第190章
「わ、私は……いいと思います。ラライスリ派というのは、中立感があって」
メリッサが突然言った。たどたどしい口調で、焦りがにじみ出ている。サラとミナのペースで話が進んでいることに危機感を抱いているのだろうか。自分が置き去りにされたように思っているのかもしれない。
メリッサだって、けして鈍いとか決断力がないとかいうわけではないのだが、と洋一は悲痛に思った。むしろメリッサは標準よりは頭が切れて判断や行動が素早い方だろう。だが相手が悪い。サラとミナが鋭すぎるのだ。並大抵の人間では太刀打ちできない。
そんなところで競っても仕方がないだろうと思って、洋一は内心ヒヤリとした。いつの間にか洋一自身もメリッサを見下していたのかもしれない。
そもそも女神は君臨する存在であって、会議で意見を述べたり自ら駆け回ったりはしないものである。サラがこの集団を仕切り、ミナはラライスリの巫女なのだとしたら、メリッサこそラライスリなのだ。その圧倒的なカリスマは、存在しているだけですべてを平伏させる。それはあのカハノク族相手の洋上ショーで実証済みだ。洋一なんかより、はるかに有効な手駒なのだ。どこかにいるはずのチェスの指し手にとっては。
メリッサの発言のせいか、サラとミナが何となく押し黙ったままなので、仕方なく洋一が言った。
「そろそろ行こうか。いつまでもこうしていられないし」
当てがあるわけではなかったが、それはミナが何とかするだろう。自分の古巣なのだし、そもそもミナたちは洋一を自分の陣営に取り込もうとしていたわけだから、この事態は願ってもない展開に違いない。
ミナについては、洋一は未だに態度を決めかねている。味方につければこれほど頼もしい存在はないだろうが、いかんせん内心が判らない。今は大人しくしているとしても、初めて会ったときからミナは縦横無尽にその印象を変化させてきていて、正体が謎に包まれたままなのだ。信頼できないわけでもないとは思うが、信用できるかどうか……。
しかしこうなっては仕方がない。ここはミナにまかせるしかない。
「判りましたヨーイチさん。準備は出来ています」
ミナがてきぱきと言った。
サラがティナに別れを告げ、ミナが洋一たちの宿泊料や一行の朝食代らしい金を渡す。
ティナはドライに、しかし満面に笑みをたたえて料金を受け取っていた。洋一とサラだけならお友達の好意で通ったかもしれないが、これだけの大勢が押し掛けて飯を食っていったのだから、支払いを受けるのは当然である。しかも期待していなかった臨時収入なわけで、ティナも自然と顔がほころぶというものだ。
それにティナにとっては、フライマン共和国を騒がせている謎の日本人を間近で見るチャンスだったのだ。洋一たちが立ち去り次第、近所中に吹きまくるつもりだろう。噂のタカルルがラライスリたちのハーレムを率いているのを見た、と。
それは覚悟の上だ。そんな些細なことにかまってはいられないのだ、今は。
ミナが言った「準備」は、港で待っていた。
いつの間に用意したのか、いかにも性能が良さそうなモーターボートである。帆船ではなく、純粋な機動船だ。居住性より速度を重視したようで、鋭角的なシルエットだった。
もっともボートとは言ってもちゃんと船室もあるし、詰め込めば何とか5,6人くらいは乗れそうである。
サラと洋一が消えた後、ミナたちはどうにかしてあの『イリリシア』を動かして港につけ、そこでミナがどこかに連絡してこのボートを調達したらしい。
このへんはメリッサやサラでは無理な機動力で、ミナを味方につけるかつけないかでまるで違ってくる。何よりミナはその所属する組織の中で、実質的な力を持っていることが強い。メリッサやサラは、象徴としての価値はあっても、世間から見れば未成年の少女にすぎないのだ。
ボートの船室は狭かった。本来はせいぜい2,3人乗りなのだろう。洋一が背中を丸めて穴蔵のような入り口から這い込むと、中は宇宙船のカプセルのようだった。一畳もないような床の両側に、ひどく狭い寝棚兼用のソファーがあるだけである。
