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第22章

 小型の船外モーター付きで、洋一にも動かせそうだったが、そこはやはり島の少女パットの方がうまいだろう。

 2人は、とりあえず食事船に向かった。幸いカハ祭りの狂乱ボートは全部沖に出たらしく、湾の中には邪魔になりそうな舟影はない。

 結構水深があるらしい。食事船は桟橋のすぐ近くに停泊している。

「ヨーイチ!」

 アマンダの声がした。

「ちょっとこっちに寄ってくれない? 村に行きたいの」

「わかりましたあ!」

 洋一はパットに合図した。パットは頷いて、ゴムボートを食事船につける。

 アマンダは器用に縄ばしごを伝って降りてきた。

 ゴムボートが走り出す。アマンダはパットに短く指示すると、うーんとのびをした。

「お疲れですか?」

「そうなの。カハ祭りの最初は、いつも緊張しちゃってクタクタよ」

 これだけの船団の指揮官の苦労は、想像を絶するものがあるだろう。ましてや、今回は船団運営以外のトラブルが約束されているようなものだ。

 ゴムボートは、堤防に沿って進んでいた。パットが目指しているのは、湾の奥にある村の中心部らしい。

「ところで、うまくやってみたいじゃない」

 アマンダがいきなり言った。

「?」

「昨日のこと、よ。メルと2人で夜空を眺めて、しかもあの娘の歌まで聞いたそうじゃない」

「……よく知ってますね」

「あの狭い船の上で何かやったら、翌日には全員が知ってるわよ。壁に耳、障子に目」

 まったく、よくもまあ留学したくらいでここまで日本を学べたものである。

「どんな噂が広まってるんですか?」

「聞いたら驚くわよ。聞きたい?」

 そういえば、メリッサはカハ族の間ではアイドルだった。突然出てきてアイドルと噂になるような得体の知れない日本人が、どんな感情で見られるかは分かり切っている。

「聞きたくないです」

 アマンダは、おかしそうに笑っている。面白がっていることはあきらかだった。

 パットが、いきなり怒ったように何か言った。アマンダがなだめるように何か言う。

 洋一も、つたない英語で弁解した。アマンダの日本語があまりうまいもので、つい話が弾んでしまうのだが、そのたびにパットを仲間外れにしてしまうのはまずい。

 パットが激しく言い募るので、アマンダは肩をすくめてゴムボートの操縦を変わった。

 パットは、すぐに洋一のそばに跳んでくると、両手で洋一の腕をがっちり抱え込み、洋一にしがみついた。無意識だろうが、威嚇するようにアマンダに対峙する。

 幼くても、パットも女だった。

 アマンダは、苦笑を堪えながらそっぽを向いてゴムボートを操る。

 ゴムボートは、速度を落として海岸に向かっていた。桟橋の横に、砂浜になっている部分があり、数隻の小型船が引き上げられている。アマンダは、ゴムボートを漁船の間に乗り上げると手早くエンジンを切った。パットが飛び降りて、素早くロープを杭に結ぶ。そのへんの呼吸は慣れたものだ。

「私は海岸の方に用があるんだけど、ヨーイチたちはどうするの?」

「そのへんを見てます」

「じゃあ、1時間後に集合ね」

 アマンダはあっさり言って去った。洋一たちがこの村でトラブルを起こしても、大したことにはなるまいと踏んでいるのだろう。

 洋一は、とりあえず村のメインストリートに向かうことにした。相変わらず、左手にはパットがぶら下がっている。

 考えてみれば、洋一がココ島のこういった小さな村を見るのは初めてだった。

 ココ島に着いたときの船着き場は村ですらなかったし、フライマンタウンはココ島の首都だった。その後行ったアグアココでは、見て回る暇もないうちに連れ出されてしまったのである。

 カナラ村のメインストリートは、端から端まで30メートルほどの埃っぽい道だった。 行き止まりとしか表現のしようがない場所に、どうやら村役場らしい平屋のプレハブが建っている。その他には、よろず屋らしい店が1軒と、何なのかわからない建物が10軒ほど軒を並べているだけだった。

 洋一もアジアのあちこちを回ってきたが、これほど何もない場所は珍しい。ひとつには、日本人が行く場所には必然的に存在するはずの観光客向け土産物店がないことがあるが、それを抜きにしても店らしいものが1軒だけというのは破格だった。さっきこの村から出てきたように見えた集団は、どこに住んでいるのだろうか。

 洋一は腕にパットをぶら下げたまま、とりあえずメインストリートを縦断した。カハ祭りのせいなのか、人っ子ひとり見えない。がらんとしたままの通りはまるでゴーストタウンである。

 役場らしい建物は、ドアを開け放したまま人の気配すらなかった。退屈顔の役人か、せめて警官を期待していたのだが、これではどうしようもない。

 通りに出ると、遠くの方から歓声まじりのどよめきが聞こえてくる。やはり村をあげてのカハ祭りに、全村民が動員されているらしい。

 たった1軒開いている店には、それでも人影があった。ガラス戸の中は、土間に低いテーブルを並べ、その上に雑貨類を載せただけの店である。人影は、奥の方に座っていた。

 窓が正面のガラス戸しかない上に明かりがあるわけでもないので、洋一たちが店に入ると一瞬視界が真っ暗になったくらい薄暗い。

 奥の暗がりに向かって、パットがいきなり話し出した。短い返事とともに、奥の方の黒い塊が立ち上がる。

 パットの甲高い早口の声に、低い声がゆっくりと答える。低音だが、女性の声である。やがて洋一の目が店内の明るさに慣れると、目の前に髪の長い女性が立っていた。

 パットとほぼ同じくらいの身長、ということは、かなり小柄である。花柄のワンピースに素足で、古びたサンダルを履いている。

声が低いので、年輩の女性をイメージしてしまったが、よく見るとかなり幼く見える。女性というよりは少女だ。

 パットがまた何か短く話し、少女はちょっと首をかしげてから頷いてきびすを返した。そのまま奥に向かう。

 奥の方で何かの扉を開け閉めする音がしたかと思うと、少女がガラス瓶を持って現れた。コーラのようだ。

 パットが、ホットパンツのポケットから古びた1ドル札を抜き出して渡す。

 少女は、無言でコーラをテーブルの上に置いて、落ち着いた動作で栓を抜いた。

 シュポッという音とともに、瓶の口から泡が溢れる。パットは、瓶を受け取ると洋一に言った。

「コーク!」

「ああ、ありがとう」

 ぼんやりしていた洋一は、我に返って瓶を受け取る。そういえば喉が乾いていた。洋一はパットに頷いて、ラッパ飲みした。冷たかったが、機械的に冷やしているというよりは物理的な方法で冷却しているのだろう。ギンギンに冷えているというほどではない。

 パットはニコニコして洋一を眺めていたが、洋一が半分ほど飲んでゲップを吐くと、その隙にあっという間に瓶を奪い取って、そのまま残りのコーラを飲んでしまった。

 間接キスというような概念もないらしいパットの行動に、洋一はため息をついて店を出た。表にあったベンチに腰を降ろしたあと、げんなりして額に手を当てる。

 どうも調子が狂いっぱなしである。こんなことで、日本に帰るまでやっていけるのかどうか心配になってきた。

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