第47章
疲れていたのだろう。あっという間だった。
目を開けてみると、回りがよく見える。
まだ夜は開けてないようだが、東と思われる方角が明るくなっていた。
眠ったのは数時間というところだろうが、夢も見ずにぐっすり眠ったせいか、身体の疲れはすっかり取れて快適だった。
それでも少しぼんやりしていると、東の水平線が光ったかと思うとたちまち太陽が顔を出した。水平線に雲がないせいで、あっという間に回りが朝の光につつまれる。
ほとんど水平方向から射してくる光は眩しくて、洋一は目をかばいながら船室に入った。
船室は真っ暗に見えた。
誰もいない。
そのときになってやっと、洋一は昨夜の気まずい状況を思い出した。シャナとサラを残して船室を出た後、この船室では何が起きたのだろう?
甲板で寝ていた洋一を起こしに来なかったということは、2人の話し合いはそれなりの結論に達したのだろうか。
それなら、シャナはともかくサラはどこに行ったのだろう。
洋一は、少しためらってから奥の部屋に入った。女性の寝室を覗くような後ろめたさを感じながら、恐る恐る寝棚を見る。
すぐにパットが目についた。あいかわらずよく眠っているようだ。寝相が悪いせいか、へそを出したまま、片足が寝棚から突き出ている。
もうひとつの寝棚はからだった。シャナは見えない。
シャワー室もがらんとしていて、どうやらサラもシャナもここにはいないらしい。2人とも船から降りたのだろうか。
洋一は、そっとパットの足を寝棚に戻してから、船室を出た。
眩しい光に迎えられて甲板に出ると、すでにカハ祭り船団のあちこちで動きが見られた。食事船からは盛大に煙が立ち上っているし、あたり一面に広がったカハ祭り船のいくつかが移動を始めたりしている。
しばらく辺りを眺めてから、洋一は思いついて操舵室に向かった。
ここはシェリーがいつも控えている所である。同じ船にいるのに、シェリーはめったに船室に入ってこない。
操舵室というより、独立した部屋になっていて、仮眠できるソファーなどもあるのでシェリーはほとんどここに住み着いている。
いったん甲板に降りて、狭い通路を進むと後部甲板に出る。ここは碇やウィンチといった装備がゴタゴタと置いてあって歩きにくいので、洋一たちはあまり近寄らない。
危なっかしくパランスを取りながら障害物を踏み越えて、洋一は短い梯子にとりついた。 操舵室のドアはここにある。他にも、舷側に非常口があるが、出るにも入るにも技術が必要な位置にあるので、ほとんど使われていない。
洋一は、梯子に昇ったまま操舵室のドアをノックしてみた。
返事はない。
窓から覗いてみたが、明かりもついていないし人の気配もなく、どうやらシェリーも下船しているようだ。
念のために操舵室のドアをひっぱってみたが、鍵がかかっていた。洋一とパットは、移動手段のないまま指揮船に取り残されていたのだ。
勝手に出歩くな、ということなのだろうが、完全に荷物扱いである。それでもパットを残してくれただけマシかもしれなかった。これで洋一ひとりだけだったら精神的なダメージははるかに大きかっただろう。
自分ひとりがピエロではないと知るのは、実に心慰められるものである。
甲板に戻ると、ふと思いついてゴムボートを調べてみた。いつも使っているボートはなかったが、もう1隻が折り畳んだ状態で残っていた。
食事船に行こうと思えば行けるが、そのためにはケースから取り出してボートを膨らませ、船外エンジンをセットしなければならない。
洋一にはうまく組み立てる自信はないし、やれたとしても最低1時間はかかりそうだ。
結局、洋一は船室に戻った。荷物扱いなのは不満だが、荷物を飢えさせるわけにはいかないはずだから、もうすぐ誰かが朝飯を持ってきてくれるはずである。
サラの行動は気になるが、かかわりあいになりたくない気も強い。このまま忘れた方がよさそうだった。
魔法瓶から昨日の残りのコーヒーをマグカップに注ぐ。かなりぬるくなっていたが、飲めないほどではない。
というより、飲むまで気がつかなかったが喉が乾いていたらしく、香りの飛んだコーヒーとは思えないくらいうまかった。
ソファーに横になると、自然に瞼が閉じてくる。誰かが来るか、パットが起きるまで一眠りするかと洋一が思ったとき、かすかなエンジン音が聞こえてきた。もうおなじみになったゴムボートの船外機の音である。
洋一が起きあがって船室を出ると、ちょうどゴムボートが横付けになったところだった。
「おはようございます!」
洋一を見上げて、輝くような笑顔で挨拶したのはメリッサだった。一人だけで、ボートにはお馴染みの食事運搬用バスケットが載っている。
「おはよう」
「遅れてごめんなさい。すぐ、用意しますね」
メリッサは、洋一が手伝う暇もないうちに手早くもやい綱を結ぶと、バスケットを持ったままするすると昇ってきた。
お嬢様風の外見からは想像出来ない動きである。メリッサも、紛れもなく島の娘なのだ。
今日のメリッサは、タンクトップにショートパンツという活動的なスタイルである。裸足で、真っ白でスラッとした長い足が眩しい。
こんな姿で歩き回っていたら、カハ族の間で風紀上まずいんじゃないかと思うくらいだった。
洋一は無理に視線をメリッサの足から引き離し、船室のドアを開けた。
「パットはまだ寝ているんだ。シャナ……とシェリーはいない」
「シャナちゃんは、昨日こっちに来ましたよ。女の子といっしょでした。何だか深刻そうな顔していみたいだったけど」
「そうか」
あの後、2人はアマンダに会いにいったらしい。どういう陰謀なのかは知らないが、あまり派手に洋一を巻き込む行動に出ないでほしいものである。
「それで、シャナちゃんは?」
「食事船に泊まったんじゃないかしら? 空いている部屋はたくさんありますから」
メリッサは、なぜか少しつっけんどんだった。しかし、態度とは別に手はテキパキと動いて、テーブルの上にたちまち食事がならんでゆく。
洋一はサラとシャナのことを忘れた。いきなり猛烈な空腹に襲われて、いそいそと席につく。
その様子を見ながら、メリッサはマグカップにコーヒーを注いだ。洋一に渡してにっこり笑う。機嫌は直ったらしい。
「どうぞ」
「いただきます」
一応、軽くメリッサに頭を下げてから、洋一はベーコンとサラダにかぶりついた。
目玉焼きを取り分け、コーヒーとともに流し込む。
「うまい!」
思わず、洋一は口走った。ほめ言葉というよりは、純粋な感情の発露である。実際、うまいとしか言いようがないおいしさだった。