第87章
「判った。質問を変えよう」
洋一が押し殺した声で言っても、ミナはのほほんとコーヒーを啜っているばかりである。
「あそこにいたのは第3勢力とやららしいけど、あんなところで何をやっていたんだ?」
「もちろん、漁よ」
隠すべきこととそうでないことが明白らしい。ミナはすらすら答えた。
「漁船団なのよ。言っておくけど、第3勢力の艦隊じゃないわよ。戦争する気はないんだから」
「でも、やろうと思えば出来るはずだよな。俺が気づいたときには、ヨットを包囲していたじゃないか。逃げるとでも思ったのか」
ミナは肩をすくめるだけで何も言わない。
「それなら、あのクルーザーは何をやっていたんだ? 漁をしていたとは思えないぞ」
「もちろん、ヨーイチを迎えに来たのよ」
ミナはあっけらかんと言った。
「あれは、私の父の持ち船で、漁船団といっしょにいたのは偶然よ……と言いたいけれど、まあ半分くらいは本当ってところね。漁船団の出航に便乗して港を出てきたから」
「便乗?」
「用心するにこしたことはないでしょ」
ミナは笑いながら言った。その微笑みは、いかにもいわくありげに謎めいたもので、洋一はうんざりする。
どうして洋一の前に現れる女たちは、どいつもこいつも謎めいているのだろう。みんな美女・美少女なのはいいのだが、裏がなさそうなのはパットだけで、それ以外は全員が何か隠している。あのメリッサですら例外ではない。
しかも、パットは日本語が話せないから、結局本音で語り合える相手がひとりもいないことになる。まあ、現在の状況では本音で話してどうなるものでもないのだが。
「もういい。その第3勢力のリーダーとやらに会えば、全部話してくれるんだろ?」
「多分ね」
ミナは言葉を切って、それから言った。
「ヨーイチ、色々不満はあると思うけど、こっちだって結構せっぱ詰まっているのよ。でなければ、こんな強引な手は使わない。そこのところを判ってほしい」
ミナは真剣だった。
洋一はぎくりとした。ミナの態度が本気に見えたのだ。
「せっぱ詰まっているって。何かあったのか」
「まだ何も。最新の報告では、まだ衝突は起こっていないみたい。でも、逆に言うといつ内乱になっても不思議じゃないくらいなのよ」
「どういうことだ」
「止められているけど、言ってしまうわ。カハ祭り船団が、実際にはカハ族側の奇襲部隊だということは知っているわね。実は、カハノク側にも似たようなものがあるの」
「それは……知っている。カハ祭り船団を攻撃してきた奴らがいたし」
「そんなもんじゃないわ。ヨーイチが見たのは、単なる先走りみたいなものよ。本隊はカハ祭り船団と同じくらいの規模があって、しかもやる気まんまんなの」
「カハ祭り船団と同じくらいだって」
洋一はぞっとした。
カハ祭り船団は、50隻を数えるとソクハキリから聞いている。食事船ほどの巨艦は他にはないが、小型の船でも10人くらいは乗っているだろう。ということは、船団全体で最低でも500人が乗船していることになる。
日本なら500人程度は大した集団ではないが、ここはフライマン共和国だ。500人もの戦闘員を抱えた集団は、もはや軍隊といってもいい。おそらく国内では最大規模だろう。
そして、それと同数のカハノク側の船団が決戦に向かっているというのである。
双方合わせて100隻の船で、1000人がぶつかり合ったらどうなるか。規模が大きいだけに、死傷者が出るのは間違いない。
そして、それは一挙にフライマン共和国全体を巻き込む内戦に発展してしまう恐れが多分にある。
「大変だな」
「そう。しかも、両船団は武装しているという情報があるの」
「武装してるって!」
洋一は叫んだ。
「ええ、軍用の武器じゃなくて、ピストルとかライフルのたぐいだけらしいけれど、それでも武装にはかわりはないわ」
日本大使館で受けた説明では、フライマン共和国は平和で安全である。一般市民はもちろん、警官すら火器のたぐいを持っていないのだ。これは、かつてココ島を統治していた英国の体制から受け継がれたものらしかったが、おかげで喧嘩はあっても人死にまで至る事件はほとんどないと聞いている。
もちろん、フライマン共和国には軍隊があって、軍人たちは武装しているのだが、火器の管理は厳しく、革命でも起こらない限り基地から武器が出回ることはない。
それに、フライマン共和国の軍隊は主に海軍、というよりは沿岸警備隊に近いもので、陸軍は無きに等しく、空軍もヘリコプターや偵察機、あるいは海難救助機のたぐいを数機所持しているだけという。
「クーデターじゃないか!」
洋一の問いに、ミナは首を振った。
「今回の件は、別に政権をとろうとか相手を殲滅しようとかが目的ではないの。単なる意地の張り合いがエスカレートしただけで、そもそも目的があるかどうかも怪しいと見ているわ、私たちは」
「でも武装しているんだろう。軍隊が阻止するべきなんじゃ……」
「軍は完全中立を保っているわ。そもそも、軍としては動く理由がないの。カハ族にしてもカハノク族にしても、別に政府を転覆しようとしているわけではないし、特定の施設を襲おうとしているわけでもない。言ってみれば民事にすぎないのよ。喧嘩ね。ただ、大規模なだけで」
ミナは皮肉に笑った。
「武装にしたって、日本のヤクザと同じくらいなんじゃないかしら。それでも、正面からぶつかったら多分人死にがでると思う。そうなったら……」
そこまで言って、ミナは言葉を切った。
もし人が死んだら、喧嘩ではなくなってしまう。衝撃がフライマン共和国中を走り、対立は一挙に表面化するだろう。「戦争帰り」がココ島中にちらばったら、島中で小競り合いが始まるかもしれない。そこから内戦勅発までは一直線だ。
「なるほどね」
洋一はため息をついた。
大事とは思いながらも、どこか絵空事という気もしてくる。フライマン共和国で何があろうと、日本の民間人でしかない洋一には直接関係がない。今、洋一が日本にいたら、カハ族やカハノク族の内紛になどまったく興味をひかれなかっただろう。それが健全な日本の小市民というものだ。
しかし、今洋一はフライマン共和国にいて、この騒動にどっぷり首まで浸かっている。命の危険があるとまでは言えないが、努力を放棄して逃げたら、その悔いは一生ついて回るだろう。
それに、ここに来て知り合った人たち。パットやメリッサ、サラやシャナ、アマンダに暑苦しいがソクハキリとジョオ、その他にもたくさんいるが、あの人たちとのつながりはもはや断ち切れるものではない。
「判ったよ」
洋一が短く言うと、ミナはひとつ頷いてニコッと笑った。無邪気で明るい、すばらしい笑顔である。女の子は恐ろしい。
アンも何も言わず、それから3人は押し黙ったままだった。