第71章
「それで、どうするんだ?」
ややあって、洋一が言った。
情けない話だが、洋一の方はどうしたらいいか全然思い浮かばない。そのごく一部とはいえ、フライマン共和国の2大勢力がぶつかろうとしているのだ。よそ者の洋一に何が出来るだろう。
ソクハキリが言っていたより事態は悪化している。聞いた限りでは、洋一がカハ祭り船団に同行していようがいまいが、何かが起こるときには関係なく起こるだろう。
「……とりあえず、ココ島に戻ろうと思います」
メリッサがきっぱりと言った。サラはじっと考えていたが、やがて頷いた。
サラにはサラの立場と考えがあるのだと思うが、今のところはメリッサに同行するつもりのようだ。
確かに、今バラバラに動いても仕方がない。サラにしろメリッサにしろ、それぞれの集団の中にいればそれなりの影響力はあるものの、公的には未成年の女性にしかすぎない。
何かできるとしたら、カハ族の実力者の妹であるメリッサと、カハノク族でも知られた人物の娘であるサラとが結びついている、という立場でしかあり得ないのだ。
「わかった。何の力にもなれないと思うけれど、俺も一緒に行くよ」
「ありがとうございます」
メリッサが嬉しそうに言った。
洋一の方は、お役御免だからということで同行を断られるかもしれないとヒヤヒヤしていたのだが、取り越し苦労だったようだ。
サラも特に反対はしなかった。この場に及んでもまだ洋一に利用価値があると思っているのだろう。
それとも、取るに足らない小物だからどうでもいいと思われているのかもしれない。
ポーカーフェイスの奥でどんな考えが渦巻いているのか。あのチェス勝負を見てしまった洋一には荷が重すぎる疑問である。
「とりあえず、今日はもう休もう」
サラが唐突に言った。
「こんな夜中に騒いでもどうにもならない。明日は朝早く出て、なるべく早くココ島に渡る。まあ、カハノクの方も大集団だろうから、今日明日中にどうこうするわけでもないと思う」
それだけ言うと、サラはさっさと歩き出した。
洋一は思わず従いかけてメリッサを見た。メリッサは、むしろ洋一の意志を待つように洋一に微笑みかける。
同じココ島の娘なのに、この違いは何だろう。
それにしても、日本人との混血であり、カハノク族の中ではどちらかというと主流から外れているはずのサラがリーダーシップをとり、ソクハキリの妹でカハ族の女神といってもいいようなメリッサが万事控えめな性格というのは皮肉なのか環境のなせる技なのか。
もっとも、メリッサもやるときは強引なまでの実行力を発揮することは証明済みなのだが。
「行こうか」
「はい」
洋一の言葉に、メリッサは素直に頷いて一緒に歩きはじめた。
居間に戻ると、そこにはジョオがいるだけだった。一人でチェス盤を睨んでいた。どうやら、さっきのサラとの勝負を再現しているらしい。
「おお、メル。みんなはもう寝るらしいぞ。明日早いんだそうだ」
「私たちも、もう寝ます」
口をすべらせたメリッサに、ジョオがニヤリと笑った。
「悪いが、スイートはふさいだままだ。2階のダブルを開けといた。2人一緒でいいんだろ」
「と、とんでもない!」
洋一が叫んだ。
メリッサは何も言わない。だが、顔が赤くなっている。
「なんだ。てっきり話がついとるのかと思ったのに……」
ジョオの方は、大げさにがっかりした様子を見せながらそれでもキーを2つ取りだした。
「部屋はメルに聞け。隣り同士だからすぐ判るだろ。それじゃ、な」
洋一が抗議しようとするのを遮るように、メリッサが手を伸ばしてキーを受け取った。
そのまま、黙って部屋を出る。
あわてて後を追う洋一の耳に、ジョオが「グッドナイト!」とからかうように叫ぶのが聞こえた。
メリッサは無言のまま、ホールの方に引き返した。後ろ姿が頑なで、洋一が声をかけそびれていると、いきなり振り向いた。
「そんなんじゃないんです」
ほとんど聞き取れないような小さな声だった。
「そんなつもりで言ったんじゃない……」
「いや、ジョオさんもジョークが好きだよね。下手だけど」
洋一は急いで答えた。
メリッサが感情的にいささか不安定なところがあるのは、前にも何回かみている。
しかし、あの程度のことでここまで動揺するとは意外だった。潔癖性にしても、反応が激しすぎる。
メリッサは洋一をじっと見ていたが、すぐに背中を向けて進み始めた。何を考えているのか、洋一にはよく判らない。
それきり、メリッサは一言も口をきかないまま、階段を昇ると並んでいるドアの一つに消えた。
洋一に渡されたキーは、メリッサの隣の部屋のものだったが、とりつく島もないメリッサの態度に、洋一としてはどうすることもできない。
まったく、ジョオのジョークも時と場所を考えなさすぎる。長いつきあいなら、メリッサの潔癖性くらい判ってほしいものだ。
洋一は、なんとなくがっかりしたまま部屋に入った。別にメリッサにお休みの挨拶が出来なかったことを気にしているわけではないが、気まずい思いは少しでも避けたい。
そう思いつつも、洋一は苦笑した。
ほんの数日前、ソクハキリの屋敷のホールで女神のような美女と出会って衝撃で絶句した男が、よくもまあここまで図々しくなれるものだ。
タメ口をきくどころか、隣の部屋でその女神が寝ているのに、冷静につまらないことで怒っているのである。
人間はどんな状況にも慣れてしまうということだろう。
部屋は、思ったよりずっと豪華だった。
洋一の家は、典型的な日本の中流家庭だから、旅行したときに泊まるホテルや旅館の部屋はごく一般的なレベルである。
日本を飛び出してからは、軽費節約のために最低のところを泊まり歩いていて、だからホテルの部屋などは、とりあえず夜露がしのげればそれでいい、というところまで認識が下がっている。
もちろん、豪華な分には、それはそれで嬉しい。
ソクハキリの屋敷は凄かった。日本領事館の客用寝室も、多分国家主賓クラスではなくて身分の低い随員用の部屋だったのだろうが、それでもなかなかのものだった。
そして、ジョオのホテルの部屋も、それらに決して見劣りするようなものではなかったのである。