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曲が一旦終わった。
ああやっと飯が食える。
鳥の丸焼きを筆頭に、超一流ホテルのビュッフェもかくやとばかりに並ぶ料理の方へと、直樹は嬉々として向かった。
か弱い少女へと性転換してしまったおかげで、食べられる量は減ったが、脂っこいものを食べてもこの身体は胃もたれを知らない。
ついでに言えば、浴びるほどビールを飲んでも翌日に響かない。
若いってすごい。しみじみと直樹は思った。
熱っぽい目で上座の美丈夫のところへと向かう令嬢達を横目に見つつ、直樹はそれとは真反対の、魅惑の料理の下へと歩を進める。
行く手には、先程から一際大きな声で談笑している若い貴族達の姿があった。
身なりから、おそらくそれなりの家格の御曹司達と思われる。
皆、顔立ちもそれなりに整っている。
だが、どうも品がないというか何というか。
一瞬、彼らの後ろに深夜のコンビニが見えた。
うん、しっくりくる。
そんなことを思いながら、直樹はてくてくと歩く。
コルセットのせいであまり食べられる気はしないが、それでもこの食事、見逃すには余りに惜しい。
ふと、深夜のコンビニに溜まる系貴族の面々と目が合った。
彼らの談笑の声がぴたりと止む。
さては超絶美少女ユリア・リーネルトに見惚れたか。
そう思ったが、何か違う。
例えるならば、そう、暗い河原で真っ白な着物を着た女と出くわしたときのような。
まあ、彼らが出くわしたのはおっさんの魂を宿す美少女である。
妖怪の一種ではあるかもしれない。
だが、今までの演技は完璧だったはずだ。
マティアスのリードで楚々と踊る姿など、色々な意味で鳥肌が立つほどの美少女ぶりであったと自負している。
……まあいいか。それより飯だ飯。
とりあえず彼らのことは気にしないことにして、直樹は先を急いだ。
が、直樹の手が食事に届くことはなかった。
視界を銀の髪が横切る。
何だよこいつ、俺の邪魔をしやがって。
剣呑な目つきになる直樹の前に、銀の髪の持ち主は恭しくお辞儀をした。
「ギレッセン伯爵コンラートと申します。
姫君、一曲お願いしても?」
気がついたときには、実に自然な動きで手を取られていた。まるで、そうなることが必然であるかのように。
光の加減によっては金色にも見える瞳が、まっすぐにこちらを見ている。
そう言えば、すでに次の曲が始まっていた。
飯食いたいんだけど。
そう思ったが、ここは空気を読むべきか。
直樹はにこりと微笑んだ。
「ええ、喜んで。ユリア・リーネルトと申します、伯爵さま」
華やかな音楽に乗せて、ステップを踏む。
頭ひとつ分高い位置にあるコンラートの顔を見上げれば、目を合わせて、さり気なく微笑んでくれる。
シャンデリアの光を受けて輝く銀の髪。それすら引き立て役にしてしまう、完璧に整った白皙。
舞踏会で踊っているのだから、当然腰に回されている腕。だが、その密着具合がまったくわざとらしくない。
あ、こいつ相当遊んでやがるな。うらやましい。
ギレッセン伯爵コンラート。彼もまた『ケンブレンシュタットの白百合姫』の攻略キャラクターの一人である。
人気投票の票数ではアレン王子に及ばないが、彼は包容力溢れる大人の魅力で、おばちゃん、失敬、かつての乙女、いやいや、大人のお姉様方に絶大な人気を誇る。
通常シナリオの他に、定期的に催されるイベントでは、メインキャラクターに据えられることも多い。
まあ経済力があってバンバン課金してくださるお姉様方がバックに大勢控えているのだ。
そりゃ運営としても彼を持ち上げないわけにはいかない……いや、乙女ゲームの世界に金の話を持ち込むのはやめておこう。
ちなみに、彼はアレン王子の親友でもある。その親密さから、ある一部のお嬢様からも絶大な支持を得ているとかいないとか。直樹にはよくわからない世界だが。
それにしても、彼と踊るのは正直楽しかった。彼に任せていれば、自分の身体が自分のものでないように(まあ実際自分のものではないのだが)軽やかに舞う。羽根が生えたようだ。
見つめれば、微笑みを返してくれる。安心感が半端ない。
どうよエルマ。
直樹は心の中で、今ここにはいない侍女に話しかけた。
このアラフォーのおっさんの、完璧なヒロインっぷり。
一曲があっという間だった。
曲が終わり、側を離れるとき、彼は手の甲に口づけを残していった。
何なんだよ。何か、もう。
何というか、世の女性が『紳士』に求めるのがこういうものなのだとしたら、そりゃ日本に紳士はいないわな。
とにかく、今度こそ飯を。
何だかさっきからやたらと鋭い視線が突き刺さっているような気もするが、とりあえず飯だ。
足を踏み出そうとした、その瞬間。
また捕まった。
「ユリア姫、今度はぜひ俺と」
かすれ気味の声が、甘い余韻を伴って耳に響く。
その声とともに、先程のコンラートのときとは違い、やや強引に手を取られた。
「……あ」
直樹はぱちくりと瞬きをして、男を見た。艶やかな黒髪、意志の強そうな切れ長の目。
令嬢達の熱っぽい視線にもあまり興味が無さげだった王子が、今目の前に。
「どうして、私なのですか?」
思わず言ってしまう。
「へぇ。コンラートは良くて俺はだめなのか?」
いや、そういう問題じゃなくてですね。
令嬢達の視線が痛すぎる。
中でも一際強い威力を放っているのは、言わずと知れた。
怖い、めっちゃ怖い。
これが16やそこらの小娘の迫力か?
やばい。シャルロッテ様がみてる。




