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第36章

 洋一は、コーヒーをつぎ直して待つことにした。腹の虫が泣いたが、やはり勝手に食事を始めるのはまずい。

 幸い、パットは支度が早かった。Tシャツとショートパンツといういつもの格好で、パットが船室に飛び込んできた。

「オハヨウ!」

「おはよう。コーヒーいるかい?」

「ラッキー!」

 パットは洋一が差し出すコーヒーのマグカップに飛びついた。あいかわらず、跳ねるような動きが魅力的だ。

 洋一はバスケットから取り出した料理を吟味した。今日はアメリカン・タイプのブレックファーストらしい。

 洋一がベーコンの塊を解きほぐして間に、パットは早くもサンドイッチをぱくついている。

 ベーコンを試してみると、少し冷えているが、あいかわらずうまい。メリッサが作ったのではないとすると、彼女並の名料理人が、他にもいるのかもしれない。

 それとも、メリッサが食事船に戻って作ってくれたのか?

 洋一は頭を振って妄想を追い出した。いかに妹のためとはいえ、昨日あれだけ飲んだ上に、翌朝早くから食事船に戻って料理を作ってくれたとは思えない。

 しばらくは2人とも黙って詰め込んでいた。

 バスケットの料理がほとんど無くなり、やっと手が止まったときになって、洋一は思い出した。

 この船には、他にも乗員がいたはずだ。全然戻ってこないアマンダは別として、唯一の正規乗組員であるシェリーや、昨日から加わったシャナはどこに行ったのだろう?

 全部食ってしまったが、ひょっとしたら彼女たちの分も入っていたのではなかろうか?

 パットは、全然そんなことは考えていないようで、長々とソファーで伸びていた。イメージは猫そのままである。

 まったく、見るたびにイメージが変わる。そのたびに振り回される洋一こそいいツラの皮だった。

 その時、ドアが開いて、シャナが入ってきた。続いてシェリー。

 シェリーはニコッとしただけだったが、シャナは、真面目くさって言った。

「ヨーイチさん、おはようございます」

「ああ、おはよう……どこにいたんだ?」

 洋一の問いに、シャナは落ち着いた表情のまま答えた。

「向こうに泊まりました。ヨーイチさんとパトリシアさんがいなくなってから無礼講になって、大変だったんですよ」

「何が?」

 シャナはちらっと伸びているパットを見て肩をすくめる。

「お芝居でみんな盛り上がって、最後にヨーイチさんとパトリシアさんのラブシーンがあって」

「ちょ、ちょっと待って。アレは」

「ラブシーンの後、2人ともいなくなってしまったでしょう。そのせいで、凄く興奮した人たちが暴れ回って、止めようとした係りの人と喧嘩になってしまったんです」

「そうか」

「アマンダさんが、非常手段でサイレンを鳴らして止めたんです。みんなしばらく耳が聞こえなくなったくらい凄い音でした。それからお酒とかお料理がどっと出てきて、その後はもうメチャクチャでした。私たち子供は、早いうちに船室に追い込まれたんですけど、船室にいても騒ぎが聞こえたくらいでした」

 なるほど。それで昨日メリッサが来たのか。メリッサの意志もあっただろうが、むしろアマンダが彼女を避難させたのかもしれない。

 メリッサの存在は、うまく使えば鎮静効果があるかもしれないが、ひとつ間違えば感情のガソリンに火をつけることになるかもしれないからだ。

「それで、もう騒ぎはおさまったのか?」

「はい。夜中まで騒いでいた人もいたみたいですけれど、私が朝起きたらもういませんでしたから。でも、なんだかスタッフの人たちはみんな疲れているみたいで、色々あったんじゃないかと思います。朝の食事も、昨日の残り物みたいだったし」

 それは色々あったことだろう。きっとアマンダなどは最後まで後始末に追われたに違いない。

 洋一がメリッサにつき合わせて酒をかっくらっている間も、がんばり続けていた人たちがいたはずだ。

 もちろん、だからといって洋一が責任を感じることではない。洋一は洋一の責任を果たしたのである。

 だが、やはり心の底が重かった。

 洋一は、その思いを振り払うように言った。

「これからのこと、何か聞いてるかい?」

「お昼前には出発するって聞きました」

 割にのんびりしたスケジュールのようだが、やはり昨日の騒ぎが尾を引いているのかもしれない。

 カハ祭りの期間は決まっているはずだし、そうそう一カ所にゆっくりしてもいられないのだろう。

 しかし、考えてみるとアグアココを出発してから初めての海のカハ祭りを開いただけである。

 色々ありすぎて、もう長い間旅を続けているような気がしているが、カハ祭りはまだ始まったばかりなのだ。

 洋一がこれからのことを思ってげっそりしていると、シェリーが衣類の山を持って船室に入ってきた。

 ちらと洋一を見て、恥ずかしそうに何か言う。もちろん、洋一には理解できない。

 すると、シャナが後ろから言った。

「お洗濯するので、汚れ物があったら出してほしい、とシェリーさんが言っています」

「洗濯か」

 そういえば、最後に洗濯したのは日本領事館にいたときだったような気がする。

 いきなり出張と称するアグアココ訪問を命じられて、とりあえず一通りの着替えはもってきたのだが、そういえばソクハキリの屋敷で着替えたのが最後だ。

 それ以来、パンツも履きっぱなしのはずなのだが、暑い上に風が強いせいもあって、あまり汚れている気がせず、そのままになっていたのである。

「ちょっと待って……と言ってくれないか」

「わかりました」

 シャナが何か言うと、シェリーはにっこりと頷いて奥の方に消えた。シャワー室の奥に小型の洗濯機があるらしい。

 洋一は、いそいでバッグから汚れた服を全部引っぱり出した。ついでに、シャワー室で下着も脱ぐ。Tシャツも脱いで、素っ裸に下のジーンズだけを履いてシャワー室を出ると、衣類の塊を、洗濯籠に入れた。

 甲板に出ると、もう外は上半身裸でも暑いくらいだったが、適当な風が吹いているせいで、暑い割には過ごしやすい。

 マストによりかかって、ぼんやりとココ島の海岸を眺めていた洋一は、ふと気づいて飛び上がった。

 シェリーに、汚れた下着を押しつけてしまった。

 洋一は、船室に駆け込んだ。ソファーに座っていたシャナが驚くのにもかまわず、奥に飛び込んで洗濯籠を覗く。

 空だった。

 空の洗濯籠を掴んで立ちつくす洋一の前に、洗濯室からシェリーがひょいと顔を覗かせてにっこり笑って何か言った。

 何を言っているのかわからないが、おそらく「しっかり洗っていますから心配しないで」というところだろう。

 洋一は、弱々しく微笑むと、ノロノロと引き返した。もはや、どうにもならない。

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