第96章
洋一は、あわてて立ち上がった。ほんのちょっと休むつもりが、眠ってしまったのかもしれない。太陽の位置はそう変わっていないのだが、この時間は太陽が見た目はほとんど動かないから、1時間くらいはたっていても不思議はないのだ。
あわてて病院に戻る。
病院にも人気はなかった。あの医者もいない。病室のドアをそっと開けてみると、ミナはよく眠っているようだった。頬の紅潮も治まっていて、どうやらあの医者の対処は正しかったらしい。
洋一はほっとして、隣のベッドに腰掛けた。
腹もくちくなったし、次の行動に移りたいところだが、ミナが目をさまさないと動きようがない。
さっきの群衆も気になるし、今更島内見物もないだろう。
あくびをしてから、洋一は眠くなっていることに気がついた。さっきは不自然な姿勢で眠り込んでしまったくらいだから、疲れているのかもしれない。
ちょっと迷ったが、洋一はベッドに潜り込んだ。本当を言えばミナの隣でベッドに入ったりしたくはなかったのだが、別の病室を探しに行くのもめんどくさかったし、ほんの少しだけ横になるつもりだった。ミナが目を覚ます前に起きればいい。
横になると同時に寝込んだらしい。フライマン共和国に来てから、不眠症とは完全に決別している。洋一は、もともとどこでも眠れるタイプなのだが、最近はその技に磨きがかかっている。
夢は見なかったような気がする。
唐突な感じで目を開くと、薄暗い天井が見えた。
妙に暑苦しい。それに、身体の片側に圧迫感がある。鼻がむずむずしている。
反射的に起きあがろうとして、洋一は凍りついた。身体が動かない。
恐る恐る横を見ると、黒い頭がぴったりとくっついていた。
圧迫感も、暑苦しさも、これで判った。誰かが、洋一にしがみついているのだ。
以前にパットが似たようなことをやっていたから、こういう事態は初めてではないが、それでも慌てないわけではない。
一瞬パニックに陥った後、洋一は心を鎮めた。急速に頭がはっきりしてきて、現在の状況を認識する。
可能性を検討してみるまでもなかった。現時点でそんなことをするのは一人しかいない。
ミナが、洋一のベッドにもぐり込んでいるのだ。
身体のあちこちを順番に動かしてみる。どうやらミナは、洋一の左腕にしがみつき、しかも足をからませているらしい。その上顎を洋一の肩に載せている。
従って、洋一は身体の左側をほぼ拘束されているようなものだ。右側は自由に動かせるのだが、全身でしがみつかれているのでそれも容易ではない。
洋一は、まずそろそろとミナの腕を外しにかかった。ミナはよく眠っているらしく、腕を解いても大人しくしている。
すべすべのミナの二の腕をそっと広げ、慎重に自分の腕を抜いていく。そのため、かなり不自然な姿勢をとらなくてはならなかった。
腰に気をつけながら、上半身をミナから引き離す。毛布をはぐと、ミナの全身が顕になった。
洋一は、思わずじっくりと見つめてしまってから、目を反らせた。ミナは、暑かったせいか下着姿になっていたのだ。
特に、下半身は太股がモロに洋一の足に巻きついている。それに気がついた途端、身体が反応してしまうのを止めることが出来なかった。
目を背けたまま、じりじりと身体をミナから引き離して行く。
ミナの太股と洋一の足との密着部分が熱い。まさか、ここまでやってくれるとは思わなかったが、そこがミナの恐ろしいところなのかもしれない。
洋一だって若い男だから、美少女に半裸でしがみつかれたらうれしくないわけはないのだが、こういう挑発はしてほしくないものだ。
どうも、フライマン共和国の美女たちは露骨に迫ってくる癖がある。
故意なのか無邪気なのかは別として、洋一の忍耐力が試されているのは確かだった。洋一が、世界でもっとも奥手と言われる日本人でなければ、とっくの昔にどうにかなっているだろう。
そんなことを考えているうちに、洋一はやっとのことでミナの熱い身体から逃れることができた。
ミナは、かすかな吐息とともに寝返りをうった。メチャクチャに色っぽいというわけではないが、男性週刊誌のグラビア程度には挑発的である。
洋一だって、成人の男である。いくら奥手の日本人青年だとは言っても、セックスくらいなら今までに数度の経験はあるのだが、いずれの相手もミナほどの美少女ではなかったし、ましてやこういう状態の美少女を見下ろすなどという体験などあるはずがない。
ただ、洋一は自分でも驚いたことには結構冷静だった。
洋一の平常心や自制心が向上したというよりは、美少女慣れしたのだろう。パットの親愛の表現や、メリッサほどの美女と四六時中顔をつき合わせるような生活をしていれば、自ずから感動が薄れてゆくというものだ。
それに、ミナはいまひとつ信用しきれないところがある。行動も今までの美女のうちでは一番突飛だし、何か目的をもって動いているのではないかという疑いが捨てきれない。
考えてみれば、今まで洋一の前に現れた美女たちは、いわゆる色仕掛けできたことはなかった気がする。もちろん、ソクハキリのように美女を餌にした例はあったが、本人がその気で迫ってきたようなケースは思いつかない。
そういう意味では、みんな真面目で純情な島の娘たちだった。サラですら、無感動ぶっていても何かかわいいところがある。
ミナはどうなのだ?無条件で信じていいのだろうか?
いや、信じる信じないは別としても、フライマン共和国の内乱の危機が迫っていて、しかも洋一はミナなしでは動きがとれないのだから一緒に行動するしかないのだが、ミナに無条件で従ってしまっていいものだろうか?
その他色々な思考が頭を走ったが、洋一はそのまま静かに部屋を出た。
ミナはよく寝ているようだし、病み上がりの少女をわざわざ起こしてまで話すようなことはではない。
一刻を争う事態であるのは確かなのだが、ここで洋一が焦ったからといってどうなるものでもないのだ。
ドアを音を立てないように閉めてから、洋一はその場で考え込んでしまった。
これから何をすればいいのだろう?
ミナが目をさますまで待っているべきなのだろう。だが、洋一のベッドはミナに占領されているし、もう眠くはない。大体、そばで眠ったりしたら、また同じ事が繰り返されるだけだろう。
ここでぼやっと待っているというのもばかばかしいし、かといってへたに歩き回ってまたあの群衆に追いかけられるのは御免だ。
大体、あの群衆が何が目的で集まってきたのかも判らない。どうやらタカルルとラライスリに関係しているらしいが、言葉が通じないのでは対応のしようがない。
結局は、あの店で待っているしかないのかもしれない。さっきは閉店していたが、野外テーブルは使っていいみたいだから、気長に待っていればいい。
洋一は、病院らしき建物を出た。
外にはあいかわらず人気がなかった。太陽の位置も、あまり変わっていない。もっとも、フライマン共和国ではずっと正午のままで、突然太陽が水平線に沈んで夜になるのだが。
店は、やはり閉まっていた。夜にはまた開くのだろうが、これではコークすら飲めない。
だが、洋一が昼食をとったテーブルには先客がいた。
「アン……だったっけ?」
「ごきげんよう、ヨーイチ様」
アンは、瓶入りのコークを手に澄まして座っていた。