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第72章

 部屋は、そんなに広くはなかった。せいぜい8畳というところだろう。だが重厚さを感じさせる黒光りした木目を基調とした内装で、いかにも歴史の重みを背負った由緒あるホテルの部屋というかんじである。

 ベッドはダブルがひとつだけだった。欧米風のホテルであるから、これでも2人部屋なのだろう。

 さすがに天蓋つきではなかったが、それでも立派な四支柱付きの高級そうなものである。

 窓は、意外に小さかった。昔の高級ホテルというのは、そういうものなのかもしれない。

 洋一は、とりあえず荷物を放り出してバスルームに入った。欧米ホテルの由緒ある伝統として、ここもやはり足付きの湯船である。

 少し心配したが、蛇口、としか言いようがないコックをひねると、ちゃんとお湯が出た。ボイラーが生きているということは、このホテルはまだ頻繁に使われているのかもしれない。まさか、洋一たちだけのためにボイラーを炊いたとは思えない。

 もっとも、エアコンは効いていなかったから、部屋の中も結構暑くてシャワーも水で十分なくらいである。

 久しぶりに、心ゆくまで真水のシャワーを浴びると、洋一はさっぱりして部屋に戻った。

 エアコンがないかわりに、壁のスイッチを押すと天井のプロペラがゆっくりと回り始めた。こんな設備を使うのは生まれて初めてだった。まさに高級ホテルである。

 だが、Tシャツとブリーフになった途端、ものすごい眠気が襲ってきた。今まで意識しなかったが、今日はめまぐるしいくらい色々なことがあった。その疲れが一気に出てきたのだろう。

 洋一はベッドに倒れ込むと、そのまま意識を失った。

 次に目がさめたのは、猛烈な尿意を覚えたからだった。夢の中でトイレを探していたような気がするが、幸い覚醒することが出来たらしい。

 窓の外は暗かった。

 昨日はかなり早く休んだから、まだ夜が明けていないのだろう。どれくらい眠ったのかは判らなかったが、疲れは嘘のように取れていた。

 とりあえずトイレで用を果たすと、洋一は窓から外を見た。オーシャンビューの部屋らしい。海までは結構遠いようだが、暗い中にも海らしい動きが感じられる。

 空は、ちょうど明けかかったところらしかった。まだ星の光が支配的とはいうものの、明らかに夜明けの兆候が見える。

 そのおかげで、洋一の部屋から見えるホテルのガーデンもうっすらと見えかかっていた。

 何気なく見下ろして、洋一はぎょっとなった。

 ガーデンをいくつもの影が動いている。

 ガーデンといっても、自然のままの丘陵を利用して、ところどころに草木や東屋などを配置した広大な庭で、ほとんど街灯のたぐいもなく、闇に沈んでいるのだが、そのあちこちで明らかに人間と思われる動きがみえるのだった。

 それも、ただ動いているだけではない。海の方から、ホテルに近づいて来ようとしている。

 洋一は、反射的に動いた。

 そっと窓から離れると、服や荷物をつかんで部屋を忍び出る。

 こんな夜更けに女性の部屋を訪ねるのは致命的な誤解を招きかねない行為だが、そんなことにかまってはいられない。

 洋一は、メリッサの部屋のドアを小さくノックした。

 後で考えてみると、よくそんなことが出来たと思うが、このときは平静ではなかったのだ。洋一は、すっかりブルッていたのである。

 あのカーデンでの影の動きは、何かまがまがしいものを感じさせた。洋一は軍隊もゲリラもまだ見たことはないが、何かそういう、殺気みたいなものを発しているような動きだったのだ。

 しばらくしてドアが開いた。何の気配も、訪ねる声すらない。洋一のこぶしが空をきったくらいである。

 そして、メリッサは時間を無駄にしなかった。洋一の顔を見てうなづくと、するりとドアを忍び出た。

 メリッサも気づいているらしい。

 メリッサは、洋一の前に立って進み始めた。ホールと反対の方である。

「メリッサ……?」

「急ぎます」

 洋一の質問を一言で封じると、メリッサは廊下の突き当たりのドアを開けた。非常階段になっている。ガーデンとは反対の方向だ。

「ここから、港に行きます」

「ちょっと待ってくれ。パットたちはどうするんだ」

 メリッサは、振り向いて洋一の顔を見た。ほとんど同じ背丈なので、目と目が真っ正面からあう。

 こんなときにも、洋一はメリッサの美しさに衝撃を受けた。かすかな明かりに照らされているだけだが、それでも女神のように見える。

 今のメリッサは、初めて出会ったときの近寄りがたいほどの気品と威厳を発散していた。

「おいていきます。ジョオもいますし、あの子たちは乱暴なことはされないはずです」

「しかし」

「あの人たちのねらいはヨーイチさん、あなたなんですよ」

 それだけ言うと、メリッサは非常階段を駆け下りた。衝撃を受けた洋一は、呆然としたまま後を追う。

 メリッサは、下で洋一を待っていた。壁にぴったりと張り付き、油断なくあたりをうかがう。

 やがて安全が確認できたのか、洋一に合図して駆け出した。

 洋一は全速力で後を追いながら、あっけにとられていた。

 またしてもメリッサの新しい面を見てしまった。

 これが、今までさんざん見たり聞いたりしてきたあのメリッサなのだろうか?

 自閉症でロクに男と口をきけない少女、料理が好きで純情なお嬢様、普段はおとなしいが、いざというときは思い切ったことも平然とやってのける女丈夫。

 どれも、メリッサの素顔だ。

 そして今知ったメリッサは、状況を冷静に把握して自分の妹すら冷酷に切り捨てることのできる指揮者であり、自らの戦術行動を可能にするだけの体力と行動力を供えた兵士である。

 メリッサも、あのソクハキリとアマンダの妹なのだ。指導者としての才覚はあるということか。

 それに、体力があるのは知っていたが、これほどまでとは思わなかった。洋一がやっとついてゆけるペースで走り、ほとんど息もきらさない。

 ひょっとしたら、メリッサはとんでもない女の子なのではあるまいか?

 メリッサは、そんな洋一の思いに関係なく冷静に動いていた。絶えず周囲に気を配り、出来る限り目立たないように、しかしいささかも速度を落とすことなく、港への道を正確に辿っている。

2人は、暗い道を走った。東の空がどんどん明るくなってきている。まだ夜明けにはしばらく時間がありそうだが、港に着くまでにはすっかり明るくなっているだろう。

 港はかなり遠かった。ガーデンの向こうには海岸があったようたが、その逆の方向なのである。島を横断するほどではないらしいが、それでも島の海岸のそばから正反対の海岸に向かうことになる。

 道は、しばらく行くと立ち消えになってしまった。そこからは、獣道とでも言いたいような山道である。

 直接港につながる道もあるのだが、ほとんど直角の方向に曲がっている上に、メリッサとしては追っ手のことを考えて脇道を行くつもりらしい。

 這い上がったり滑り降りたりするような道を、ひたすらメリッサの後ろ姿を追う。

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