洋一が奧に座り込むと、当然の権利のようにパットがぴったりとくっついてきた。その反対側は壁なので、とりあえず席争いは起こらずに済むはずだ。パットについては、既得権が何となく認められてしまっているらしい。洋一の隣の片方は常にパット、ということだ。
メリッサが意を決したように、洋一の正面に腰掛けた。足が長いので横座りの形になる。今気づいたが、メリッサは白いショートパンツを履いていた。白い太股が付け根からむき出しになり、洋一の目と鼻の先にすらりと伸びているのだ。洋一はあわてて目を逸らせた。
目の毒以外の何物でもない。
そのメリッサの横はサラである。そのまた横にはシャナがちょこんと腰掛けていた。
ミナとアンは船室に入ってこなかった。甲板と操舵席に陣取っている。これはまあ当然と言える。
アンがドアからひょいと顔を入れて言った。
「出発します。とりあえずピアココに向かいます」
洋一が頷くと、アンは頭を引っ込めた。
日本語だった。つまり、洋一の理解優先が続いているということだ。まあパット以外は全員日本語が話せるのだし、洋一だけに通じない言葉よりは日本語で通した方がましだという判断は当然だ。そうすれば被害者はパットだけであるし、パットは洋一にくっついていさえすれば満足なのだから問題はない。
しかし、今現在はいいとしても、フライマン共和国に日本語をネイティヴで話せる者がそんなに多いとは思えない。ここにいる少女たちが異常なのだ。
これで第3勢力、いやラライスリ派と合流すれば、今のようにはいかなくなりそうである。洋一はうんざりしながも覚悟を固めた。
不意に鈍い連続音が始まり、続いて甲高い音が後部の方から起こった。ほとんど同時にぐいと身体が壁に押しつけられる。床がやや傾いたかと思うと、ボートは前進を始めた。
パットの柔らかい身体が洋一の膝に乗り上げていた。きらきら輝く短い金髪が胸に押しつけられ、満足そうなパットの表情が見える。
横目で眺めると、メリッサの凍りつくような視線がまっすぐこっちに当てられている。洋一はさりげなくパットを押し戻して、横に座らせた。それでもパットがぐいぐい身体を押しつけてくるのは止められない。
この少女は、この歳でもう女の武器を使うことを知っているのだろうか?
しかしパットの表情は、どうみても洋一の誘惑よりは美しい姉への優越感に満ちているように見える。姉妹喧嘩の材料にされていると思った方が良さそうだった。
小さな窓につかの間海岸が見え、たちまち消えていった。モーターボートは順調に飛ばしているらしい。
洋一はちょっと迷ってから言った。
「ビアココって、どういう場所なんだ?」
誰かを特定して声をかけるとまた気まずくなりそうなので、独り言のような声を心がける。しかしエンジン音がうるさくて、怒鳴り声になってしまった。
サラが口を開きかけて自制した。メリッサがサラの方を見ると、サラはかすかに頷く。すごいとしか言いようがない自制心と状況判断力だった。やはりサラはただものではない。
やっと出番が来たメリッサが、嬉々として話し始めた。
「ビアココは、ココ島の最南端にある村です。村というよりは、漁業基地という方がいいんでしょうか。よく知りませんけど、もともと荒れ地と断崖ばかりで誰も住んでいなかった所へ、魚の加工工場とか倉庫とかを集中して作ったものから発展したと聞きました」
そつのない答だった。メリッサも知的には違いないのだ。他の2人と比較するから平凡に見えるだけだ。
ややあって、サラがゆっくり続けた。
「工場や倉庫だけじゃなくて、ココ島の漁船の母港になっているのよ。貿易港は他の場所にあるんだけど、漁船の修理とか荷揚げとかの設備をまとめて作ったと聞いたから、そのせいじゃないかな。第3……ラライスリ派の母体は、どうやら漁業関係らしいから、その関係で本拠地がビアココにあってもおかしくないと思う」
「なるほど」
洋一は頷いてみせた。