第82章
何かがいる。こんな夜中に、ヨットの上でたったひとりでこういう状況に陥るのは、本来勇敢とはいえない洋一にとってかなりのプレッシャーである。
だが、不思議なほど不安とか恐怖は感じない。それどころか、メリッサについての心配すら小さくなってゆくようだ。
洋一は、ゆっくりと振り向いた。
あたり一面が、光の海だった。
ヨットの上にも、回りの海面にも、大小さまざまな光の球が浮いている。光は、ゆっくりと明滅しながら、洋一に寄ってきていた。
漂光だ。
島の方を見ると、数は少ないものの漂光がぼつぼつ見えている。さっきまで何もなかったのに、いきなりどこから沸いて出たのか、ヨットの回りは漂光で埋め尽くされていた。
しかも、まだどんどん増えてくるようだ。
洋一は、マストの前に座り込んだ。何がどうなっているのかわからないが、この状況で島に向かうのはまずい気がする。
メリッサのことは心配ではあったが、どうしたわけか大丈夫だ、という感覚が強くなってゆくばかりで、あまり気にならないどころか安心してしまっていた。
漂光は、ヨットの上にも上がってきていた。いつかの指揮船での邂逅のときより、はるかに数が多く、行動も積極的である。
今回の漂光たちは、これまでとは違って形や大きさがまちまちだった。大半は球形だったが、平たいものや長く伸びているもの、立方体に見えるものもあり、大きさも直径1センチ以下の光の点にしか見えないものから、一抱えもあるようなものまであった。
ヨットの中央、洋一と向き合うような形で明滅している漂光は、とりわけ巨大だった。
直径が50センチはありそうな巨大な球体で、放つ光も強い。
その漂光は、ゆっくりと上下に揺れながら、明らかに洋一になつくようなしぐさを見せていた。
感情がなんとなく伝わってくるのである。希薄であるが、犬などの動物のそれに近い。
前回の邂逅でもそれは感じていたのだが、今回は漂光が大きいだけに、さらに強く感じる。
洋一は、ためしに両手を広げてみせた。受け入れるジェスチャーのつもりだったが、その漂光はあいかわらず上下に揺れているだけで、近寄って来ようとはしない。
ただ、喜んでいるというイメージがなんとなく増したようだ。
その間にも、他の漂光が洋一の回りに押し寄せてきていた。ヨットの上は、クリスマスツリーの豆電球をでたらめにぶちまけたような淡い光に被われている。遠くから見れば、ヨット全体がぼんやり光っているように見えるはずだ。
漂光は、洋一の身体にくっついたり回りを回ったりしていたが、特にそれ以上のことはしないようだった。洋一自身に引き寄せられたというよりは、洋一の回りが居心地がいいので近寄ってきたらしい。
洋一も、いつの間にかリラックスしていた。眠気すら感じている。本来なら、こんな得体の知れない現象に遭遇しているのだから、もっとパニックに陥るとかするはずなのだが、無意識のうちにこの現象を受け入れてしまっていた。
日本の常識では通じないということを、身体が納得しているのだろう。成長と言えるのかどうかは判らないが、洋一は見事に適応しつつある。
そのまま、どれくらいの時間が過ぎただろうか。洋一は、夢うつつのまま甲板で漂光をみていた。
漂光は、いつまでも洋一のそばを離れようとしなかった。例の巨大な漂光はふと気づくと見えなくなっていたが、そのかわりに直径20センチほどの漂光がヨットのいたるところを漂っている。
なんとなく、洋一を中心とした輪形陣を作って、洋一を守っているようでもある。その他の漂光は、てんでバラバラにヨットの回りに散らばっているが、数はどうやら飽和点に達したらしい。最初のように後から後から沸いてくるようなことはなかった。
それでも、ヨットの上は本が読めるほどの明るさで、これはおそらくココ島の常識に照らしても異常といえるだろう。
波はおだやかだった。ゆったりと揺られながら、洋一はぼんやりと漂光を見ていた。
かなり長い間、洋一と漂光の蜜月は続いたらしい。いつの間にか、真夜中になっていたようだ。
そして、漂光は静かに消えていった。電灯を消すように、光の球が瞬いて、ふっと消滅するのである。そこには、不思議な喪失感があった。
全部消えるのには、5分ほどかかっただろうか。気がつくと、洋一はヨットの甲板でたったひとりだった。
だが、洋一は孤独ではなかった。
何時の間に近寄ってきたのか、ヨットの周囲は漂光とは別の種類の光に取り巻かれていたのである。
最初は、遠くにある漂光かと思ったが、その光は赤や青などのさまざまな色に光っていた。見つめると目が痛くなるような強烈な輝きもある。明らかに、人工の光だ。
もっと目が慣れてくると、海面に浮いているように見えた光の回りに黒々とした影があった。
船だ。洋一のヨットは、十数隻の船に囲まれている。
出し抜けに、その中のひとつから強烈な光が伸びた。洋一の目がくらむ。サーチライトを照射されたらしい。
思わず顔を覆う洋一に、その光の方から何か問いただしているような声が響いてきた。
声が割れていて聞こえにくいのだが、単語や口調からして日本語や英語ではなく、どちらにしても洋一には理解できない。
少なくとも、メリッサではないことは間違いない。とすれば、かなりヤバいことになったということだ。
洋一のヨットを囲むだけの多数の船を動員できる勢力が、ただものであるはずがない。それにこの一糸乱れぬ行動は、ただの漁船の集まりなどではないことを示していると言える。ぶちまけて言えば、カハ族もしくはカハノク族の行動隊の可能性が高い。
もしそうだとしたら、洋一はどう対処すればいい?
こんな夜中に、ヨットで何をしているのかと聞かれても答えようがないし、第一言葉が通じないのだからどうにもならない。
それに、カハ族ならともかく、もしカハノク族の過激派だったりしたら、どんな目にあうか判らない。これだけの船を繰り出して、こちらを包囲していることからして、その可能性は高いと言わざるを得ない。
そういうしているうちに、相手はじれてきたようだ。サーチラントが逸れたかと思うと、相手の船が向きを変えてこちらに近づいてくるのがわかった。
洋一は逃げ腰になる。
しかし、碇の上げ方すら判らない洋一にはどうしようもなかった。
結果として、洋一は甲板に突っ立ったまま、相手が近づいてくるのを待ち受ける形になった。