第25章
だが、今の洋一にとっては日本語が通じるだけでもありがたい。
「ええと、シャナ、ちゃんでいいのかな」
「本名はシャナイズルラークといいます。長すぎるので、みなさんにはシャナと呼んでいただいています。ヨーイチさんも、シャナと呼んで下さい。ちゃんはいりません」
口調だけでなく、内容も外見を裏切っている。頭はやはり相当切れるようだ。
「わかった。シャナ、お昼は食べた?」
「まだです」
何のてらいもない、事実を述べただけの返事だった。不満に思っているかどうかもわからない。
「そうか。どうしようかな」
「さっき、パトリシアさんがゴムボートで大きな船に行きましたから、たぶんもうすぐお食事が来ると思います」
「あ、そう」
そういえば、パットの姿がない。
結局、心配することはなかったようだ。しかし、誰もかれもが洋一に何の断りもなく勝手に動く。判ってはいるのだが、自分が「お客さん」であることを毎回思い知らされるのは、あまりいい気分ではない。
食事船の方を見ると、回りにボートがたくさん集まっていた。船団のみんなも、弁当を取りに行っているらしい。
しばらく見ていると、ゴムボートがまっすぐこちらに向かってくるのが判った。もうしばらくの辛抱だ。
振り返ると、シャナはさっきと同じ姿勢で目を閉じていた。こうして見ると、ますます仏像に似ている。背を伸ばして座っているところなど、インド神話の何かの神のようだ。
へんに話しかけられて気をつかわないで済むのはありがたいが、じっと座っていられると、どうも気になって仕方がない。
かといって、こちらから話しかける気にもなれず、洋一は船室に引っ込んだ。
ソファーで横になる。途端にまた腹の虫が騒ぎ出した。
幸い、5分もしないうちにパットが飛び込んできた。
「ヨーイチ! ランチ! ゴハン!」
パットの単語体口調にももう慣れて、洋一はゆっくりと起きあがる。そこにパットが飛びついて、洋一はパットを抱えたまま転がり落ちた。
ゴン、とかなり大きな音がした。
「いてっ!」
「オウ! ソウリー! ゴメン!」
パットが何やら早口で言いながら、洋一の頭をさする。こぶをモロに触られて、洋一は悲鳴を上げた。
「アチッ! いいから! 大丈夫だよ!」
ころがるようにパットの看病から逃れると、クスクス笑い声がした。
「シャナと……メリッサ?」
「あいかわらず仲がいいですね、ヨーイチさん」
メリッサがバスケットを抱えて立っていた。その後ろに隠れるように、あいかわらず静かな表情のシャナがいる。
メリッサは快活に船室に入ってきた。
今日は、ショートパンツにブカブカのTシャツ、足下はサンダルという挑発的な格好である。
意外といったらいいのか、思ったよりボリュームのある胸が柔らかく盛り上がり、すんなり伸びた足の白さが眩しい。
メリッサは、どぎまぎして視線をそらす洋一にかまわず、テーブルにバスケットを置いた。そのまま色々取り出し始める。
「ごめんなさい。皆さんにお食事を配っていたらすっかり遅くなってしまいました。思ったより人数が多くて、最初に用意しておいた分では足りなかったんです」
おそらく、カハ祭り船団だけではなく、カナラ村のボート乗りたちも殺到したに違いない。
祭りで暴れ回った後のメシ、しかもメリッサが作った食事だとしたら、参加者は全員倒れるまで食いまくったことだろう。
「あわてて追加で作っていたので、皆さんのことが後回しになってしまって……」
「それでわざわざ持ってきてくれたの」
「それもありますけど」
メリッサは、洋一の方を見てちょっと舌を出した。
「本当は、逃げ出して来たんです。カナラ村の人たちが、後から後から押し寄せてくるもので」
それはそうだろう。
メリッサが作った食事なのだ。抜群にうまいはずだ。そして、その食事と作り手の噂が駆けめぐっているとしたら、野次馬が押し寄せるのは当然だ。
メリッサは手早くテーブルクロスを広げて、食卓を整えた。
意外なほど大量にあった。最初に目についたのはサラダに果物といった洋風の品だったが、その他にも色々あるらしい。見た目にもうまそうだ。
「わたしも、ここで食べていいですか?」
「も、もちろん」
メリッサがいたずらっぽく訊ねる。洋一はメリッサの足やバストに目をやらないようにしながら、あわてて答えた。
洋一とメリッサが向かい合って座る。
洋一の右側に、すばやくパットがつくと、シャナがおっとりと左側に腰掛ける。
パットは面白くなさそうな顔で、それでも洋一にすり寄りながら、さっそくばくつきはじめる。
洋一は、上の空で自分の前の箱を開けてみた。てっきりサンドイッチか何かと思ったが、出てきたものは、まったく予想外のものだった。
「これは……?」
「日本の方にお出しするのは恥ずかしいんですけど、ライスが余ったので作ってみました」
おにぎりだった。というか、見た目にはおにぎりに見えた。
メリッサが恥ずかしそうに言った。
「兄が好物なもので、日本のお食事のレパートリーは一応作らされるんです。材料が手に入らないことが多いので、本物とはかけ離れているかもしれませんが」
「……いただきます」
メリッサに見つめられていては、今更引き返すことなど不可能である。ソクハキリが食っているというのなら、それほどひどいものではないだろう。
洋一は、そのおにぎりをほうばってみた。
米に違和感はなかった。日本産か、カリフォルニアのものだ。東南アジア産の細長い米ではない。
表面の海苔は、どうも海苔ではないようだった。筋があって、堅い。
だが、歯ごたえの違和感を除けば、それはまっとうなおにぎりといってもおかしくなかった。中心にはツナさえ入っている。
「あの……どうですか?」
心配そうなメリッサの声に、洋一はあわてて喉につかえた塊を飲み込んだ。
「おいしいよ」
実際、日本のコンビニで売っているおにぎりには、これよりはるかにひどいものがざらにある。
公平に言って、材料が代用品であることを考えるとなかなか立派なおにぎりだった。
そのことを伝えると、メリッサは子供のように頬を染めて笑った。整った美貌が無邪気に輝く様子は、身震いするほど魅力的だった。
洋一は心を鬼にしてメリッサから視線をもぎはなすと、食事に専念した。