第187章
洋一は、小高い丘の上で海を眺めていた。微妙に色を変えながら水平線に続いている海は、いつまで見ていても飽きないくらい美しい。
そこは湾らしく、視界の両側に岬が張り出している。切り立った崖は波打ち際を除いては緑に覆われていて、海の碧と絶妙なバランスを保っていた。
誰かが洋一を呼んでいる。
振り向くと、きらきら輝く金髪が見えた。石造りの神殿が完全な形で建っていて、どうやらその人影は神殿の階段の上にいるようだ。
洋一は向きを変えて、神殿の方に歩き始めた。次第に大きくなって行く神殿とその周りの土地を見て思い出す。これは、あのタテマイ島にあったはずの神殿だ。
神殿はそんなに大きくはないが、どっしりとした石造りだった。様式はよく判らない。ギリシャ神殿とキリスト教の教会がまざったような造りで、色々西欧から影響を受けているようだ。ただ、イスラムや東洋の影響らしいものは見あたらなかった。
石段にさしかかる。
一番上に、白い服を着ている女性がいた。太陽が洋一の正面に回っているために、顔がよく見えない。ただ、その輝く金髪と女らしい身体の曲線ははっきり見てとれる。
また何か呼ばれた。声ははっきり聞こえるのだが、まったく未知の言葉だ。日本語でも英語でもない。
洋一が当惑して見上げていると、その女性はいきなり石段を駆け下りてきて、洋一に飛びついてきた。
洋一はとっさに脚を突っ張ったが、そんなことで勢いのついた人間一人分の体重を支えきれるわけがなかった。洋一は、その女性を抱えたまま後ろ向きに倒れ込んだ。
幸い、石段の前は軟らかい草に覆われた空き地だった。それでも洋一はかなり激しく背中を打った。しかも胸の中の女性の重量がもろにのしかかってくる。
思ったよりは軽かったが、それでも成人女性の体重はある。少女ではなく、成熟した女性のようだ。洋一に触れている身体の各部分がそれを示していた。
その女性は、何か怒ったように早口で話しながら洋一を見下ろした。長い金髪が影を作って、あいかわらず顔がよく見えない。それでも、弾むような口振りからその女性がまだ若いことが判る。
洋一は思わず手を伸ばして、その女性の頬を包んだ。女性はびっくりしたようだが、大人しくしている。それどころか、洋一の手の平に自分の頬を押しつけてきた。
太陽光線と金髪の光の反射で、洋一はほとんど盲目になりながら女性の顔を手探りした。頬と顎の線は滑らかで、造形的にみて完璧に思える。親指が女性の鼻や口唇に触れると、ため息のような暖かい風が手を撫でた。
美女だ。間違いない。
洋一はもがいて身を起こした。何とか女性の顔を見ようとしたのだが、女性が洋一の腰の上に居座っているので身動きが取れない。
されるままになっていた女性は、洋一の手が離れると、急に動いた。あっという間に近づいたかと思うと、やや顔を傾けて覆い被さってくる。
強烈なキスだった。
明らかにやり慣れている。キスを、というよりは洋一とのキスが日常茶飯事であるかのように、その動きには微塵のためらいもない。
両手で洋一の首にかじりついているため、洋一は再び支えきれずに倒れ込んだ。
ぼおっとしてくる程のキスだった。まさにむさぼられているという感覚だ。舌が入り込んできて洋一を刺激すると、洋一の方も自動的に返した。
洋一の舌だけでなく、下半身も反応している。
意外なことに、洋一は平静だった。何か現実ではない、という認識がある。そんな状態で、いかに強烈なキスをされているとしても、自分の下半身が起きあがってくるなどとは考えられない。しかし実際そういう感触があるし、相手の女性も洋一の変化に気がついて、うれしそうに叫び声を上げた。
にもかかわらず、洋一は何も感じていないのだ。
夢なのかもしれないが、それにしてはリアルすぎる。しかし現実にしては状況が荒唐無稽すぎる。それにコントロールが効かない。
まるで、自分の感覚の主要な部分をすべて乗っ取られたような気分だった。
女性が長いキスを終えて、甘い声で何か話しながら身を起こした。まぎれもなく女だ。下半身を洋一の上でくねらせるように動かしながら、両手は洋一の顔を包んでいる。
まだ女の顔がよく判らない。
しかし、洋一はそんなことはどうでもいいような気になっていた。この得体の知れない状況に適応してきている。
一方で、これは夢だとほぼ確信している。頭がはっきりしてきて、こんな状況に追い込まれるはずがないことが判ってきているのだ。ティナの家で夕飯を食ってから寝込むまでの一連の行動がはっきり思い出せる。
これは夢だ。いかに夢ばなれしていようが、夢は夢なのだ。
その時、反応がにぶい洋一の態度にじれたのか、女がいきなり動いた。洋一の上から降りて、横に座り込む。
斜めから光を受けた女の顔が顕わになる。短い金色の髪の毛を掻き上げると、そこには見覚えのある美貌が怒ったようにこちらを睨んでいた。
「ヨーイチ!」
「……ああ、パットか」
いきなり視野いっぱいに広がった幼い少女の瞳は、澄み切った緑色だった。その少女は、洋一の額に触れんばかりに顔を接近させている。
洋一はあわてて起き上がった。身体がバキバキいっている。かなり無理な姿勢で寝込んでいたらしい。
上半身を起こして回りを見回すと、見慣れた面々がいた。
「やあ。みんな、よくここが判ったな」
誰も反応しない。冷たく洋一を凝視しているばかりである。
それにしても、さして広いともいえない部屋に少女たちが5人も立ちはだかっていると、それだけで異様な迫力がある。しかも、年長の2人、メリッサとミナは明らかに怒りを抱いている雰囲気を漂わせているのだ。
パットは洋一にしがみついているが、アンとシャナは後方から興味深そうにこちらを眺めているのもいつもの通りだった。
サラの姿が見えない。
ぼやっとしていた洋一は、ここに至ってやっと現在の状況を認識した。
考えてみれば、あのクルーザーからサラと洋一が相次いで姿を消し、そしてこのティナの家の同じ部屋で夜を明かしたことが判明したのである。これではまるで駆け落ちだ。
冗談ではない。よりによってメリッサの目の前でそんな立場に追い込まれたのだ。洋一は必死で、しかし外見上はさりげなく様子を伺った。
メリッサは怒っている。いつも冴えている美貌が、今はさらに冴え渡って怖いほどだ。ただしとまどってもいるようで、駆け落ちを信じ切っているわけでもない。弁解すれば信じてくれそうだと洋一は踏んだ。もともと優しい少女だし、頭が悪いわけでもない。
ミナは、無表情ではあったが強い感情が感じられた。単純に怒っているわけではなく、むしろ色々な可能性を考えて、すでに彼女なりの結論は出しているらしい。単純に駆け落ちなどというつまらない結論に走らないのはさすがと言える。もっとも、ミナの真意は洋一ごときに判るはずはないが。
パットはおそらく何も考えてない。洋一にしがみついている今は、もう何もかも忘れて満足しきっている。この少女は本当に可愛い。
シャナとアンも忠実にくっついてきているが、アンは何か思い詰めたように考え込んでいる風だし、シャナに至っては好奇心いっぱいの顔つきでこちらを伺っている。面白がっているのは明らかだった。