第58章
「サラは、私の古い知り合いなのよ」
アマンダはそんな洋一を見ながら、楽しそうに言った。
「私が日本に留学したとき、一応は都心のワンルームマンションを借りてもらったんだけど、父に釘を刺されてね。
ソクハキリと違って女性だし、大都会の真ん中だしで、一人暮らしをさせておくのは安心できなかったらしいわ。
それで、お目付役としてサラのご家族が頼まれたというか……私の父が、サラのお父さまと昔からの友人だったとかで、最初の1年はサラの日本の実家に世話になりっぱなしだった。まあ、最後の1年は、ほとんど寄りつきもしなかったけどね」
確かに、いきなり一人で日本に来た女性としたら、いかにアマンダでも不安があったに違いない。だが、アマンダならじきに日本にも慣れ、あとはスイスイと泳ぎ回ったことだろう。
「その分、かえってご迷惑をかけてしまってね。だから、私としてはサラには借りがあると思っている」
「そんなことはないです」
サラが生真面目に言った。
洋一は、やっと気がついた。サラは、なんとなくシャナに似ている。いや、この場合はシャナがサラに似ているというべきか。
クールで頭が切れて、整った顔立ちとスレンダーなスタイルが魅力的な、ココ島人の娘の頂点のひとつとも言えるかもしれない。
サラは洋一の方を向いた。
「ヨーイチ、私はカハノク族なんだ」
「え?」
「私の父は、カハノク族の中では中心的な一族の出身なの。もっとも傍系だし、日本人の女を妻にしたり、ずっと日本に住んでいたりで、父本人はカハノク族にはほとんど影響力を持ってないけれど。
でも、一般のカハノク族の人よりは情報が入りやすい。だから、最近カハ族との間がどんどん悪化していることも早くから気づいていた」
「それで、ソクハキリさんと?」
「サラの親父さんから、俺のところに連絡が来たんだよ」
ソクハキリが口を挟んだ。
「娘をやるから、使ってやってくれってな。日本領事館に勤めているから、便利に使えるだろうと言っていた。俺も、なんとかならないものかと思って、日本領事館の猪野さんに相談したりしていたからな」
ソクハキリは、ニヤッと笑った。
「ヨーイチ、お前は渡りに船だったぜ。猪野さんから連絡があって、使える日本人が見つかったがどうかと言ってきたから、早速サラに接触してもらった。サラのお墨付きが出たから、使いをやったというわけだ」
洋一は力が抜けて椅子によりかかった。洋一の方で何とか近づきになろうとしている間、サラはじっくり洋一を観察していたというのか。
判っていることだったが、やはり操り人形役をうかうかと演じていたことを思い知らされることは愉快なことではない。
そのへんの人情については、ここにいる連中はあまりかまわないらしいから、洋一がコンプレックスを感じる必要がなくて助かることは助かるのだが。
もっとも、と洋一は思い直した。ソクハキリたちにとっては、死にものぐるいの工作なのだ。洋一に限らず、誰かの感情を考えている余裕などないのだろう。
だが次のセリフが、せっかくの好意的な解釈をぶち壊す。
「サラから聞いて、俺はヨーイチこそ我々が求めていた人材だと確信したね。こいつは女をエサにすれば、何でもやってくれるとな。まあ、気にすんな。男は誰でも同じだぜ」
「はあ。そうでしょうね」
洋一はボソボソと答えた。否定したくても実績がモノを言う。
「何でも」というのは言い過ぎだと思うが、正直言ってメリッサやパットに頼まれたら、それが何であっても断ることが出来るかどうか疑わしい。
沈む洋一をよそに、その場の雰囲気が和気藹々になりかけたとき、メリッサが苛立たしげに言った。
「姉さん。話を逸らさないで。ヨーイチさんのことで何か言いたかったんじゃないの?」
「はいはい。ムキにならなくてもいいのよ、メル」
アマンダが返すと、メリッサはふくれっ面でそっぽを向いた。メリッサほどの美女でもこんな顔が出来るのか、と洋一は目を見張った。
しかし、そんな顔をしても美貌は損なわれない。アマンダのすまし顔と見比べると、なんだか昔のアメリカンファミリードラマを見ているような気がしてくる。
アマンダとメリッサだけを見ている限り、ニューヨークに住む美人姉妹の掛け合いドラマだと言われても違和感がない。ソクハキリの巨大な顔や、サラのエキゾチックな美貌もそれなりに説明がつきそうだ。
唯一役柄からはみ出しているのが洋一というのが皮肉である。この舞台に、平凡な日本人青年はいまいち当てはまらない。
「それで?」
「……ヨーイチ、あなた、ひょっとしてタカルルなんじゃない?」
アマンダは真剣だった。
それが全員に伝わったのだろう。あっけにとられてはいても、笑い出す者はいない。
「タカルルって……神様の?」
「そうよ」
「何かの冗談ですか」
「そうよね。でも、そういう噂が広まっているの。船団全体に。いえ、今朝アグアココから着いた連中にもそういうことを言っていたのがいたから、どうやらカハ族全体に広まっているとみてもいいかもしれない」
「カハ族だけじゃありません」
サラが口を挟んだ。
「カハノク族の間にも、そういう噂が広まっています。私も耳に挟んだだけですが、今度のカハ族の海の祭りには、遠い国から来たタカルルの化身が加わっている、と」
サラが口を閉ざすと、全員が黙り込んでしまった。
「あの、神様って、カハ祭り船団に参加したりするものなんですか?」
沈黙に耐えきれなくなった洋一が言う。ソクハキリは腕を組んで目を閉じたままだ。
アマンダが、洋一の目を見つめて話しはじめた。
「ヨーイチくん、少し長くなるけど、ココ島の神話から入るわよ。タカルルが風と雲を司る神だということは知っているわね?」
「はあ、ラライスリの恋人だとか」
「そう言われているけれど、それはラライスリが海の化身だからなの。ラライスリは強大で、気まぐれ。そんなラライスリをつつんでやれるものは、風と雲しかいない。
そしてラライスリは、海そのもの。気まぐれで、美しくて優しいけれど残酷で、人の意志などには左右されない、運命そのものといっていい存在なの」
「はあ」
「だから、人は本当に重大なことをお願いするときには、タカルルを頼るのよ。タカルルなら、なんとかしてラライスリにとりなしてくれるかもしれないから。怒らせてしまったラライスリを、なんとかなだめてくれるかもしれない唯一の存在なのよ。ココ島人にとってのタカルルという神は。
そういう観点から見ると、カハ祭り船団にタカルルがいるという噂は重大な意味を持つわ。タカルルというものは、神という以上に、ラライスリと同じように運命そのものと言ってもいい。
いえ、直接的に人間の生活にかかわってくるという点では、ラライスリ以上といってもいいわ。言ってみれば、幸運の象徴みたいなものね。
そういう存在が、2つの勢力の片方に一方的に荷担していると思われることが、どんなに重大な結果を招くことになるか、ヨーイチくんにも判るでしょ?」