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第95章

 ミナは簡易ベッドに寝かされていた。一応、毛布がかけられているのだが、妙に扱いがぞんざいである。

 洋一が見ているうちに、医者はミナを無造作に抱き上げて、洋一に押しつけてきた。

「ナフトゥ、スリープ」

 今度は判った。

 たっぷり寝させてやればいいらしい。洋一がミナを抱えると、医者は苦笑してウインクしてきた。

 それだけで本当にいいのだろうか。

 釈然としないまま、洋一はミナを抱えて別の部屋に案内された。そこはどうやら個室病室らしく、気持ちの良さそうなベッドが2つ並んでいる。窓は大きいが、厚手のカーテンがあり、ゆっくり休むにはもってこいだろう。

 ミナをそっと寝かせてやると、熱のせいか頬を少し染めたミナは気持ち良さそうにため息をついた。意識はないらしいが、ベッドが判るらしい。

 医者らしい男は、洋一の肩をひとつ叩いて出ていってしまった。

 洋一は、カーテンを引いて照明を落としてから、ミナの隣のベッドに座り込んだ。

 なんだか、おかしなことになってしまった。

 空腹はさらに増していて、痛いくらいである。だが、この状態のミナをほったらかして出ていく気にはなれない。第一、食堂らしい建物は全然見あたらなかったし、外にはまだあの群衆が待ちかまえているに違いない。

 仕方なくベッドに横になってはみたものの、隣りに頬を染めたミナが寝ていて、時々うめいたり吐息を吐いたりするのが聞こえるし、空腹はだんだんひどくなっていく。

 ついに、洋一は起きあがった。ミナを見ると、依然として熱はあるらしいものの幸せそうな微笑みを浮かべている。何か楽しい夢でもみているらしい。

 しばらくはこのままでも大丈夫だろうと判断して、洋一は部屋を出た。

 とにかく、何か食わないことには動けなくなってしまいそうである。

 恐る恐るホールに出てみると、幸いなことにだれもいなかった。群衆は散ったようだ。

 あの医者もいないので、仕方なく洋一は黙って病院を出た。何か食べたら、すぐに戻ってくればいい。

 病院の前は、ちょっとした広場になっていた。さっきは気づかなかったが、むしろ桟橋のこちら側の方が繁華街のようだ。いや、繁華街といっても、数軒の店が並んでいるだけなのだが。

 とりあえず、一番にぎやかそうな方向に歩いて行くと、そこには念願のレストランがあった。

 もちろん、いわゆる「レストラン」という程設備が整った店ではない。むしろ、遊園地などで開店している簡易食堂か、日本の夏の海岸にある海の家に近い。

 それでも、いくつかのテーブルが並んでいて、壁にはちゃんとメニューが張ってある。

 こちらの方には、洋一とミナの噂は広まっていないらしい。店の奥から出てきたTシャツにショートパンツのウェイトレスは、洋一がつたない英語で注文を伝えると、そっけなく頷いただけだった。

 フライマン共和国の常食は、小麦をベースにしたパン風の生地に色々なものを載せたもので、総称してカルという。お好み焼きかクレープと思えばいいのだが、洋一の場合、最近は妙に凝った食事ばかり出されていたので、かえって新鮮だった。

 日本領事館にいたときは、昼飯はあちこち歩き回って大抵カルばかり食べていて、割と気に入っていたのである。ちなみに、朝と夜は領事館の食堂で食べていて、それは大体アメリカ風ブレックファストやディナーだった。

 すぐに、特大のカルとアイスティーが届く。

 カルはともかく、アイスティーの方は本当にティーなのかどうか怪しかったが、とにかく紅茶の味がするし、冷たかった。

 洋一は、猛然と食事にかかった。

 カルをあっという間にたいらげ、アイスティーも三息くらいで一気飲みである。

 ぜいぜい言いながらしばらくテーブルに突っ伏した後、洋一はもう一度ウェイトレスを呼んだ。

 今度はミドルサイズのカルを頼む。念のため聞いてみたが、やはりアイスコーヒーはなかった。最近は、日本人の観光客が行く場所なら、メニューの中に冷たいコーヒーという矛盾した飲み物を大抵は入れてあるものだが、さすがにフライマン共和国、しかもこんな観光客など来そうもない島のメニューには入っていない。

 替わりにコークを頼んで、洋一は椅子にだらしなく寝そべった。こうして、揺れない場所でのんびりするのは久しぶりのような気がする。

 メリッサといっしょにタカルル神殿跡で過ごしてから、なんだか転げ回るような日々が続いている。

 あれは魔法だった。

 あの時、メリッサはラライスリだった。洋一の方がタカルルだったかどうかは判らない。メリッサはどう思っただろう。

 それで、洋一の前から姿を消してしまったのか? それとも、やはり何かの計画通りの行動なのだろうか。

 メリッサが恋しかった。

 やはり、メリッサに恋しているのか。

 洋一は、目を閉じてメリッサの顔を思い浮かべてみた。くっきりと思い出せる。

 洋一の記憶の中のメリッサは、微笑みながらもなんだか影がある。けぶるような金髪を風に流し、少し上目がちに洋一の方を見ている。

 このシーンそのものは、見たことがないと思う。ということは、洋一の中で理想化されたメリッサなのかもしれない。

 それでも、現実のメリッサが洋一の思い出に少しでも劣るとは思えない。もし今会えたとしたら、さらに魅力的なメリッサに出会えるはずだ。

 脳裏に浮かぶ、くっきりとしたメリッサの姿に見とれながら洋一は、やはり俺はメリッサに惚れているんだな、と思う。

 恋をしたことがないわけではなかったが、今までのものとは違う。といって、よく物語に出てくるような情熱的な感情でもない。

 好きだ、という感覚は、LOVEよりはLIKEに近いような気もするが、それでも洋一としては惚れているとしか言いようがない。

 そうだろう、と洋一は記憶の中の恋人に問いかけた。俺は君に惚れている。そして、それはまだ途中だ。これから、もっともっと深くなって行くべきものなのだ。

 だが、洋一の記憶の中で、メリッサの姿はいつの間にか遠ざかり、替わってパットの笑顔が洋一の脳裏いっぱいに広がっていた。

 唖然としている洋一を後目に、洋一の脳裏をサラやシャナが駆け抜けていく。

 パットの純粋な笑顔。

 サラの謎めいた瞳。

 シャナは神秘的に半眼を閉じて。

 彼女たちは、いずれもメリッサに劣らないほど、詳細で精密なイメージとなって洋一の脳裏にあった。

 洋一は混乱して、思わず飛び起きてしまった。自分が信じられない。俺ってそんなに気が多かったのか。

 辺りは、さっきと同じのどかな島の村の風景である。群衆どころか洋一に注目している者すらいない。食堂も閉店しているようで、シャッターが降りていて、あのウェイトレスもいなくなっている。見回してみると、広場にいるのは洋一だけだった。

 今日が何曜日だか忘れたが、もし平日だとしたら仕事もせずにこんなところでのんびりしていられるわけはない、というのは日本の常識であって、フライマン共和国では必ずしも通用しないのだが、それでもこんなところでゴロゴロしているような暇人はいないらしい。

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