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第31章

 パットは、ソクハキリの末妹というだけで、公的には何の地位もない。

 だが「ソクハキリの妹」という立場は、カハ族の間では絶大なものだ。仮にパットと結婚することになれば、その男はカハ族の支配層にのし上がることが出来るだろう。

 おまけにパットはまだ幼いとはいえ、姉たちという見本があり、将来の美貌は保証されている。姉たちとくらべても、男勝りのアマンダや男嫌い(というか人見知り)のメリッサにくらべてとっつきやすいと言える。

 当然、婿候補は溢れているはずだった。そして、カハ祭りのイベントとしての、パットの相手役であるタカルルの役は、ライバルに差をつける絶好の機会なのである。

おそらくは、カハ祭りに参加した若者の間で、タカルル役は猛烈な争奪戦の対象になっていたのだろう。

 ところが、そのタカルル役はいきなり現れた日本人がかっさらってしまった。しかも、当の日本人はここ数日パットを独占しているかのように行動を共にしている。

 こうしてみると、洋一が噂の的になるのは当然だった。

 洋一にしてみれば、コロコロまとわりついてくるパットは、これまでは可愛いとはいえ恋愛対象として意識することはなかった。洋一にロリコンの気はまったくない。それに、何といってもメリッサの存在が強烈すぎた。

 だが、ラライスリの衣装を纏ったパットはすばらしく魅力的で、いささか認識を改めかけているのだ。

 だからといって、積極的な行動に出ることはない、だろう。洋一はどちらかというと人間関係には奥手な性格だったし、南太平洋の島で日本領事館の臨時職員としてカハ族の祭りに参加しているという現在の状況からして、積極的な行動に出る余裕などない。

 だが回りはそうは思わないらしい。客観的に見れば、ソクハキリとも親しい日本領事館の若い職員が、ソクハキリの妹たちにアプローチしているようにしか見えない。腹に一物ある者には、それでなくても親日家であるソクハキリに取り入る強力なライバルが登場したように見られても不思議はなかった。

 洋一がぼんやりしていると、シャナが寄ってきて言った。

「ヨーイチさん、そろそろみたいです」

「そうか。ありがとう」

「今、パトリシアさんが出たところです」

 艦橋の向こう側で、歓声が上がった。拍手や口笛も聞こえる。

「もうすぐ私たちが出て、それからヨーイチさんだと思います」

「わかった」

 シャナは、にこりとすると仲間たちの方に去った。はげましてくれたのかもしれないが、あまり慰めにはならない。

 またひときわ大きな歓声が上がり、誰かの叫ぶ声がして、シャナたちが進みだした。

 艦橋のドアをくぐって、次々に消えて行く妖精たちを見ないように、洋一は海の方に頭を向けた。

 海は、真っ暗だった。そんなに遠くないところにココ島があるはずだが、どちらがそうなのかまったく判らない。

 今日は波も穏やかで、空は昨日と同じく満天の星が輝いていたが、そんなものは目に入らない。

 自分がどんどんあがってゆくのが判る。まずい、と思ったがどうしようもなかった。

「ヨーイチくん?」

 いきなり後ろから声をかけられて、洋一は飛び上がった。

 アマンダだった。洋一は、あえぎながら言った。

「す、すみません」

「驚いた。眠っていたの?」

「いえ、ちょっと夜の海に見入ってまして」

 ジョークにもなっていないが、何とかごまかせたようだ。アマンダは肩をすくめた。

「そろそろ出番よ。用意して」

「はあ」

 足が重い。アマンダに引っ張られるようにして、洋一は艦橋に向かう。

「あの、どうしてもやらなきゃなりませんか?」

 振り向いたアマンダの顔つきで、洋一はがっくりと肩を落とす。

 アマンダは、洋一をドアに押しつけるようにして言った。

「向こうは明るいから、目がくらむかもしれないけどしっかりしてね。あの娘は真ん中にいるから、歩いていって両手をとる。それだけだから」

「はあ」

「あとは、そのままじっとしていたら終わりよ」

「はあ」

 生返事の洋一に、アマンダが顔をしかめて何か言おうとした時、ドアの向こうから若い男が短く叫んだ。

 アマンダも叫び返す。それから、洋一の背中を叩く。

「さあ、恋人さん、ゴウ!」

 洋一は、突き飛ばされるようにして歩き出した。

 ドアをくぐる。艦橋を突き抜ける廊下は暗かった。その向こうから光が溢れている。

 艦橋の向こう側は、舞台になっていた。洋一は、思わず立ち止まって目を庇った。

 暗闇になれていた目には、何も見えない。ライトが何本もこちらに向けられているようだ。

 サンバ調の音楽が大音量で鳴っている。劇は最高潮らしい。

 やっと目が慣れてくると、舞台の中央に誰かが立っているのが判った。他の人は、舞台の両側に退いている。

 さらに目が慣れる。目の前に、こちらを向いてパットが立っていた。

 パットは、両手を胸の前で結ぶようにしてこちらを向いていた。両側からライトを浴びているせいで、身体の輪郭が輝いて、光の女神のように見える。

 音楽が、潮が引くように静まっていった。客席もシンと静まり返っている。劇はクライマックスに向けて、緊張を高めている。

 だが、洋一には何も判らなかった。目も耳も用をなしていない。

 パットのところまで歩いていって、両手をとるだけだ。洋一は、必死でそれだけ思い出した。

 洋一がフラフラと進みはじめると、パットがいきなり両手を広げて飛びついてきた。

「え?」

「ヨーイチ!」

 パットは、全身で洋一の胸に飛び込む。洋一の顔に、パットの暖かい吐息がかかったかと思うと、パットはそのままくちびるを寄せてきた。

 かすめるようなキスだったが、確かに口唇が触れあった。

 パットは両腕を洋一の首に巻き付け、全身で抱きつく。思わず、洋一もパットの細い身体を抱いてしまった。

 一瞬、辺りが静まり返った。そして、客席からどっと歓声、怒声、口笛などが押し寄せてきた。

 たちまち、洋一とパットの回りを華やかな色彩が舞い始める。シャナたち妖精が乱入してきたらしい。

 バンドも、一転してロックらしき音楽を大音量でぶちまげ始めていた。

 パットは洋一の胸に顔を埋めたまま身動きもしない。

 そして洋一は、惚けたまま、パットを抱きしめて突っ立っていた。

「さ、こっち」

 いきなり肩を掴まれた。

「アマンダさん」

「まったくもう、やってくれるわねえ」

 アマンダは怒ったような口調で言ったが、この表情はむしろ「呆れた」という方に近い。

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