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第45章

 その人影は、辺りを見回すような仕草をしていたが、急に動きをとめて身構えるように姿勢を低くした。洋一に気かついたのだ。

 洋一が突っ立っていると、その人影はなぜか急に緊張を解いた。そのまま、洋一の方に向かってくる。

 そんなに身長は高くない。黒く見えたのは、濃い系統のTシャツにジーンズの短パンを履いているのと、ココ島人にはおよばないものの、よく焼けた小麦色の肌をしているせいだった。

 その人物は、まっすぐに近づいてくると、白い歯を見せて言った。

「ハイ」

「……サラか?!」

 まさしく、サラだった。日本領事館のタイピストの娘である。

 この「出張」に出される前に、洋一が親しくなろうと努力していたが、もうあれから何年もたったような気がする。

 しかし、あまりに意外な登場だった。

 なぜ、日本領事館のタイピストが真夜中にカハ祭り船団の指揮船に現れなければならないのだ? しかも、公式訪問とは間違っても言えない、まるで夜盗かスパイのようなやり方で。

 それとも、何か洋一の知らない理由があるのかもしれない。

 いや、あるに決まっている。

 カハ祭りについて洋一の知っていることなど、ほとんどないと言っていい。

 それに、最後に日本領事館の庭で話したとき、サラは意味ありげなことを言っていた。

 カハ族とカハノク族の関係にも詳しそうだったし、話した以上のことを知っていても不思議ではないだろう。母親が日本人だという話だし、書記官の猪野や蓮田たちとも、単なる雇い人以上の関係があっても不思議ではない。

 そういえば、サラの父親はココ島人らしいが、カハ族とカハノク族のどちらなのだろう?

 洋一がそんなことを考えている間、サラは腕を組んで洋一の前に立っていた。

 とても夜中にこっそり忍び込んできたようには見えない。それどころか、日本領事館で昼休みに話した時よりもっとリラックスしているようだ。

「とにかく船室に入って。あいにくアマンダさんはいないけど」

「アマンダって……あのアマンダさん?」

「あのかどうかは知らないけど、カハ族にアマンダという名前の人がそういると思えないから、多分そうなんだろうな」

 洋一は船室のドアを開けて、サラを入れた。パットとシャナはまだ寝ているらしい。パットにサラといっしょにいるところを見つかったら何が起こるかわからないが、2人ともまだ子供だし、もう夜遅いから起きてくる心配はほとんどないだろう。

 洋一は、ソファーに座ってサラにコーヒーを勧めた。サラはゆったりと座り込んで、もの珍しそうにあたりを見回していたが、マグカップを受け取ると礼を言ってうれしそうにすすった。

「おいしい。喉がカラカラだった。ずっとボートを漕いできたから」

「ひとりで?」

「ああ。暗くて、迷って、たどりつけないかと思った」

 どうも、言葉がぶっきらぼうというか、男に近い口調になっている。

 サラはポーカーフェイスだが、そんな苦労をしてまでこんな夜中に来なければならない理由とは何なのだろうか?

「ところで、何しに来たんだ?」

 洋一は、言ってしまってからまずかったかな、と思った。何か秘密があるのだったら話してくれっこないし、どちみち知りたくない。それでなくても苦労が絶えないのに、これ以上のやっかいごとを背負い込むのはごめんだった。

 ところがサラは、何でもないように言った。

「ヨーイチに会いに来た」

「俺に?」

「そう」

「俺に何の用があるんだ?」

 言葉が乱暴になるのは致し方ないことだった。洋一は、はっきりとトラブルの兆候をかぎつけていた。

 ところが、サラの次の言葉は思いがけないものだった。

「猪野さんからの伝言」

「猪野さん……て、書記官の?」

 思わず間抜けな言葉を返してしまった洋一に、サラは軽蔑するような口調で言う。

「他に、猪野さんていう名前でヨーイチと私の共通の知り合いがいた?」

 洋一は気を引き締めた。サラも、外見と違ってそのへんにいる女の子ではないのだ。

 サラと話すときには、こちらもピリピリ神経を尖らせておかにくてはならない。そして、そういう女性はどちらかというと洋一の好みだった。

「まあ、とにかく、用事を先に済ませる。いい?」

 洋一が言葉を選んでいると、サラは唐突に言った。

「ああ、いいよ」

 サラは頷いて、少し改まったかんじで話しはじめた。

「それでは。まず、ヨーイチの日本行きの便の手配がついた、ということ。シンガポールかマレーシアまで軽飛行機で行って、そこからフリーチケットで日本に直行。日本領事館に戻り次第、チケットを取る。もちろん費用は日本領事館持ち。おめでとう」

「ああ」

 洋一は短く応えた。順調な予定を聞かされるのにはもう慣れた。そして、こういう場合は必ず罠があることも嫌という程思い知らされている。

「それから、ヨーイチがカハ祭り船団に加わっていることは、猪野さんも了承している。出来るだけ、カハ祭りに協力してほしいと言っていた。結果については日本領事館が責任を取る、と」

「責任をとる?」

 洋一はその単語に敏感に反応した。すると猪野は、日本領事館が責任をとらなければならないような事態に洋一が遭遇することを予想しているのか。

 それはもちろんそうだろう。ソクハキリの元に洋一を送り込んだときからの出来レースなのは明らかだ。

 そして、昼間の火炎ビン襲撃事件からみて、洋一には大いに不安があった。どういう責任の取り方をするのか。

 最終的には日本領事館が責任を取ったとしても、現実にその責任とやらをかぶるのは現場にいる洋一なのだ。

「それで?」

「それでおしまい」

 サラは澄まして言った。

「これで私の役目は済んだ」

「ちょっと待てよ。そんなはずないだろう」

 洋一はいらだちを押さえた。だが、どうしても口調はとげとげしくなる。

「そんなことを言うためだけに、真夜中にひとりでボートを漕いできたっていうのか?」

 サラは肩をすくめる。

「大事な役目だと思った。ヨーイチが不安でいると可哀想だろうという猪野さんの気持ちがわからない?」

「だとしても、どうしてサラが来るんだ」

「他の人は誰も日本語話せない。ヨーイチは日本語しか判らない」

 英語なら少しは判るつもりだが、確かに複雑な概念を英語で言われたらどうしようもないだろう。

 こんなことを繰り返していてもラチがあかない。サラはどうせ本当のことを言う気はないのだ。

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