第69章
誰がゲストなのかは解釈の仕方で無数にあるが、とりあえずはフライマン共和国にとってのゲスト、ということで洋一に白羽の矢が立っているらしい。
しかし、日本語で通すとパットだけが取り残される。そのフォローとして、シャナが早口でパットに話しかけて、今の会話を通訳してやっていた。
パットは大人しく聞いていたが、目が怒っていた。自分だけ仲間はずれになっていることに屈辱を覚えているのは明らかだ。
ただ、洋一には笑顔を向けるし、他の連中にも直接的な怒りは向けられていない。どうやら、怒りの対称は自分の日本語能力のようだ。
傍目にも、これから猛勉強して日本語をモノにしてやろうという決意が見えていた。
(なるほど。こうやって、ここにいる人たちは日本語をモノにしてきたのかもしれない……)
洋一には、フライマン共和国の一部で日本語の会話能力が妙に広まっている秘密の一端に触れた気がした。親しい人たちの中にいて、自分だけ会話に加われないどころか何を言っているのかすら判らない悔しさは耐え難かろう。
食後のコーヒーは書斎の方に出るということで、一同は満腹の腹を抱えてぞろぞろと移動する。その頃になると、うまい食事のせいで全員の雰囲気は見違える程改善されていた。
もっとも、反目の原因であるメリッサとパットが、なんとなく仲直りしてしまえば、残りの連中は別に争う理由はないのだ。
そうなってみると、ジョオと洋一を除けばいずれ劣らぬ美少女ばかりである。書斎はいっぺんに花畑のようになってしまった。
ジョオも、メリッサの視線で石化されて、食卓の隅でミネラルウォーターなどを飲んでいたのが嘘のように張り切ってチェス盤を持ち出してきた。
どうやって用意するのか、メリッサが食卓の片づけを手早く終わらせて、コーヒーカップを持って現れる。みんなは、書斎のソファーのそれぞれの場所に陣取って、ジョオとシャナの対決を見守ることになった。
勝負はあっけなかった。
ジョオがあっという間に勝負を決めた。
それでもシャナは、無表情を崩さずに再度勝負を挑む。2回、3回と続くうちに、だんだんと勝負の時間が長くなっていくが、まだまだ腕の差がありすぎるのか、勝敗は変わらなかった。
「シャナちゃん」
「はい」
「ひょっとして初めてか?」
「いいえ。5回目くらいです」
「そうか」
お互い、感情を交えない会話だった。
しかし凄い。
洋一には、ジョオの実力がどれくらいなのか判らないが、チェス盤の使い込まれ方からしてジョオの方は相当年期が入っているはずだ。
そのジョオと、あっさり負けているとは言えまともにやり合っているシャナは、相当なタマだ。
ジョオの方も、全然手加減をしているらしい様子がない。このへんの呼吸というか礼儀は、洋一にはない。いや、日本人には馴染みがないものだろう。
勝負しているシャナは、ポーカーフェイスを崩してこそいないが、額にはうっすらと汗をかいていて、頬も紅潮している。
本気になって勝負しているのだ。
そして、本気になったシャナは綺麗だった。
女の子として魅力的である以上に、一人の人間としての大きさが感じられる。
いつもは性格なのかみんなの後ろに回っているシャナだったが、洋一は改めて彼女も相当な魅力の持ち主であることを再認識させられた思いである。
この、気が多いところが洋一の欠点であり、また回りに受け入れられる長所でもある。
浮気とは言えないが(少なくとも今のところ、洋一は誰の恋人でもないのだから浮気はあり得ない)、パットあたりにバレたらまたひと騒ぎ起きる原因になってしまうだろう。
幸い、そのパットは勝負に見入っていて洋一の様子には気づいていなかった。あいかわらず洋一の腕にしがみついてはいたが。
「替わろう」
突然、サラが言った。
しばらく前からシャナの後ろで腕を組んで眺めていたが、するっと回り込むとシャナのそばに腰を下ろした。
シャナは、サラの顔を見て、それから少しうつむいた。立ちながら、さりげなく右手で頬をこする。
洋一には、うっすらと盛り上がったシャナの瞳の水滴がはっきり見えた。
シャナは、そのままゆっくりとテーブルを回ると、洋一の隣にストンと腰を降ろす。
洋一は動けなかった。
この誇り高い少女に、何と言っていいのかわからない。だが、それが正解だったらしい。
やがて、ほんの少しだけ洋一の左肩に何かがふれ、そのまま定着した。シャナにとっては、それで十分なのだろう。人それぞれのやり方があるということだ。
パットは、気がついていないのか、それとも何らかの妥協をしているのか、何も言わない。
こういう形でシャナの支えになれるなら、それはとてもいいことだと洋一は思う。シャナが魅力的な少女だということとは全然別なことなのだが。
一方、サラはすでに戦闘状態に入っていた。
ジョオの方も、姿勢をただしている。本気だ。シャナ相手のときも、手を抜いていたわけではないのだが、今回は気合いの入り方が違う。
サラの手の進め方が違うのだ。
シャナと比べて、ほとんど躊躇するということがない。ジョオが手を進めると、間髪をいれず自軍のコマを動かし、まったく迷いというものがないのである。あらかじめ、次に動かすコマを決めているとしか思えない。
だが、ジョオの険しくなってゆく表情からみて、サラが自分勝手にコマを進めているわけではないことは明らかだった。
信じがたいことだが、サラがジョオを追いつめている。今や居間にいる全員が2人の対決に集中していた。
やがてジョオが長考に入った。
腕を組んで、盤を睨みつけている。微動だにしない。
サラの方は、背筋を伸ばしてきちんと座っていた。ビンと張った糸のような緊張が見える。だが、膝で揃えた手はゆったりと組まれていて、リラックスしつつ気を張りつめているという雰囲気である。
サラの回りにはかすかなオーラのようなものが漂っていて、いつもの物憂げな様子は見られない。
硬質の美しさがそこにあった。
洋一は感心するばかりである。シャナといいサラといい、今まで何を見ていたのかと思うくらいだ。
特に、サラについてはまったく意表をつかれた。日本領事館で会っていた頃は、そんな様子は全然見られなかったのである。
ジョオが動いた。
おずおずと、何度もためらった後、コマを動かす。
サラは、ジョオの指がコマから離れたのを確認し、すっと自分のクイーンを進め、言った。
「チェックメイト」
ジョオが動かなくなった。
じっと盤を睨みつけ、しばらくそのままだったが、突然叫んだ。
「ヴラヴォー!」