第85章
「やっぱり気づいてなかったんだ」
美少女は、拗ねたように言った。心持ち首をかしげて、女らしさが溢れている。
あまりにも劇的な変化に、洋一の思考がついていかない。
「ま、しょうがないかな。わたしもパブリックイメージというものがあるから、結構堂に入った演技してるからね」
美少女は、洋一があっけにとられているうちに自分で納得したのか頷いて、どこからともなく水筒を取り出した。
「き、きみは」
「自己紹介するね。私はミナ・ファルカ。こっちは私の従姉妹でアン」
寝棚から、小さな顔が覗いた。呟くような小さな声が聞こえる。
「アンジェリナです……」
ミナと名乗った美少女は、それにかまわず水筒から褐色の液体をコップに注いで、勝手に飲み始めた。
身体の安定のためか、船室の床に胡座をかいている。邪魔な服を脱ぎ捨てているので、Tシャツと太股まるだしのジーンズパンツが視界いっぱいに広がって、洋一は目のやり場に困った。
「うー、やっぱさめちゃってる。魔法瓶じゃなきゃだめよね。でも重いからなあ」
コーヒーらしき液体を飲み下してから、顔をしかめて呟いたミナは、コップをぐいと洋一に差し出した。間接キスとか色気とかそういう気配は微塵もない。
「ま、一杯。まずいけど」
「ああ、ありがとう」
洋一は、ぼんやりと返事してコップを受け取った。そのまま飲み干す。
おそろしく苦くて生ぬるい液体が喉をかけくだっていった。洋一は、思い切り咳き込んで身体を折った。
「きつかった? あたしの好みだから、悪かったかな」
「いや……かえって目がさめた」
ミナが心配そうにのぞき込んでくるので、洋一は無理に笑ってみせた。悪気はないらしい。
「ところで、ミナさん……だったっけ?」
「ミナでいいよ。そのかわり、こっちもヨーイチと呼びたいんだけど」
「ああ、もちろん。ところで、君が何者なのか、教えてほしいんだが」
「いいよ」
ミナはあっさり言った。先ほどの甲板でのやり取りからは考えられない態度である。
「フライマン共和国にはカハ族とカハノク族っていうのがいて勢力を2分しているってことは知ってるよね?」
「ああ」
「あたしたちは、カハ族でもカハノク族でもない、第3勢力」
ミナはあっさり言い切った。しかも、続きを言わずに洋一の顔を見るばかりである。
「それだけ?」
「あたしたちの正体は、それだけ」
「説明はないのか?」
「説明すると長くなるよ」
「いいからやってくれ」
「それじゃ」
ミナは座り直した。嫌な顔ひとつしない。
本当は素直で親切でやさしい性格なのかもしれない。
ミナによれば、フライマン共和国の国民はもともとこの辺りの島に住んでいた民族と、東洋やヨーロッパからの移民の子孫などが混血はしているものの、現在ではほぼひとつの民族と言って差し支えないらしい。といっても混血が進んだせいで、家族の中にいろいろな人種の特徴を持つ人が自然に混在しているそうだ。例えば肌が浅黒い両親から金髪碧眼やアジア系の特徴をそなえた子供が生まれることもそんなに珍しくはないという。
それ故に、人種や民族に基づいた差別や対立はないものの、カハが好きか嫌いかといった傍目には馬鹿馬鹿しい理由が対立の原因になっている。
だが、もともとは同じ民族なだけにカハ族とカハノク族の間に明確な区別があるわけでもなく、両者間の婚姻も珍しくない。思想や宗教が違うので対立しているようなものだ。だから、一旦そこから外れると修正が難しい。
例えば両親がカハ族とカハノク族出身の家の子供は、どちらかに明確に所属しなければどちらでもなくなってしまうわけで、2,3代たつうちに家系としてそういう家が成立してしまい、いつの間にかそういった連中がなんとなく集まって、第3勢力とも言える集団を構成している。
もっとも、何事もなければ別に勢力として認識されないし、第3勢力としての明確な目標や行動があるわけでもなく、カハ族やカハノク族の中心的な連中からはほとんど意識されていないという。
「だけど、最近なんだかやばくなっているでしょ。カハ族とカハノク族。私たちには直接関係ないとは言っても、いつこっちに飛び火してくるかもしれないし、一応警戒することになったんだ」
ミナは淡々と語った。
口調が日本ではそこらへんにいる女の子風なので、つい聞き逃してしまうが、話している内容は結構大ごとである。
それにつけても、目をつぶれば日本の女子高校生としか思えないミナの日本語だった。アマンダやメリッサ、シャナなどの日本語には、やはりどこかに違和感があったが、ミナは完璧だった。
それでいて、顔を見ればエキゾチックな美少女であり、しかもその気になれば冷徹で端正な中性的美少年を完璧に演じられるのだから、洋一はもうわけがわからなくなっている。
「というわけで、あたしがヨーイチを迎えに来たというわけ」
ミナがそう言って結んだ。それで説明は全部済んだと言わんばかりである。
もちろん、洋一は納得できない。
「なんでミナが来るんだ? それに、迎えに来てどうしようと?」
「最初の質問だけど、答えはあたしが第3勢力のリーダーの娘で、日本語が話せて、ついでにラライスリの巫女だから」
「リーダーの娘で、巫女?」
「そう。リーダーというのは曖昧なんだけれど、巫女というのは本当」
すると、寝だなの奥で忘れ去られていたアンが口をはさんだ。
「ミナ様は、ラライスリ神殿の一の巫女候補です。お祖父様は神殿長様です」
アンの日本語もよどみがない。
「様なんかつけるんじゃない! こんなプライベートな席でまで茶番につき合わされたくない!」
「申し訳ございません。ミナ様」
ミナの叱責にも、アンは堪えた様子もなく丁寧に言い返す。どうも、口で言うほどの殊勝さはないらしい。
「ヨーイチ、気にしないで。ほとんど冗談みたいなものだから。この子は日本の変な漫画や子供向け小説にハマッてるだけだから」
ミナが言い訳するように言う。だが、聞いてしまった以上、もっと詳しく知りたいのは人情である。
さっきまでの緊張が解けて、洋一は好奇心満々だった。
「いや、聞きたい。巫女というのは、どういうものなんだ?」
「何でもないわよ」
ミナがそっぽを向く。
すると、アンが寝だなから身を乗り出して話し始めた。生き生きして、瞳を輝かせている。
洋一は、初めてアンをはっきり見た。
小妖精のような、小作りで繊細な顔つきである。年頃はパットと同じくらいだろうが、身体つきのせいでアンの方が幼く見える。
まだほんの小娘なのだが、それでもなかなかエキゾチックな魅力がある。パットと同様、数年後が楽しみな少女だ。