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キャシー

 今日もまた性懲りもなく、彼はゲーム機の電源を点けた。彼の持っているソフトは今ゲーム機に挿入されている一本のみで、タイトルは「Cathy」。そもそも彼がこのゲーム機を買ったのは、この「Cathy」をプレイしたかったから。というのが理由で、他のゲームなんて最初から眼中に無かった。ジャンルは『ドラマティックシューティング』所謂シューティングゲームだが、数多あるシューティングゲームと違い、主人公キャシーの元を訪れる心を病んだ依頼人の精神を、キャシーの持つ能力でケアするというのが大まかな内容である。

 キャシーは『心』を弾丸にして撃ちだす事が出来る。その能力を利用して依頼をクリアするのがこのゲームの主な目標となる。依頼内容は、依頼主の心に住む魔物をキャシーの正義の心で撃ち抜くタイプの依頼や、依頼主の心を誰かの心に撃ち込み、届かぬ想いを届けるというものまで、様々だ。

 ユニークな発想と有名なイラストレーターを起用したキャシーのキャラクターデザインにより、一時期はネットで話題になったが、売上は思った以上に伸びなかったらしい。

 彼は二年以上、このゲームをやり込んでいる。過去、これ程までにやり込んだゲームが無かった彼にとって、驚くべき事態だったが、そんな事はどうでもよく、今「Cathy」をプレイ出来ているという事実だけが彼の脳内を圧迫していた。

 パチ、パチ、パチン、カッ、カチ、カチ。コントローラーの操作音。BGM。キャシーの声。魔物の断末魔。どれもが身体に染みついている。ふと、彼は思った。

「どうして俺は、飽きもせずにこんなゲームをひたすらにやり込んでいるのだろう」

 もう何度目になるか分からないイベントムービーをスキップし、攻略法を完全に覚えているボスをノーダメージで撃破する。

「Good luck」

キャシーの決め台詞がボイスと共に字幕で浮かび上がる。助けを求める哀れな魔物の眉間を、正義の弾丸が撃ち抜く。


「助けてくれ! 命だけは!」床に投げ出された彼の眼前を覆うキャシーの美しい姿態は、今では恐怖を飾る装飾になっている。

「嫌よ。あんたは私を裏切ったじゃない」

「違うんだ、俺は……お前を助けたかっただけなんだ。正義の味方気取りなんかじゃ……」

「そう。でも、あんたが逃げた事に変わりはないわ」

「そんな……」

「じゃあね……本当は、大好きだったよ。Good luck」キャシーの目から涙がこぼれた。

 眉間に銃が突き付けられた。

 目が覚めると、いつもと同じアラーム音が鳴り響いている。最初は好きだったはずの曲なのに、この曲を聴くと仕事に行かなければならないと思うので、今ではすっかり嫌いな曲になってしまった。

 しかし今日は、嬉しい事に「Cathy」吹き替え版のキャシー役の声優、『間宮実』のインタビューを記録するとうい内容の仕事だったので、彼はこの仕事を始めた時のような初々しい気持ちで、仕事の準備にかかった。

 満員電車を降り、雑多なコンコースを抜け、目標のビルへ向かう。

「よろしくお願いします。間宮実です」

 彼はスタッフに挨拶をしてまわっている間宮実の声に、聞き覚えがあると思った。彼の持つ「Cathy」は吹き替え版ではないので、何か別の要因があるのだろうな。と彼は思ったが、何も思いつかなかったので、機材の準備に取り掛かる事にした。

「間宮さんは、ゲーム『Cathy』で声優デビューされましたが、初めてキャシーを演じた時、どのようなお気持ちでしたか?」

「そうですね、初めてで、とても緊張していた事は覚えているのですが、精一杯、恥ずかしくない演技をする事に必死で、後の事はあまり覚えてないです。あ、でも、私モデルガンを集めるのが趣味なので、最初キャシーが銃を使って戦うって聴いた時、すごく嬉しかったです」

「なるほど……では……」


「それ、銃? 本物?」真辺の持つ学校には似合わないその黒い塊を指さして言う。

「なわけ無いでしょ。モデルガンだよ。モデルガン」

 真辺はそう言ったが、彼には真辺の手に握られているそれが、実銃であるような気がしてならなかった。

「なんでそんな物持ってきてるんだよ……先生に見つかったらどうするんだよ」

「大丈夫だって。その時はあんたが持ってきた事にするから」

「おい! ……て言うかお前、高かったんじゃないの? それ」

「まあ、ウン万円くらい……」言いながら、彼に銃口を向ける。

「ウン万って……もったいない、俺ならもっと有益に使えたよ、そのお金」

「なにぃ~、そんな事言う奴は、こいつで眉間を撃ち抜くぞ!」

 無邪気に笑う彼女と眉間に突き付けられた銃口が、そのまま彼女の心を物語っているような気がした。ああ、またこの感覚だ。この人は必ず、俺が守らないと。彼はまた、そう思った。


 間宮実は、真辺実だった。彼の知る真辺は男勝りな喋り方で、声もそんなに高くなかった。髪も短かったし、スカートなんて制服以外で履いている所を見た事が無かった。目の前の真辺は、本当に真辺なのかと疑ってしまうくらいだった。

