そして物語は動き出す
それからも変わらず、レオンは度々直樹の部屋へやって来た。
「ユリアちゃん、今日暇?」
朝食も終わり、寛いでいた直樹のもとに今日も今日とてやって来たレオンの言葉に、直樹はこくりと頷いた。
今日どころか、割といつも暇だ。シャルロッテ姫をはじめ、他の姫君達は度々お茶会という名のマウンティング大会を催しているようだが、同性に嫌われる女ユリア・リーネルトは生憎、一度たりとも招待されたことはない。
また今日も、できもしない刺繍で時間を潰すしかないのか、と少しうんざりしていたところだ。
「何言ってるんですユリア様」
棚の上をはたきで掃除していたエルマが振り返り、咎めるような口調で言う。
「今日は珍しく予定が入ってますよ。午後から王妃様主催のお茶会です」
「そうだっけ?」
「そうです。
王妃様はこの王宮、ひいては王国の女主人でいらっしゃいますし、もしアレン王子とご成婚などということになれば、義理のお母様となるお方。
気を引き締めていきましょうね、と昨日私は申し上げたはずですが?」
言われてみれば、そうだった気がする。
日々のほほんと過ごしているせいか、どうも物忘れがひどくていけない。
「とすると、いよいよあれの出番か」
部屋の奥にあるクローゼットの扉に目をやる。この扉の向こうには、先日王子と伯爵にもらったドレスと髪飾りが眠っているはずだ。
「おっユリアちゃん久しぶりにドレスアップするんだな」
レオンがどこか嬉しそうだ。
いつも着ているこの真っ白なロングドレスも直樹の感覚では十分ドレスアップなのだが、コルセットの必要ないこの服は、エルマに言わせればパジャマ同然らしい。
そういえばこの白いドレス、ゲームのアバターが初期設定で着ているものに酷似しているような気がしないでもない。
それに周りを見渡せば、エルマはいつもロング丈のメイド服をきちっと着こなしているし、レオンも近衛兵に相応しいチャラチャラした軍服を着ている。
そんな中でこの出で立ちは、確かに気が抜けているかもしれない。
「では早速準備しましょうね、ユリア様。
そういうわけだから、レオンはとっとと出てってください。
たまにはきっちり仕事しなさいよね」
エルマはレオンに対しては割と辛辣である。
「えー、俺も着飾ったユリアちゃんが見たい」
レオンが頬を膨らませる。可愛くない……いや、動物的な意味では可愛い。ますます昔飼っていたゴン太にそっくりだ。
「何を言うかと思えば。姫のお着替えシーンを見るつもり?」
絶対零度のエルマの視線がレオンを射抜く。
「い……いえ……」
レオンがひるんだところで、エルマは鼻歌まじりにクローゼットの扉に手をかけた。
「本当に久しぶりに腕が鳴りますわ」
エルマの一言に、直樹までもが一歩後ずさる。
舞踏会の夜のコルセット地獄再び、である。
が、エルマはクローゼットの扉を開いたまま、ぴたりと動きを止めた。
先日王子から贈られたばかりの薄桃色のドレスは、確かにそこにあった。
ただし、無惨に切り裂かれた変わり果てた姿で。
「何ということでしょう!」
エルマが叫ぶ。
そして物語は、冒頭へと戻る。
*
「あらあらまあまあ、素敵なクローゼットですこと」
赤髪縦ロールのシャルロッテ・アンネマリー・フォン・ヴァルトフォーゲルがさも愉快そうに笑う。
今日も今日とて南国のド派手な鳥のように華やかな装いだ。
「シャルロッテ様。今日も楽しそうで何よりです」
招かれざる客を一瞥し、直樹は淡々と言葉を返す。
十中八九、いや120%の確率で犯人はこいつだ。
この部屋には直樹とエルマだけでなく、王宮側から付けられた侍女も数名出入りしている。
その中の一人を、金か権力かは知らないが、とにかく何らかの方法で買収すれば、容易にこの犯行を行うことが出来る。
王子様から贈られたドレスの滅失。
ずさんな管理体制。
無数のカメラのフラッシュを浴びせられながら頭を下げる自分の姿が目に浮かぶようだ。
「それに。ねえユリア様?
そちらの男性は一体どなた?
ご家族ではありませんわよねえ?」
事態の急展開に付いていけず、立ち去る機会を逃して不自然な姿勢で部屋の隅っこのほうに立っているレオンを、シャルロッテが閉じた扇子でビシリと指す。
「あなただって一応アレン王子の花嫁候補なのだから、これは少しいけないのではなくって?」
『一応』の部分を殊更に強調して、シャルロッテが言う。
いやいやいや。
直樹は心の中で首をぶんぶん振る。
それは違うぞシャルロッテ姫。一応こいつは近衛兵、つまり王宮と、そこに住まう人々を守るのがお仕事だ。
そんな彼がここにいるのはいわば仕事の一環。
そう、つまりこれは嫁入り前の娘が男を連れ込んでいる図ではなく、一人暮らしの女の家に消防点検の兄ちゃんが来たとか、そういう光景のはずだ。
が、ここで何も考えず軽はずみに反論しては、逆に足下を掬われることにもなりかねない。
直樹はぐっと押し黙って、代わりに頭をフル回転させた。
「シャルロッテ姫。お言葉ですが……」
背筋を伸ばし、微笑をたたえ、直樹は言った。
泣くのかしら、それとも喚くかしら、と直樹の出方を窺っていたシャルロッテは、その予想外の態度に目を丸くする。
親子程も年の離れた小娘に対して大人げないとは思うが、直樹は怒っていた。
別に王子に対して特別な好意はないが、それでも彼が自分のためにと贈ってくれたドレスである。それをめちゃくちゃにされて、しかも下世話な嫌疑まで。
若者が道を外れたことをすれば、それを諌めてやるのもまた大人の役目だ。
就職氷河期を生き延びたおっさんを舐めんじゃねえぞ、小娘。
進撃の悪役令嬢、反撃のおっさん




