第48章
洋一好みのカリカリのベーコン。サラダにはスパイスの効いたドレッシングがさりげなくかけてあった。塩味の効いたベーコンと目玉焼きに絶妙に合う。
洋一は、脇目もふらずに食事に没頭した。
腹が減っているためもあるが、それ以上にメリッサの料理が絶品なのだ。アマンダが言っていたように、メリッサはその美貌を抜きにしても最高の奥さんになれるかもしれない。
洋一が夢中で平らげている間、メリッサはにこにこ笑いながら座っていた。マグカップが空になると、すかさず魔法瓶から注ぐ。
一段落して少し落ち着いた洋一は、正面に座って微笑んでいるメリッサに初めて気がついた。
途端に意識してしまう。何せ、ショートパンツから伸びた長い足が、横座りのまま、まるごと目の前にさらされているのだ。
腕を軽く前で組んでいるせいで、タンクトップの下の胸の膨らみが強調されて見える。 髪は後ろでゆるく結び、秀でた額や整った顔立ちがはっきり見える。そして、その顔には甘い微笑みが浮かんでいる。
まるで何かの映画かコマーシャルの一場面みたいだった。
洋一は、視線をそらせてマグカップを置いた。
「ごちそうさま。おいしかった」
「どういたしまして」
メリッサは明るく応えた。昨日の態度とは随分違う。何か起こったのかもしれない。
「どうかしたの?」
「はい?」
「いや、なんだか明るいから。いいことがあったのかな」
「わかります?」
メリッサは、弾んだ声で言った。パッと花が咲いたように顔が輝く。
「いいお知らせがあるんです。ヨーイチさんにも関係があります。あの、仲直りができそうなんですよ」
「仲直りっていうと、カハノク族と?」
「はい。昨日、アマンダが言ってました。連絡が来たんですって。カハノク族と、手打ち? とかいうことをするということで話がつきそうだ、とかで」
「手打ちか」
「それで、船団はここにこのまま泊まるみたいです。色々準備があるらしくて」
「準備か。手打ち式でもやるのかな」
まるでヤクザである。
やっていることは似たようなものだから、そういう表現が似合うのかもしれない。
さすがのメリッサも、手打ちという単語は知らなかったようだが、アマンダなら使いそうである。
それにしても、連絡が来たというのはサラのことなのだろうか。ひょっとして、サラがカハノク族の連絡役なのか。いや、そういえば、サラはカハ族かカハノク族か、どっちなのだろう。母親が日本人だということは、父親はフライマン共和国人のはずだが。
そして、シャナはどう関係するのか?
洋一は、少し考えてから頭をふった。さっき思った通り、洋一には関係ないことなのである。そういうことは、どこかにいるチェスの差し手にまかせておけばいいのだ。
手打ち、結構ではないか。もし本当なら、洋一が無事日本に帰れる確率が跳ね上がるというものだ。
「……まあ、良かったね」
「はい! これで、もう安心してカハ祭りが出来ます。洋一さんが危ないことに巻き込まれることもなくなります」
言ってしまってから、メリッサははっと口を押さえた。それから、恐る恐る下目使いで洋一を伺う。
洋一は気づかないふりをした。ここは黙っておいてあげるのが男というものだろう。
「コーヒー、おかわり貰える?」
「はい!」
洋一の催促に、あわててメリッサが応じる。
お互い、わかってはいるのだが口にはできないというぎこちなさに、2人がなんとなく沈黙したとき、奥のドアが開いてパットが顔を出した。
「ヨーイチ……」
「パット、お早う!」
「パティ、サライシィーラ!」
洋一とメリッサの声が重なった。メリッサの言葉は、ココ島語のおはようらしい。
パットは、寝起きでボケているのか目をぱちくりさせると、フラフラと船室に入ってきた。
メリッサが手早くコーヒーをマグカップについで渡すと、部屋の真ん中で突っ立ったままちびりちびりと飲む。
半分くらい飲んで、両手の平でマグカップを抱えたまま、ソファーにストンと腰を降ろした。
そのままうつらうつらしている。どうやら低血圧で朝が弱いようだ。
洋一は、これ幸いと退散することにした。メリッサと2人きりで朝飯を食っていたことがばれたら、また一騒動起こりそうだ。
パットはメリッサのことになると過激に反応するので、洋一としては出来るだパットをけ刺激することは避けたい。
もちろん、かわいいパットにあれほどなつかれているということはうれしいし、今でもメリッサと同じくらい一緒にいて楽しいのだが。
メリッサといえば、いつの間にか洋一になじんでしまっているようで、洋一の方も最初に出会ったときの気後れが完全に消えている。
初めてソクハキリの屋敷で会ったときの、その美貌に対する衝撃や、食事船で見せた神秘的なまでの神々しさは、今はもうあまり感じない。もちろん、まだ正面から観ると圧力を感じるのだが、何とか天使や女神ではなくて人間に見えるところまではきている。
いや、人間として見ても桁外れな美しさは健在で、ちょっとした動作の美しさや絵になるショットには未だに感動するが、これだけ親しげに話せるようになってみると、メリッサも普通の女性なのだと思えてきている。
もっとも、何かの間違いで親しくなっただけで、本来洋一などには縁のないはずの人なのだという思いは変わってはいないが。
それはパットも同様で、だからこそ洋一はこれだけの美女・美少女だらけの中で間違いも起こさずにいられるわけなのだった。ただの凡人である洋一には、本来は関わり合いのない世界なのだ。
洋一はパットと入れ替わりで奥の船室に入った。隅に干してあるTシャツを取り、今まで着ていたシャツは脱いで代わりに吊す。
手早くパンツも替えると、なんとなくすっきりした気分になった。
真水を使えないので、衣類はとりあえず船室に吊しておくことにしているのだ。そうすれば、半日もすれば乾いている。外に干すと潮風で塩辛くじっとりしてしまうのが船上生活の欠点である。
ただし、今の洋一はわずか数日のカハ祭り船団生活で慣れてしまったようで、じっとり湿ったシャツを着ていてもあまり不快に思わないようになってしまっていた。
メリッサやパットといると、そういう肉体的な不快感などどこかにいってしまうのだ。本当に楽しいことをしているときには、どうな環境でも気にならないことに似ている。
奥の部屋から覗くと、パットはまだぼんやりしていた。コーヒーを飲みながらサラダを口に運んでいる。
メリッサにちょっと合図して、洋一は船室のドアからそっと忍び出ると、甲板に上がった。
外では、カハ祭り船団の各船でも動きが始まっていた。いつものように、各船からボートが食事船に漕ぎよせて朝食をとり、あるいは弁当を受け取っている。いくつかの主要な船では自分たちで炊事しているのか、白い煙上がっていた。
メリッサは、こんなところで朝食の出前なんかしていていいのだろうか。あの宴会で味わったとびきりの料理は、洋一ですら看破したようにコックとしてのメリッサの実力があってこそ、実現できていたはずだ。
その名コックが毎日出前をしているようでは、食事の方の質的な低下は必然だろう。
とは言っても、メリッサが出前してくる食事は、あいかわらず美味である。メリッサは自分で持ってくる分は自分で作っているのかもしれない。