第196章
洋一は必死で思い出した。
シャナは、カハ祭り船団が出航して間もなく立ち寄った村で出会ったのだった。ローグじいさんの孫だか曾孫だかで、日本語が堪能だった。
だがそれだけである。洋一に同行すべきいかなる理由もないはずなのに、気が付いたらメンバーの一人になっていたのだ。
ひょっとして、シャナがスパイなのか?
謎のチェスの差し手は、洋一に関してあまりにも正確な情報を握っていて、常に的確な手を打ってきている。時には洋一に先回りして罠を仕掛けていることもある。
これは、洋一のそばに行動を逐一報告するスパイがいなくては説明がつかないことだ。ソクハキリやアマンダが怪しい行動をとっているし、サラの上司たるノーラも何やら画策しているのだから、状況から判断する限り誰がスパイであっても不思議ではないのだが、なぜか今まではシャナは容疑者から外れていた。
いや、シャナだけではない。パットはともかく、アンもいる。あの少女も頭脳と行動力に不足はなく、おまけに「主人」であるミナとは微妙にずれた判断基準を持っていて、得体の知れないところがある。
だが今はシャナのことだ。
シャナがスパイなのだろうか。それらしい様子は見せないし、その証拠もない。これまでにもしばしば洋一と別行動をとってきているから、ぴったりひっついていたというわけでもない。
つまり、シャナがスパイだという積極的な証拠はないのだ。状況証拠から疑わしいというだけだ。そして、その程度だったら別にシャナが特別というわけでもなく、少女たちすべてが疑わしいということになってしまう。パットすら、理論的にはスパイであり得るのだ。
でももしスパイだったら?
その場合でも、洋一にできることは何もない。警戒しようにも何に気を付ければいいのかすら判らない。この状態でシャナを遠ざけたり、あるいは注意を集中したりすれば、せっかく何とかまとまっている今の状態に亀裂が入ることになる。
それに、考えてみれば、洋一にはスパイされて困るようなことは何もない。ただ、与えられた状況でもがいているだけで、積極的に何かをしようというほどの立場すら確立していない状況で、スパイを警戒してどうしようというのだ?
洋一は気にしないことに決めた。
その途端、活力がみなぎってきた。今の疑いで落ち込みかけていた気分があっという間に晴れた。もともとよく寝たせいか、頭がクリアなのだ。
幼い美少女と2人で朝のコーヒー。結構ではないか。もっとも今が何時なのかは判らない。
「今何時くらいか判るか?」
「えっと、もうそろそろ夕方です」
シャナは簡単に答えたが、洋一は立ち上がって窓から外を覗いてみた。そういえば、太陽が心持ち傾いているようだ。ココ島の場合、日没寸前までは昼だから明るさに変わりはないが、何となく夕方らしい雰囲気が漂っている。
洋一は結構長時間眠っていたらしい。我ながらいい気なものだ。
「みんなはどこに行ったんだ?」
「つてを辿って、情報を集めるとかで出かけました。ラライスリ派だけにはまかせておけないということになって。私は、こういう時に何のお役にもたてないので残ったんです」
淡々というシャナは、それでも少し寂しそうだった。その様子がまた可愛い。シャナは清楚で少し暗い雰囲気がよく似合う。パットなどとは反対のイメージだが、メリッサのように辺り中を雰囲気に巻き込んでしまうほどではない。
あまり人を引きつけるカリスマ性はないようだ。もう少し成長すれば判らないが、さすがにこの年齢では女性らしい魅力というには無理がある。その分、保護欲を誘発させるような雰囲気の持ち主で、また違った意味の魅力があるのだが。
シャナが成長したら、どんな女性になるのだろう? おそらく、極めて安定した、正当派の美女になるかもしれない。メリッサやパットといった、そこにいるだけで回りの空気を変えてしまうような強烈な魅力も良いが、清楚で控えめながらそばにいて安心できる癒し系の美しい女性というのはある意味理想だ。
洋一がそんなことを考えているのを判っているのかいないのか、シャナはにこにこしながら洋一を見ている。いかにも洋一の言いつけを待っているという様子がまた可愛い。
さすがに居心地が悪くなってきて、洋一は言った。
「俺はどうすればいいのかな」
「今日は、ここに泊まることになると思います。まだラライスリ派からも何も言ってきませんから。ですから、みんなの食事の用意をしなくてはならないんです」
「わかった。手伝うよ」
「料理はメリッサさんがやることになっているので、私がやるのは下ごしらえです。それでも良かったら、いっしょにやっていただけますか?」
これがこの歳の少女のセリフだろうか。ひとつ間違えれば生意気になってしまうのだが、シャナはいかにも自然に言ってのける。
おしゃまとか、大人ぶっているというわけでもない。目をつぶって聞けば、成人したばかりの初々しい、しかし非常に聡明なお嬢さんが話しているようにしか聞こえないだろう。
しかも日本語。ココ島に住んでいればほとんど使うことのないそんな外国語で、これだけ自分の意志を伝えられるというのは、どういう少女なのだ?
不意に洋一は気づいた。
シャナは外国語教材で日本語を覚えたと言ったが、そのせいなのかもしれない。
「シャナ、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい」
「シャナの日本語って、今まで使ったことあるのかい?」
シャナは心持ち首を傾げた。
「あまりないです。でも、前に日本領事館の人が来たときとか、学校などでノーラさんやサラさんと会った時に、聞いて貰ったことがあります。日本語で話して意味が判ったときはとても嬉しかったです」
「ふーん……」
「あの、私の日本語、おかしいですか?」
シャナが心配そうに聞いてくる。
「いやそんなことはない。むしろ、ほとんど使わないのにすごく丁寧で、発音も完璧だし、日本人よりうまいかもしれない」
「ありがとうございます。教習テープが良かったんだと思います」
それはそうかもしれないが、いくらなんでもそれだけではないだろう。
「どういうテープだったんだ?」
「普通のものだと思いますけれど。でも、確かにテープはとても数が多くて、100巻以上ありました。とても詳しくて、丁寧に解説してありました」
「100巻とは多いな。全部聞いたのか?」
「はい。とても面白かったので、みんな覚えました」
シャナは何気なく言った。