第67章
メリッサは、うーんと伸びをした。リラックスしている。つまりは、洋一のことはその程度しか意識していないということだ。
「あ! いけない」
メリッサが飛び上がった。
「ヨーイチさんとパティを呼びに来たんだった!」
メリッサは、洋一の手を掴んだ。だが、その途端に電気に触れたように洋一の手を離す。
「ごめんなさい!」
「いや……」
「先に行ってます!」
真っ赤になったメリッサは、あっという間に駆け去ってゆく。
洋一は、呆然と立ちつくした。
予想外の行動だった。メリッサは、いつも洋一の予測を覆して動く。
感情的に激しいものがあることは判っていたが、今のはまるで子供、いやハーレクイン小説とか少女マンガの行動ではないか。
とにかく、洋一のさっきまでの理解と違って、メリッサが何らかの形では洋一を意識していることは確かである。何らかの、という注釈をつけなければならないのが悲しいが。
洋一は脱力して頭を振った。
ソクハキリの妹3姉妹は、それぞれ魅力的だが、その分変わっている。洋一としても、変わっているという資質が必ずしも非難されるべきではなく、むしろ個性というかチャームポイントでもあるということは頭では判っている。
だが、平和日本で学生なんかやっている洋一に、そういうことを含めて全部含めて包んでやれるほどの包容力は望むべくもない。
しかし、だからといってメリッサたちと手を切るわけにもいかないのだ。せいぜい、洋一の出来る範囲でがんばるしかない。
それに、なんといってもメリッサにしろパットにしろ、本来だったら洋一なんか近寄ることも出来ない上玉である。少しでも一緒に過ごしたいというのは、洋一の心からの願いでもあった。
洋一は、ホールに引き返した。そう言えば、腹がへっている。
食堂とやらは、どこにあるのかわからないが、歩き回っていればいずれぶつかるだろうと歩き始めた途端、パットがホールに駆け込んできた。
「ヨーイチ!」
「おっと」
どん! と体当たりを受け止めて、洋一は笑った。
腕の中からもがいて抜け出し、洋一の腕を掴んで引っ張るパットは、頬を膨らませている。
しかし可愛い。本当に可愛い。
短い金髪をきらめかせて洋一を見上げるパットには、ロリコンならずとも魅了されずにはいられない。
洋一は、思わずパットの肩と膝裏に手を回し、抱き上げてしまった。これってお姫様抱っこという体勢だったっけ。
パットは結構重かった。洋一の力では、少しでも暴れられたら、たちまち崩れる。
だが、パットの方がすぐに腕を洋一の首に回してきた。
どうやらパランスを安定させて歩き出す。
「アッチ!」
パットはすぐに理解して、空いている方の腕で指さした。
廊下を引き返して、途中で目立たない横道に逸れて少し歩くと、いきなり広い部屋に出た。天井が高く、テーブルと椅子がたくさんある。
テーブルの半分には椅子が載っているし、大半の電灯が消されていて、大部分は使われていないらしい。
正面の一角だけは、電灯が煌々と灯されていて、回りが薄暗いせいで別世界のように見える。
明かりの中心にあるテーブルには真っ白なテーブルクロスが敷かれ、中央には花が活けられた花瓶もあって、どこかの高級レストランのようだ。
近づくと、席にはナイフやフォークが整えられているのが判った。正式なディナーをやるつもりらしい。
パットが、突然短く言った。得意そうな響きがある。
パットの視線を辿ると、メリッサが黙々と皿を並べていた。こちらに気がつかないはずがないのに、視線を向けようともしない。心なしか、横顔の表情が堅い。
洋一は棒立ちになった。
パニックしかけるが、最後の瞬間に踏みとどまって、パットを放り出すのは中止する。
パットをそっと降ろすと、パットは何か言いながら洋一の手を引いて、テーブルについた。
見ると、主座には既にジョオがついている。しかも、真面目な顔をしていながら、目が笑っていて、洋一たちの方からわざとらしく目を逸らせていた。
どうやら、メリッサとパットの争いには局外中立を決め込みながら、洋一の苦闘を楽しむつもりらしい。
サラとシャナも、無表情で料理を運んでいる。だが、サラの口元がピクピクひきつっているのが見えた。シャナの方は特に感情の動きを示す動作はないが、内心では似たようなものだろう。
どいつもこいつも、と洋一は心の中で吐き捨てた。
もっとも、言い訳のしようのない行動をとっているのは洋一自身なのだから、当然の報いではあった。
洋一としてはこんな立場に追い込まれるようなことをした覚えはない。プレイボーイでもない日本の青年なら、洋一と同じ行動しか取れないはずだ。
結局の所、メリッサとパットの側に責任があるのだ。意地を張り合っているだけのようにも見える。洋一こそいいツラの皮なのだが、みんなそうは思ってくれない。
だれが、こんな20年前の少女漫画みたいなことをやりたいものか。
ブツブツ呟く洋一を引っ張って、パットは張り切って席についた。ジョオの前、テーブルの中央に洋一を座らせ、自分は椅子を引き寄せてその隣を確保する。
満面に笑みを浮かべたパットの反対側に、さりげなくメリッサが座った。こちらは、一見して怒っていることがよくわかる。
もともと整いすぎている程の美貌が冴えわたって、オーラが見えるほどだ。
洋一は、2人の間で小さくなっていた。せいぜい、この晩餐が無事に終わってくれることを祈るしかない。
サラとシャナも席につくと、ジョオが何か言った。それから洋一の方を向いて言い直す。
「カンパイしよう。ヨーイチはハタチ過ぎてるだろうな」
「はあ。大丈夫です」
「ワシもハタチ過ぎだから……」
と言いかけて、ジョオが絶句した。
メリッサが、いつの間にかワインボトルを取り出して、自分のウィスキーグラスにドボドボ注いでいる。ほとんどグラスの縁まで注ぎ、メリッサは不機嫌そのものの顔つきでボトルをテーブルに置いた。
ジョオが弱々しく何か言うと、メリッサはジロリとジョオの方を見た。ひと睨みでジョオを沈黙させる。
その向こうでは、サラがグラスに氷を入れて、ウイスキーらしい小瓶の中身をあけている。
「大人の女には年齢がありませんから」
サラはすまして言って、オンザロックを掲げてみせた。
シャナは、大人しくコーラの瓶を開けている。そしてパットはというと、飲み物には興味を示さずに、洋一の腕にへばりついたまま、猜疑心に満ちた目つきでメリッサを注視していた。まだ、油断できないとでも考えているのだろう。
ジョオが、洋一の方を向いて弱々しく微笑んだ。洋一も微笑み返し、ミネラルウォーターをコップに注いだ。ついでに、パット用にオレンジジュースを取ってやる。
ジョオが、洋一の目を避けるようにしてコーラを注ぐ。
全員がコップを持ったところで、サラが仕切った。
少しペラペラと何か言いかけ、言い直す。
「それでは、とりあえずカンパイ」
パットを除く全員が日本語を話すためだったらしい。パット自身は、そんなことにはかまわず洋一にひっついたままである。
それでも雰囲気で判ったらしく、洋一がコップを上げると、自分のコーラを重ねた。
「カンパイ」