第41章
横目で見ると、パットはまだ洋一を睨み付けている。洋一は、出来るだけ平静に言った。
「少し食べ過ぎたみたいだから、ちょっと外の空気を吸ってくるよ」
思いきり不自然だったが、誰も何も言わない。船室を出る時にちらっと見ると、パットはメリッサを睨みつけ、メリッサは素知らぬ顔で上品に例のギョーザに口をつけ、そしてシャナは澄ましているものの、口元がひきつっていた。
デッキに出ると、空は満天の星だった。今日もほとんど雲がない。月はまだ出ていないが、天の川が天空を横切っていて、星明かりで甲板に影が出来るほどである。
船室の屋根にはい上がって寝ころぶと、ゆるやかな波の揺れが心地よかった。
洋一は、しばしすべてを忘れて星に見入った。
星の光が明滅して、催眠じみた効果がある。ぼんやりと見ていると、洋一に向かって星がいくつか降りてくるようだった。
ぼんやりとした輝きが、視界いっぱいに広がってゆく。
洋一は驚いて起き上がった。いつの間にか、洋一の回りは明滅する光の塊でいっぱいになっていた。漂光の群が現れたらしい。
洋一は上半身を起こしてから、漂光を驚かさないようにゆっくりと座り込む。
漂光の数は、カハ祭りのパーティーのときより多いくらいだった。
あの時は広い食事船の甲板だったし、回り中が人混みでざわざわしてが、それでも随分たくさんいるように見えたものだ。
だが今回は、あの時とはくらべものにならないくらい密度が高く感じられる。
大げさに言えば、見渡すかぎり大量にいるのだ。
しかも、なぜか洋一の回りに吸い寄せられるように集まってきているようだ。唖然としていると、見る見るうちに視界が漂光でいっぱいになってしまった。
漂光は洋一の肩や頭に乗ったり、明滅しながら近寄ったり離れたりしている。ゆっくりと洋一の身体の回りを回転しているものもある。
中には、洋一の手足にくっついてしまい、半球形になっているものさえあった。
漂光は、身体に触れても特に危険ということはないようだった。触れている部分が多少暖かく感じる程度で、光の中に指を突っ込んでみても抵抗すら感じない。
漂光の方も、洋一に触れられるのを嫌がるどころか、喜々としてまとわりついてくる。洋一に触れられて、半球形が崩れて楕円形になったものや、棒状に伸びながら洋一の身体を包んでゆくものすらあった。
近くでよく見ると、漂光は大体直径10センチ程度の球形の光の塊だった。特に光源といえるものはない。全体がぼんやりとした光を放っていて、まともに見ると向こう側が透けて見える。
球形の表面の境界は割合にはっきりしていたが、堅い表面というよりは流動体がうねっている感じだった。
そのせいか、漂光には何となく表情のようなものが感じられた。具体的なものではないのだが、ごく原始的な喜び、安心感、満足感といった印象がある。
試しに目を閉じてみたが、洋一を包んでいる印象は変わらない。視覚的な効果だけではないのだろう。
洋一が感じているイメージは、例えば犬などがなついてすり寄ってくるときに感じるものをうんと希薄にしたものに似ていた。
洋一は動物には割合もてる方である。
犬などは初対面であってもなついて飛びついてくるし、猫もよほど気むずかしく無い限り背中をなぜることを許してくれるのだが、その効果が漂光にも及んでいるのかもしれない。
得体の知れない光る物体に取り巻かれているのだから、不安を感じてもよさそうなものだが、洋一はすっかりくつろいでいた。
不思議なことに、漂光にまとわりつかれていると、気分が楽になるのである。ぼんやりとした光には催眠効果でもあるのか、なんとかなく眠くなってくる気もする。
洋一は、甲板にあぐらを組んで座り込んだ。
もう、洋一の回りはぼんやりとした光の塊でいっぱいである。クリスマスツリーのイルミネーションにはおよびもつかないが、それでも甲板は近くにいれば本が読めるくらいに明るくなっている。
突然、叫び声がした。
続いて、船室のドアが開いてメリッサやパット、シャナが飛び出してきた。
「ヨーイチ!」
「洋一さん!?」
「……まあ」
船尾の方から、シェリーが駆けつけたが、こちらは一言も口に出さずに立ちつくす。
洋一は、めんくらって一同を見た。
全員、驚いているらしいのだが、それぞれ驚き方が違う。
パットは、彼女らしく単純に驚きを表していた。口を半ば開けて、ポカンとしている。
シャナは、あいかわらずおっとりとした驚き方である。目を瞠っているらしいが、もともと細い目なのでほとんど目立たない。
それに対してメリッサは、驚きより少し腹立たしいような表情をしていた。少し口唇を噛んでいる。
シェリーは無表情に見えた。緊張はしているが、特に危険に供えるという態度ではない。
驚いてはいるのだが、予期していたことが起きたような表情にも見える。
「……やあ」
タイミングを外した洋一の声は、その場の緊張を解いた。
まずパットが恐る恐る近寄ってきた。今や洋一の回りを埋め尽くしている漂光を息を呑んで見つめる。
漂光は、パットにも愛想がよかった。洋一になついているほどではないが、パットが手を伸ばしても黙って触られるままになっている。
それどころか、パットの方に寄ってゆく漂光もいて、パットはいくつかの漂光を後光のように纏って楽しそうにしていた。
洋一の方は、あいかわらず漂光の群に取り囲まれていた。シャナやメリッサが近寄ってきても逃げようともせずに、洋一にまとわりついている。
シャナも洋一の肩についていた漂光をひとつ誘い出して、胸に止まらせている。そうしていると、彫りの深い顔立ちのシャナは神秘的な雰囲気をまとった女神のようだ。
パットは妖精だった。すでに2桁の漂光を身体にとまらせたパットは、うれしそうに漂光にほおずりなどしている。
そうしていると、童顔のパットは無邪気な精霊が戯れているかのようだ。
メリッサは、少し離れたところで腕組みをしていた。あいかわらず、いらいらしているような表情だったが、やがてため息をついて言った。
「洋一さん……夕食がさめますから、戻ってくれませんか?」
今までにないような冷たい口調だった。
洋一があわてて応えようとしたとき、驚いたような叫びが聞こえてきた。
いつの間にか、一隻のカハ祭り船が指揮船のそばにいた。何人かの男が甲板に出て、こちらを指さして叫んでいる。どうやら、洋一に群れている漂光を見ているらしい。
メリッサが、小さく舌打ちした。
「洋一さん、早く!」
「あ、ああ」
洋一が何が何やらわからないまま立ち上がると、漂光の群はいっせいに離散し、すうっと消えていった。まるで打ち上げ花火がきらめいた後に夜空に融け込むような、あっけない消失だった。
カハ祭り船からどよめきが上がった。何か叫んでいる声も聞こえる。タカルルという単語が何度も聞こえてくるようだ。
ぼやっとしている洋一の手を強引に引いて、メリッサが船室に駆け込む。