第19章
アマンダからは何も聞いていない。洋一の寝だなはパットに占領されているし、他のベッドはどうみても誰かが使う予定のようで、荷物が置いてある。つまり、洋一のベッドはない。
仕方がない。毛布でも探して、船室のソファーで寝るしかない。
洋一は船室に降りてみた。寝だなの方から、パットの寝息が聞こえてくる。アマンダも、洋一を信用しきっているというか、洋一を見抜いているというか、大事な妹をほっぱらかしてどこに行ったのか。
あの、洋一を誤解したままらしいシェリーも、どこに行ったのか見かけない。もっともこんな夜中にばったりシェリーに会いでもして悲鳴でもあげられたら面倒なことになるので、出来れば出てきてほしくない。
船室には、毛布はなかった。
まだ結構暖かいが、海上だし夜中や早朝には冷えるだろうから、ソファーで眠るとしても上にかけるもののひとつは欲しいところである。
一通り探し回ったあと、洋一はようやく寝だなの下から毛布を引っぱり出した。
ソファーと椅子を組み合わせ、とりあえず上半身が落ちないようにして横になる。着替えるのを忘れたと思う間もなく、睡魔が襲ってきた。
考えてみれば、今日は朝から色々あって疲れきっている。洋一は、夢も見ずに眠りに落ちた。
その途端に目がさめたような気がしたが、舷窓が明るくなっているところを見ると、一晩ぐっすり眠ったらしい。
尿意がはち切れそうになっていることに気がついて、洋一は起きあがろうとした。
だが、何かががっちりと洋一にしがみついている。毛布が盛り上がっているところを見ると、誰かが夜這いに来たらしい。
洋一は、うんざりしながら毛布をめくってみた。思った通り、パットがしがみついていた。
あいかわらず、よく眠っている。クウクウ寝息を立てている様子は、まるで猫か何かのようだった。
慎重にパットの腕を外して起きあがる。自分でも不思議だが、今の洋一はパットにしがみつかれても何も感じなくなっていた。
どうも、あまりにもなつかれるもので、かわいい少女というよりペットみたいに思えてきたらしい。いくらパットがキュートだといっても、やはり女として見るには無理がありすぎる。
もちろん、昨日会ったメリッサの存在が大きいこともあるだろう。あれほどの美女を前にすれば、それ以外の女性の存在はとりあえず霞む。
トイレで用をたした後、洋一は甲板に出た。まだ夜が明けたばかりらしい。空は明るいものの、水平線は雲に覆われていて上空が光っている程度である。
カハ祭り船団も、静まり返っていた。昨夜の食事船は、何時の間に移動したのか100メートルほど離れた所に浮いている。碇を降ろしているのが見えた。
「オハヨウ、ゴザイマス」
遠慮がちな声に、洋一は振り返った。
シェリーが、恥ずかしそうに笑っていた。どうやら誤解は解けたらしい。
シュリーは、昨日と同じ服装に、さすがに寒いのかウィンドブレーカーを羽織っている。「おはよう。早いね」
返事をすると、シェリーはニコッとしてロープをたぐり始める。何かの仕事中らしい。
どうやら日本語はごく限られた語集しかないようなので、洋一は会話をあきらめた。それに仕事中を邪魔したくない。
船首の方に立つと、開けた視界の中で船団が活動を始めているのが判った。
あちこちの船で動きがある。大きい船では、煙が上がり始めていて、食事の支度でもしているのだろう。
「ヨーイチ?」
「え? ああ。ありがとう。サンキュー」
振り向くと、シェリーが湯気のたつマグカップを差し出していた。
実に気がきく。アマンダの助手というのは伊達ではないようだ。
並んで熱いコーヒーをすすっていると、なんだかそれなりにロマンチックな気分になってくるから不思議だった。
浮気、というわけではないのだが、こうまで次から次へと魅力的な若い女性が現れると、洋一でなくても心がふらつくのは仕方がないだろう。
もっとも洋一の性格からして、どれもこれも一線を越えないで終わってしまう可能性が高いのも悲しいが。
ぼんやりと食事船を眺めていると、シェリーがちょっと頭を下げて、船室に消えた。
みんな仕事がある。パットは別にして、用もないのにカハ祭り船団に加わっているのは洋一だけだろう。もっとも、ソクハキリに言わせると洋一の場合「いる」だけで価値があるらしいが。
しかし手持ちぶたさだった。
洋一はコーヒーを飲み干し、シェリーを探した。どこかでこのコーヒーを入れたに違いないので、皿洗いでも手伝おうかと思ったのだが、不思議なことにシェリーは影も形もなかった。
操舵室にも誰もいない。
ついでに、コーヒーを沸かす設備も見あたらない。
頭をかしげながら甲板に上がると、すぐに謎が解けた。
小型のボートが食事船からこちらに向かってくる。そのボートには、シェリーとアマンダが乗っていた。やはり、アマンダたちは食事船で寝泊まりしたのだろう。コーヒーもそこから来たに違いない。シェリーは何往復しているのだろうか。
巧みに接舷すると、アマンダは身軽にロープを上ってきた。そのまま、シェリーが下でロープにバスケットを結びつけると、ぐいぐい引き上げる。
「食事もってきたわ。今日は出発が早いから、悪いけどあっちでごちそうできないの。パティの分も入っているから、適当に食べてね」
アマンダは一気に話し、洋一にバスケットを押しつけて、またボートに降りる。
かわりにシェリーが上ってくると、アマンダは食事船の方に向かった。
「コーヒー」
シェリーが、古ぼけた魔法瓶を洋一に渡した。追加のコーヒーらしい。
つまり、洋一たちはほっとかれたわけだった。
少なくとも食事を忘れられていたわけではないらしいので、洋一は安心した。
それに、シェリーが残るらしい。操船する人間が必要だから、それは当然といえば当然なのだが。
しかし、この船はカハ船団の指揮船ではなかったのか?アマンダがいなくては指揮はとれないはずだが。
その点をシェリーに訊ねてみようと思ったが、もうシェリーは忙しく仕事にかかっている。
仕方なく、洋一はバスケットと魔法瓶を持って船室に入った。
パットはまだ寝ていた。時計を見ると、思ったより早い時刻である。そのまま寝かせておくことにして、洋一はソファーに座ってバスケットを開いた。
手作りのサンドイッチがぎっしりとつまっている他、フルーツが何種類かある。
突然空腹を思いだし、洋一はベーコンサンドにかぶりついた。
思った通りうまかった。メリッサか、あるいは彼女に匹敵する料理の名人が作ったに違いない。
この調子なら、カハ祭り船団で食事に不満が出ることはまずないだろう。
洋一は、たちまちサンドイッチの1パック分を片づけた。まだかなり残っていたが、パットのことを考えてそこでやめる。
コーヒーをマグカップについで飲んでいると、パットが起きてきた。寝起きでぼやっとした顔だが、ショートパンツから伸びた足がまぶしい。
「サンドイッチ食べるか?」
洋一が言うと、パットは頭をふってソファにどしんと座り込んだ。そのまま、何かブツブツ呟いている。低血圧なのか、寝起きは悪いようだ。