第86章
「ミナ様は、代々ラライスリ神殿の司祭様や神殿長様を輩出してきた、由緒正しい家系のお生まれです。お祖父様は現在の神殿長ですし、ご先祖も代々神殿長をされておられました。ミナ様のお母様は一の巫女をされていますし、ミナ様は2年前にお継ぎの候補になられました」
よくしゃべる娘である。慣れているのだろう、説明によどみがない。しかも日本語でというのは凄い。
ミナはそっぽを向いたままだった。だが、こめかみがピクピク動いている。
「毎年、この時期にはラライスリ神殿で盛大な神事が行われます。ミナ様は、一の巫女候補として当然のことながらラライスリの神事の中心を司られ、昨年初めてラライスリの寄代となられたときは、信者たち一同感動のあまり言葉もない程でした。今年も、もうすぐ神事がやってまいりますが、皆の期待を一身に担っておられ、昨年にも増して神々しいラライスリが顕現されるものと……」
「いいかげんにしなさい!」
ミナが叫んだ。
「黙って聞いていれば、いい気になって」
「ですがミナ様。ヨーイチ様には、ぜひともミナ様のお立場をご理解いただいて、ご協力していただくべきでは」
一見、しおらしげかつミナの為のみを思っているかのようなアンの発言だが、顔を見るとミナをからかっているのは明らかだった。
しかも、言っていることは間違っていないらしく、ミナもそれ以上はとがめ立てしない。
アンは、真面目くさって続けた。
「そういうわけで、ヨーイチ様の最初の質問の答えとして納得していただけたと思います。
ミナ様は、ラライスリ神殿の巫女であると同時に、カハ族でもカハノク族でもない勢力を代表する方です。両者の不幸な衝突を防ぐために、火種となりかねないヨーイチ様を匿うべく、お迎えにあがったわけです。ここまではよろしいですか?」
「ああ」
洋一は圧倒されて答えた。
いつの間にか、アンがミナの代弁者のようになっている。ミナは、アンが話し始めてからふてくされてそっぽを向いているので、洋一はアンに注意を集中していた。
「それでは、ヨーイチ様の第2の質問ですが、第3勢力としましては、とりあえずヨーイチ様をお守りします。現時点では、カハ族およびカハノク族のどちらに身を寄せても、ヨーイチ様のためにならないと思われます。
もちろん、ヨーイチ様の意志は尊重いたしますし、行動もご自由になさってよろしいのですが、まずは第3勢力のリーダーとお会いになって頂きたいのです。その上で、ヨーイチ様の次の行動をお決めになられてはいかがでしょうか」
まるで第3勢力のスポークスマンである。あの怯えたように隠れていた小さな影はどこに行ってしまったのだろう。
「ああ、うん、そういうことなら」
洋一は、へどもどして答えた。
非の打ち所のない説得である。一体、アンはいくつなのだろう。
それに、よどみのない日本語。これで何回目なのか、洋一はフライマン共和国における日本語を解する天才美少女の分布状況について思わずにはいられなかった。
このアンにしても、シャナにしても、本来なら存在すら信じられない。大体、ミナが日本語ペラペラであることすら、ここまでの情報では理解できない。ラライスリ神殿の長の家系が、役職柄日本語の会話能力とかかわっているとは思えないのである。
そのことを言うと、ふてくされたままのミナが言った。
「私のおばあちゃんが、日本人なの。それに、曾祖父も日本の軍人さんだったらしいわ。私が生まれたときには、もう亡くなっていたけれど」
このあたりは大家族が主流で、だからミナたちが物心ついたときには家庭でごく普通に日本語が使われていたそうだ。ちなみにミナの父親は入り婿で、しかも仕事が忙しくてあまり家にいないので日本語は苦手だという。アンもほとんど一緒に育ったようなもので、しかも彼女の場合は日本の変な小説にハマッてしまったために、会話だけでなく祖母に習って読み書きもネイティヴ並らしい。
「へえ。日本人の血がまじっているのに、ラライスリ神殿で出世できたのか?」
言いながらひやりとしたが、ミナは別に気を悪くはしなかったらしい。吹き出しながら言う。
