第18章
「パティ、寝てしまったんですね」
メリッサが言った。
外見からイメージしていた通りの、ややかすれた甘い声だった。
「あ、ああ。アマンダさんが、船の寝だなに寝かせるようにって……」
「そうですね。手伝います」
メリッサは、軽く微笑むと素早く縄ばしごを伝ってカハ祭り指揮船に降りた。
洋一がパットを背負ったまま縄ばしごを降りると、後ろからパットを受け取って腕に抱える。
細い身体のどこにこんな力があるのかと思うくらい、メリッサはパットを軽々と抱き上げていた。
洋一が飛び降りて、パットを受け取る。
「力あるんだね」
洋一は、ぼやっとしたまま言ってからあわてて口を押さえた。女性に対して言う言葉ではない。
だが、メリッサは気にしなかったようだ。
「中華料理が得意なんです。チャーハンなんか腕の力がないとおいしく出来ないでしょう。いつの間にか、鍛えられていたみたいです」
屈託なく笑うメリッサは、もう女神には見えなかった。
その時、洋一は気がついた。なんで俺はメリッサと話せるんだ?
「日本語話せるの?」
「さっきから話していますけど?」
アマンダよりは落ちるが、まずまずネイティヴな日本語だった。ただし、洋一に話すにしては丁寧すぎるのが気になる。
その他に、日本領事館のサラやアマンダの言葉は日本人が普通に話しているようだったのにくらべて、メリッサの言葉はやはりどことなく違和感があった。
メリッサの場合は見た目の印象が強すぎて、その唇から日本語が出てくるのは別の意味で違和感が感じられるということもあるかもしれないが。
「そういえばそうだけど……アマンダさんから、そんな話は聞かなかったから」
メリッサはちょっと顔をしかめた。
「姉さんったら、またへんなことを吹き込んだんじゃないでしょうね。何を言われたんですか?」
「いや……アメリカに行ったこととか、料理が得意だということとか」
「それだけ?」
「うーん……ちょっと、人見知りするとかも言っていたけど……」
メリッサの笑顔が、一瞬凍りついた。それから、ため息をつく。
「そう。そこまで話したんですか。でも、それってアマンダがヨーイチさんを認めたってことですよね」
「アマンダさんが?」
「ええ。姉さんは、ちょっと過保護なんです。いつまでも私のことを子供だと思っているみたいなの。だから、ヨーイチさんにそこまで話したってことは、ヨーイチさんを信用したってことだと思います」
「そうかなあ。からかわれてばっかりのような気がしているけど」
「それこそ、気を許している証拠じゃありません?」
話しながら、洋一とメリッサは船室に入った。パットはぐっすり眠りこけていて、何をされても起きそうにない。
メリッサが狭い寝だなにシーツを敷いて用意すると、洋一はパットを寝かせた。メリッサが毛布をかけてやる。
「昨日からはしゃぎすぎていたもの。ぐっすり寝てるわ」
「そうか。カハ祭りの出発式とか色々あったからね」
「それに、パティ、密航してきちゃったみたいなんです。兄は家においておくつもりだったらしいんだけど、今日は色々あってバタバタしていたから、つい目を離した隙に、ね」
「やっぱりか」
洋一は頭を掻いた。パットの密航の理由には、洋一自身がかなりかかわっているような気がする。
小さな電灯を消して、洋一とメリッサは船室を出た。外は、もうカハ祭り船団の各船も解散してしまって、明かりもぽつんぽつんと見えるだけだった。
その分、天上はすさまじいばかりの星の海である。星座などまったくわからない。ただただ、白い星々がまき散らされている。
洋一は、しばし言葉をなくして見上げていた。
「星、好きなんですか?」
メリッサが小さな声で言った。洋一は我に返る。途端に、隣に立つメリッサを意識してしまった。
自分でも信じられない。メリッサと2人きりで夜の海を見ながら、馬鹿みたいに空を見上げていたのだ。
あわててメリッサを見ると、小さく微笑んでいる。怒っているわけではないらしい。洋一のつたない経験だと、こういう状態で男にほっておかれた女の子は、大抵機嫌を悪くするものだが。
「日本じゃ、こんな星見えないから。いや、ココ島でだってこんなにすごくはなかった」
「ええ。今日は、特によく見えてます。漂光がよく光る日は、星も輝くって歌があるんですよ」
「歌が?」
「ココ島に伝わる歌なの。あ、もちろん、今のは日本語に訳すとそういう歌詞になるっていう意味なんですけど」
「へえ……歌える?」
「歌えるけど、歌詞がわからないと思いますよ。それでもいいですか?」
「ああ。聞きたい」
勢いで言ってしまってから、洋一は内心頭を抱えた。なにイケメンぶっているんだ俺?
しかしメリッサは、こくんとうなづくと、手を小さく後ろに組んでアカペラで歌い始めた。
まるで夢のようだった。
ほとんどささやくような小さな声で、メリッサが不思議な歌を紡いでゆく。メリッサの声は少し低くて、甘い響きがある。
もちろん歌詞はわからないが、メリッサの声で聞いていると、恋歌のような気がしてくる。実際、少し寂しいようなその旋律は、歌謡曲よりはラブソングというイメージだった。
ふと、メリッサが歌うのをやめた。
「どうしたの?」
「ええ……ちょっと」
沈んだ声でメリッサが言った。洋一から顔を隠すようにうつむいている。何か、思い出があるのかもしれない。
こういう場合にとるべき行動を、洋一は経験不足で知らない。何を言っても逆効果のような気がして洋一が声をかけそびれていると、メリッサは不意にこちらを向いた。
「ごめんなさい。まだ続くんだけど、歌は……」
「いや、いいよ。悪いことしたみたいだね。聞かせてくれてありがとう」
洋一にしては上出来すぎる回答だった。メリッサはこくんと頷いた。
「それじゃ、私は帰ります」
ぱっと身を翻し、メリッサはあっという間に姿を消した。母船の方に寝室が用意されているのだろう。
回りを見てみると、散らばったあちこちの船からはまだ騒いでいるような声が小さく聞こえるものの、全体としては静まってきている。カハ祭り船団は、眠りにつこうとしているようだ。
洋一は頭を掻いた。俺は、どこで眠ればいいんだ?