいつか、可愛らしいドレスを着たシャルロッテ様も見たいです。案外似合うと思いますよ」
さあもう時間がない。そろそろ本腰を入れてドレス選びをしよう。
あっさりと髪から手を離し、右手に深紅のドレス、左手に黒いドレスを持って見比べながら、新境地を開拓するのもいいかも、などとぶつぶつ言っている金髪の美少女を見つめつつ、シャルロッテは小さな声で呟いた。
「わたくしのことなど忘れているくせに、同じことを言うのね……」