「出世って、ヨーイチはラライスリ神殿を何だと思っているの?」
「だって、祭りがあるって言うし、第3勢力のリーダーだと言うし」
「父が第3勢力のリーダーなのは、ラライスリ神殿とは関係ないわ。そもそも、ラライスリ神殿とか巫女とかいうものは、洋一の想像と全然違っていると思っていい」
ミナは、水筒を取り出してまたあのすさまじく苦いコーヒーをカップに注いだ。
さすがに一気飲みはしない。ちびりちびりやりながら、不機嫌そうに言う。アンの頭が寝だなに引っ込んでいた。
「フライマン共和国のラライスリ信仰の中心なんじゃないのか」
「あのさ、ヨーイチ、私も日本人の宗教に詳しいわけじゃないけど、日本人ってクリスマスとか七五三とかを祝うわけでしょ」
「そうだけど」
「神社にお参りしたら、一応柏手打つよね」
このミナも、日本人の生活については熟知しているものと見える。
「そりゃね」
「だからといって、日本人全員がキリスト教や八百万の神様の信者というわけじゃないし、神社の神主の家系が神聖なものとは思わないよね」
「……なるほど。ラライスリ神殿というのは、つまりは日本の神社のようなものだと」
「もっと即物的なものなの。神殿というのは一応あるんだけれど、それは年1度のお祭りというかイベントを開くための施設、いえ劇場みたいなものなのよ。
そもそもラライスリとかタカルルって、信仰の対象じゃなくてギリシャや日本の八百万の神々みたいな神話的な存在だから、実際に人前に出現したりはしない。現れるとしたら、人間が代理を務めることになる。つまり神殿長だの巫女だのっていうのは俳優やプロデューサーだと思ってくれていい。しかも無給のね」
「……そうなのか?」
洋一はアンに聞いたつもりだったが、アンは頭を引っ込めたまま出てこない。ということは、その通りなのだろう。
「じゃあ神事ってのは公演で、ラライスリが顕現するというのはミナたちが演技するってことか!」
ミナはそっぽを向いている。返事がないということは、その通りなのだ。
洋一は、改めてミナを見た。
なるほど、ミナがラライスリに扮するとしたら、メリッサやパットとはまた違ったタイプの女神が出現するだろう。
美貌についてはメリッサほどではないものの、カリスマは相当なものだ。
あの硬質の美貌で攻めればまさに神々の女王ともいうべき凛々しいラライスリになるだろうし、今のくだけた態度のミナなら庶民的で親しみ深いラライスリになれる。
巫女が女優だとしたら、その候補はやはり美貌がものをいう。ミナが一の巫女候補になったのも当然であるし、おそらくミナの母親もさぞかし美人なのだろう。
ミナのラライスリ姿を想像して、洋一は少し動揺した。頭の中で理想化してしまったせいか、エキゾチックでひどく魅力的なのだ。
あわててパットのラライスリやメリッサの笑顔を思い浮かべて、ミナの幻を脳裏から消去する。これ以上の混乱は御免だった。
大体、メリッサがいなくなったからといって、すぐに別の女にというのはあんまりではないか。
それに、ラライスリ姿ならともかく、堅いミナも庶民的なミナも、メリッサを捨てても欲しいというほどではない。
そういえばメリッサはどうなったのだろう。第3勢力とやらのせいですっかり忘れていたが、どう考えてもメリッサがあの状況で、しかも洋一に何も話さずに消えたというのは不可解だ。
あの伝言にしても、メリッサからだと決まったわけではないのである。
「ミナ、あの伝言は誰からなんだ?」
「伝言って?」
「おい、まさか」
「嘘嘘。大丈夫よ、心配しなくても。あなたのお姫様は、今頃ココ島に戻っているわ」
ミナがおかしそうに言った。
「お姫様って何のことだ」
「決っているじゃない。ヨーイチのラライスリよ」
からかっているらしい。だが、慎重に情報を出さないように話している。これ以上、この線で追求してもおそらくはぐらかされるだけだろう。
ちゃらんぽらんで考え無しのふりをしているが、このミナもただ者ではない。第3勢力の船隊を指揮していた姿の方が、ミナの本性かもしれないのだ。