それにしても、どうして気付けなかったのだろう。と思い、それはつまり、それだけ彼の中で真辺実の存在が特別であるという事に他ならなかった。


「あんた、私の事好きだったんでしょ?」キャシーが真辺の声でそう言う。

「助けてくれ! 命だけは!」眼前を覆うキャシーの顔を見ると、それはいつも見ているキャシーの物ではなかった。恐ろしくなり、彼は目を瞑った。

「なんで知ってるかって? そりゃあ、ここがあんたの夢の中だからだよ。それにあんた、私にあれだけしてくれたのに、私の事好きじゃない訳無いでしょ?」

キャシーは銃を捨て、彼の背に手を回す。 

「私を忘れようとしたって、忘れられないんだね。かわいそう……」

「助けてくれ……」

「今までありがとう。本当にありがとう。あんたが居なかったら……」

 キャシーの肩が震え、堪え切れない嗚咽が、彼の鼓膜を揺らす。

「助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ……」

「大丈夫。大丈夫だよ……ありがとう……」


 真辺に呼び出されたのは、それが最初で最後だった。深夜の公園で、真辺は待っているとの事だ。彼は真辺の無茶な要求に、何としてでも答えなければと思った。真辺のたった一度きりとなるその呼び出しには、彼にそう思わせるだけの力があった。

「真辺、なんだよ急に。珍しいじゃんか」

 彼はこの後、真辺と共有する事になるだろう物に、なんとなく予想が付いていた。それでも彼は、明るく振舞うしかなかった。

「あのさ……、あの……さ、あの……、うっ…ぇ…」真辺はその場に座り込む。声が震えている。

「おい、大丈夫かよ」

 彼は真辺の傍に行き、背中を擦った。初めて触れた真辺の背は思った以上に小さく、脆く、暖かく、どうしようもなく弱くある事を強いられている背だと思った。

「あのさ……あのさ……」

 泣いている真辺を見るのは初めてで、焼きつくような胸騒ぎが止まなかった。同時に、逃げ出したいという気持ちが、彼の意識の外で蠢いている。

「……言いたくないなら、言わなくてもいいんだ。な? 俺は、何があってもお前の味方だからさ……」

 こんな事を言う事しか出来ない自分に、この子を守る事なんて出来ない。彼は胸の奥でそう思っていた。けれど、そう思いたくない。と、彼の内側で何かが叫んでいた。


 真辺の家庭については、色々な噂があった。その影響で、真辺の周囲には人が居ない事も彼は知っていた。真辺があの夜彼に打ち明けた話は、彼の予想通り、彼を真辺の抱える闇へと引きずり込むものだったが、それでも彼は決心した。

どうしてこんな事になったのだろう。彼はそう回想したが、はっきりとは覚えていないというのが本当の所だった。まだ高校生だった彼に残る萎れ切ったヒロイズムの所為か、もしくは、今か今かと開花を待っていたエゴイズムの蕾の所為か。

 彼は、真辺と逃げる事にした。我ながら馬鹿な事をした。彼は何度もそう思ったが、その度に、何度も決心を繰り返した。


「……で、結局その約束を守れず、あんたは私を頼ってきたってわけ?」

客の前にもかかわらず、デスクの上に足を組み、タバコをふかしている目の前の女に、彼は頼る相手を間違えたと思ったが、もう逃げられるような、そんな空気では無かった。

「でもそれって、あんたの自業自得じゃない? 正義の味方になったつもりだったのかもしれないけどさ、正直言ってダサいよ。あんた」

 言い返す言葉も無かった。ダサいと言われて、また逃げようとしていた事に気が付き、彼はまた自分を嫌った。

「……でもさ、アタシそういうの嫌いじゃないよ。アタシから見たらあんたはダサいけど、その子からしたらさ、多分……あんたは、正義のヒーローだったんだと思うよ」

「…………」

「だ・か・ら、その依頼、受けてあげるよ。あんたのためじゃなく、その子のためにね」

「あ、ありがとう! 俺も、出来る事なら何でもするよ!」

「あんたに出来る事なんてあるの?」

 彼はさっきまで感じていた居心地の悪さなど忘れきり、今なら何でも出来るような気さえしていた。

「ああ。今なら何でも出来る気がするよ! あんたを頼らなくてもいいかもって思えてきた」

「あんたねえ、アタシがちょっと下手に出てみりゃあ良い気になって!」

 キャシーが怒りを露わにし、彼を壁際まで追い込む。ホルスターから拳銃を引き抜き彼の眉間に突き立てた。

「ちょ、ちょっと! 嘘です嘘、嘘だって! 助けてくれ! 命だけは!」

「Good luck」

彼は咄嗟に目を瞑ったが、いくら待とうとキャシーが引き金を引くような気配がする事は無かった。

 ギィ、とドアの開く音がしたので、恐る恐る目を開けてそちらを見ると、キャシーの後ろ姿がドアの向こうで夜の闇に溶けようとしていて、次の瞬間、ドアは閉まっていた。



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