王子達の昼下がり
今回おっさんはお休みです。
「殿下、失礼いたします」
舞踏会から数日経ったある日の昼下がり。
主に断り、ギレッセン伯爵コンラートは部屋へと足を踏み入れた。
深紅の絨毯に、所々に金細工の施された絢爛たる調度品。高い天井には、シャンデリアが星のように輝いている。
ケンブレンシュタットの街の北西部にある小高い丘。その丘にそびえる白亜の宮殿の中に、その部屋はあった。
きらびやかさと格式が上手い具合に調和したこの部屋は、世継ぎの王子が住まうためのものである。
コンラートの主は、その部屋の奥にどっしりと構えている年季の入った執務机……ではなく、その横にちんまりと置かれた鏡台の前にいた。
「何やってるんです、殿下」
コンラートは思わず呆れ声になる。またか、と思わずにはいられない。
最近の殿下は何だかおかしい。何か悪いものでもお召しになったのではあるまいか。
宮中に仕える者達の間で、しきりに囁かれている噂である。
「鏡を見てた」
主の応えに、コンラートは、いやそれは見れば分かる、と心の中で突っ込んだ。
「コンラート」
彼の名を呼びつつ、主が振り返る。少し鼻にかかったような声。世の乙女達をきゃーきゃー言わせている、この王子独特の声である。
「何です?」
当たり前だが、コンラートはきゃーきゃー言わない。
臣下である前に、彼の幼馴染みであるコンラートにとっては、今まで何千回何万回と聞いてきた声であるし、そもそも彼は男である。
王子は顔にかかった黒髪をくしゃりとかき上げた。
「何で俺は王子なんだろうな」
至極真面目な顔でのたまう王子に、コンラートは思わず笑ってしまった。
「いきなり何だアレン。哲学問答でもする気か?」
笑いとともに、口調も随分くだけたものになる。
「あーいいな、この、身分を超えた友情っぽい感じ」
アレン王子がくくっと笑う。
「そうかそれは何よりだ。で、私に用事とは?」
親友の言葉をさらりと流し、本題を促す。
「つれないな。まあいいや。用事ってのはこれだ」
アレンはそう言って、執務机の奥に掛けられたドレスを指し示した。
「これを姫君に送ろうと思ってな」
レースがふんだんにあしらわれた薄桃色のドレス。少し肩の空いたデザインは、着る人のデコルテを美しく際立たせることだろう。
これを贈られて喜ばない女はいない。そう断言できるほど、この王子の贈り物のセンスは素晴らしい。
それは彼の幼馴染みであり、側近でもあるコンラートも認めるところである。この類いまれなるセンスは、最近さらに磨きがかかったように思える。その代わりにダンスが下手になったような気がするのが玉に瑕だが。
「だがこれ、ヴァルトフォーゲル公爵令嬢には少々可愛すぎないか?
彼女にはもっと赤とか黒とか……」
コンラートの言葉に、アレンがぷっと吹き出す。ヴァルトフォーゲル公爵令嬢とは、あのシャルロッテ姫のことである。
「おまえなぁ。いやまあ確かにそうだけど。
ところでコンラート。俺はこのドレス、シャルロッテ姫に贈るつもりで用意させたんじゃないぞ」
「え?」
目を丸くするコンラートに、アレンは一人の姫君の名を告げた。
「ユリア・リーネルト。彼女になら、よく似合うと思わないか?」
「おまえ、何を……」
コンラートの白皙が、わずかに険を含む。
「別にいいだろ? 彼女だって俺の花嫁候補だ。
それとも……妬けるか?」
アレンがさも面白そうににやりと笑う。そして、からかうような口調で続けた。
「おまえ、彼女に惚れただろ」
「何を言うかと思えば」
コンラートはため息をついた。
「私が言いたいのはそういうことじゃない。
確かに彼女は魅力的だ。私が自分からダンスに誘いたいと思ったのは彼女が初めてだ」
彼の言葉に、アレンはほらな、といたずら小僧のような顔で笑う。
コンラートは苦笑した。
「だがおまえも彼女に惹かれたんだろう?
わざわざドレスを贈りたくなるくらいには」
コンラートがそう言うと、アレンは先程の表情から一転、思案顔になった。
「どうかな。少なくとも今は、ただの純粋な興味だ。
そもそも俺、あんまり女に興味ないんだよなぁ」
ぼやくように発せられたその言葉に、コンラートは瞬時に三歩ほど後ずさった。
「何だよ」
アレンが怪訝な顔をする。
「いやだって、女に興味ないんだろう? ということは……」
コンラートは尚もじりじりと後ずさる。
「いやいやいや、別にホモじゃないし。大体瞬時に自分が狙われてると思うとか自意識過剰かよ」
アレンはため息をついた。
「別に襲わねえから。ほれ近うよれ」
王子様というよりお殿様のような口調で、アレンはコンラートを再び呼び寄せる。コンラートは渋々元の位置まで戻った。そして、親友に問う。
「で、結局おまえは何が言いたいんだ?」
別に、とアレンは言った。
「大した意味はないんだけど、俺はこのドレスをユリアに贈るから、おまえはこれに似合う髪飾りでも彼女に贈ってやれば、と思っただけだ。折角だし」
コンラートは思わず首を傾げた。こいつ、こんなに掴みどころのない奴だったっけ。まず何が『折角』なのか皆目見当がつかないし、もしアレンがユリア姫に少しでも好意を持っているのだとしたら、何故わざわざ敵に塩を贈るような真似をする?
まあ、考えても無駄か。
コンラートは笑った。
王子という生き物は、得てして一般人には考えもつかないようなことをするものである。
「なら、そうさせてもらうよ。『折角』だし」
アレンにそう言い、コンラートは王子の居室を後にした。
あの美しい金髪にはどんな飾りが似合うだろうか。
まるでお伽話の主人公のような、かの姫君への贈り物を考えながら歩くコンラートの足取りは、いつになく軽かった。




