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第80章

 タカルル神殿跡の丘から降りると、メリッサは洋一の手を離した。洋一の方を見ようとはせず、うつむいたまま港へ向かう。

 洋一も黙って従った。メリッサが会話を避けたがっているのが見え見えで、話しかけられないのだ。

 メリッサは、港に着いても口をきこうとはせず、そのままヨットに乗り込んでしまった。

「ヨーイチさん、すぐ出発します」

「買い物はいいのか?」

「もうすみました」

 そっけない言い方で、メリッサはてきぱきと出航準備を進めた。洋一の方は、あいかわらず役立たずで、船室に追い込まれる。寝棚には、メリッサが買ってきたらしい食料やミネラルウォーターの瓶があった。洋一が寝ている間に、荷物を運び込んでおいたらしい。

 狭い床には、エンジンオイルや燃料の缶が並んでいて、メリッサの仕事の大変さが偲ばれる。こういう力仕事のときは呼んでくれればいいのにと思いながら、洋一は狭い隙間に身体を押し込んだ。

 メリッサが桟橋からヨットに飛び移り、ヨットが大きく揺れたかと思うと、エンジンが始動した。

 ブーンという振動とともに、ヨットが動き出す。

 やけに急いでいるように思える。洋一が船室から顔を出すと、メリッサは厳しい顔つきで舵をとっていた。

 桟橋がみるみる遠ざかってゆく。

 港の方を見ると、騒ぎが起きているようだった。入港したときにはまったく人気がなかった街路に、どこに隠れていたのかと思えるほどの人数が溢れている。

 しかも、人の流れはたった今離れたばかりの桟橋に向かっているようだ。

 歓声とも悲鳴ともつかない声が切れ切れに聞こえてきて、さすがの洋一も異常に気づかざるを得ない。

「メリッサ。あれ、俺たちのせいかな」

 メリッサは返事をしない。

 怒っているのかと思って、気まずい思いで船室に引っ込みかけた洋一だったが、風に煽られて広がった髪の隙間から見えるメリッサの頬が赤らんでいるのに気がついた。

 洋一は、船室から這い出てメリッサのそばに立った。メリッサは、顔を背けるようにして視線を外している。

「どうしたんだ?」

「……ヨーイチさん、ごめんなさい」

 いきなり、メリッサが言った。

 大きく振り返って、日本風に頭を下げる。

「え?」

「あんなことしてしまって、ごめんなさい。自分で言っておきながら、騒ぎを起こしてしまって。反省しています」

「あんなことって……」

 言いかけて、洋一も絶句した。

 けぶる金髪の向こうから洋一の目をのぞき込んでいた紫色の瞳。

 あの魔法の時間。

 忘れていた。どうして忘れていたのか、タカルルの神殿の魔力なのか。

「あんなことって、あの」

「い、いや、なんでもない……」

 洋一も頭を下げた。

 なんだか頭がうまく働かない。夢でも見ていたかのようだ。タカルル神殿跡でのあれは、本当にあったことなのか。

 はっきり覚えてはいる。しかし、実感がないのだ。洋一自身のことではなく、本か何かで読んだことだったような気がする。

 洋一は、無理矢理思考を戻した。

 あのことは、またあとで考えればいい。それより、島の人たちが騒いでいた原因を知らなくてはならない。

 というよりは、確認しなければならないと言った方が良いか。

「それより、なんでみんなあんなに騒いでいたんだろう。なんて言っていたんだ?」

 港の方を振り返ると、桟橋にたくさんの人が詰めかけているのが見えた。これだけ離れていても、かすかにざわめきが聞こえてくる。桟橋は大変な騒ぎになっているだろう。

「タカルル、という言葉は判ったんだけど」

「……ラライスリ、です」

 メリッサがぽつりと言った。

「タカルルとラライスリ?」

「はい。もっと正確に言えば、ラライスリがタカルルを迎えに来た、と」

「ラライスリが、タカルルを迎えに来た……」

 その意味するところは、あまりにも明白だった。

 タカルルが神殿で休んでいたのだ。恋人の一番美しい姿を見ながら、静かにまどろんでいたのだろう。

 そして、ラライスリが来た。

 ラライスリは、恋人であるタカルルを起こさなければならない。恋人なら、起こし方は一つしかないだろう。

 あの時、ラライスリは、そうしたのだ。

「そうか」

 洋一のつぶやきにも、メリッサは振り返らない。ヨットは、エンジン全開で沖を目指している。

 アマンダだったかソクハキリだったかが、確か言っていた。カハ祭りのラライスリは、本当はメリッサがやるはずだったと。

 パットのラライスリは、本当に可愛らしかった。無邪気で可愛くて、きらきら輝いている海の女神そのものだった。

 だが、海は美しいだけではない。すべての生きとし生けるものの母であり、時としては猛々しい生命の象徴でもある。可愛らしい美しさだけではなく、もっと成熟した美を象徴するものでなければならないはずだ。

 だから、本来はメリッサがラライスリのはずだったのだ。それがどうしてパットになったのかは判らない。パット用のラライスリの衣装が用意されていたことからみても、アマンダなりソクハキリなりには何か考えがあったのだろう。

 だが洋一という、予定外のタカルルの出現によって、計画が狂い始めたのではないだろうか。

「ヨーイチさん、このままココ島に向かいます」

 唐突にメリッサが言った。

 もうすでに、港ははるか後方に見えなくなっている。

 エンジンを切り、帆を上げると、ヨットはゆるやかな帆走に移った。

「途中でもう一度補給しますけれど、急ぎますからここからは揺れます。船酔い、大丈夫ですか?」

「平気みたいだ。一度慣れればなんとかなるもんだね」

「良かった」

 メリッサが洋一を振り返って微笑んだ。もうすっかり、もとのメリッサに戻っている。

 洋一は内心ほっとしながら笑い返した。

 メリッサとのことは、もっとよく考えてみたかった。今はどうみてもそういうことを考えるのに適した状況ではないし、あのタカルル神殿の魔法にとらわれて、なし崩し的に妙なことになるのは避けたい。

 幸いメリッサがしっかりしているので、最悪のケースは避けられるようだ。

 それにしてもメリッサの自制心はすばらしい。何度も思うのだが、とてもソクハキリの屋敷で出会った人見知りの少女と同一人物とは思えない。

 自制心だけではない。行動力、決断力を含めて、これだけの能力がある人間は珍しいだろう。洋一など足下にも及ばないといっていい。

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