第185章
そんなことで大丈夫かなと思ったが、洋一は黙ってサラについていった。どちみち他に道はないのだし、自信がないと言う割にはサラの足取りが確かだったからである。これだけ頭のいい少女が、いいかげんな情報で動くはずがない。
いつの間にか、2人は村のメインストリートらしき通りにさしかかっていた。シャナを拾った村と同じく、ここもただ道の両側に店らしき建物が並んでいるだけという殺風景な場所だ。
当然のことながら、店は全部閉まっていた。夜が早いというよりは、客がいないのだろう。夜中に出歩く習慣がないのかもしれない。その証拠に、洋一たちは未だに誰にも出会っていない。
サラはためらいもせずにメインストリートを突っ切る。とても初めて来た場所とは思えない。ストリートのはずれの店の前で立ち止まると、サラは熱心に看板を読んだ。
「ここだわ」
独り言のように言って、サラは店の裏に回り込んだ。洋一はサラの後に続きながら店を見た。看板はもちろん読めないが、雰囲気からして何かの道具を売る店らしい。日本でいう乾物屋のようなものだろうか。ココ島の乾物屋がどういう商品を扱っているのか、いまいち判らないところがあったが、八百屋とか床屋のたぐいではないことは確かのようだ。
店は典型的なココ島の家で、プレハブのような壁と平らな屋根の平屋だった。一見雑な作りだが、風に対してかなりの耐久性があるそうだ。時々ハリケーンが襲ってくるココ島ではこういう低層の家に人気がある。
店の裏からサラが何か話す声がしていた。洋一が追いつくと、サラは裏口で誰かと向かい合っていた。
開かれたドアの奥に細身の影が見える。サラがこっちを向いて何か言った。影もそれに答えた。もちろん、洋一には会話の内容は判らない。
「ヨーイチ、泊めてくれるって」
影がドアの向こうに引っ込む。続いてサラも入って行く。洋一はあわててドアに駆け寄った。
そこは裏口らしく、すぐにキッチンに続いている。眩しさに一瞬目をつぶった洋一は、天井の明かりから目を逸らせるように室内を見回した。
質素な調度と言える。いくつかのテーブルと椅子があるだけで、後は壁際に厨房設備があるだけだ。正面のドアは、店に通じるのだろう。他にドアが2つあるが、どちらも閉まっていた。
やっと目が慣れて、洋一は正面を見た。
サラと並んで立っているのは、洋一やサラと同年代の女性だった。
褐色の肌、栗色の髪、瞳の色は蒼。混血らしいすらっとした体つきだ。ホットパンツとランニングなので、手も脚もむき出しである。健康的なエロチックさに溢れていた。
蒼い瞳は、まっすぐに洋一を見据えている。鋭いというよりも、好奇心いっぱいの視線である。
「ヨーイチ、こっちは私の小学校の同級生でティナ。今はこのお店の手伝い」
サラは簡単に少女を紹介してから、ティナの方を向いてペラペラっと話した。ヨーイチとかジャポネという単語が聞き取れたから、洋一を紹介したのだろう。
ティナは大きく頷いて、洋一に握手を求めながらなにやら言った。まったく判らない。
洋一も作り笑いを浮かべてティナの手を握り返す。ティナの握力はえらく強かった。彼女もまた島の娘なのだ。
ティナは、すぐにわざとらしく洋一から目を逸らしてサラに話しかけた。といっても、チラチラと洋一の方を盗み見ていることからして、内心どう思っているのか丸見えである。昔の同級生が、いきなり日本人の男を連れてきて一晩泊めてくれというのだから不審に思って当然なのだが、そういう感覚ではなく、ティナは洋一とサラの関係の方に興味があるようだ。
サラはティナの話に頷いて、洋一に言った。
「とりあえず、何か作ってくれるって。ヨーイチはそこに座っていて」
どうやら夕飯も食わせて貰えるらしい。
2人の少女は、すぐに厨房で支度を始めた。
洋一はギシギシ鳴る椅子に腰掛けた。いかにも安食堂といったかんじで、洋一はココ島に来て初めて自分に似合った環境にいるような気がした。
これまでは日本領事館とかソクハキリの屋敷とか、そうでなければ大型クルーザーなどといった洋一の生活レベルに似合わない所にばかりいたのだ。自分でははっきりと意識していなかったが、やはり緊張が続いていたのかもしれない。
その点ティナの店は、客が礼儀を守る必要もないし、多少汚そうがどうしようが目立たないと思われる。特にこの部屋は日本の学生街にしかないような雑な雰囲気で、汚いわけではないのだが綺麗とも言い難く、洋一がくつろぐには十分すぎるくらいである。
ティナの家族はココ島では中流階級に属しているはずだ。まがりなりにも独立した店を経営しているのだから、貧乏人ということはあるまい。
その中流の家がこの程度なのだから、やはり日本に比べれば全体的に貧しいといえる。
日本は世界でもトップクラスの金持ち国なのだ。物があるのは当たり前だし、国ごとに何が重要なのかの基準が違うから、比べるのは不当だ。
むしろ必要のないものがゴタゴタ置いてあるような日本の家より、このティナの家のようなあり方がココ島には合っているのかもしれない。
ソクハキリもノーラも、ジョオやミナすらも、ココ島では上流階級というか金持ちなのだろう。でなければ指導者階級であるはずもないのだが、その連中と対等につき合っていたサラも、やはり指導者階級の家の娘なのだ。そもそも母方の実家が日本にあるということからして、一般人とは違う。ただし、サラの場合はごく普通にティナたち中流階級が通う学校に通っていたために、そういう友達がいるということだ。
洋一がぼんやり見ていると、サラとティナは結構楽しそうに料理を進めていた。もちろん本格的なものではなく、どうやら残り物を集めて何かを作っているらしい。
その間にも、ティナは時々洋一の方をちらっと見てはサラにこそこそと話しかける。サラの方はほとんど相手にしてないようだが、顔が火照っているのは料理のせいばかりではない。
洋一も落ち着かなかった。
心情的にはリラックスしているのだが、ティナの視線が気になる。サラと一日いっしょに過ごして、ますますその魅力を再認識してしまったこともある。
メリッサやパットの面影が、ともすれば薄れかけているような気がする。こうして庶民の家でくつろいでいると、あの上流階級のお嬢様たちと自分との格差がいよいよはっきりと認識されるのだ。
メリッサへの洋一の気持ちは、恋だと思う。はなはだ曖昧ではあるが、洋一が過去に恋した女性たちと比べて、はるかに強い感情の動きを感じている。こういう分析が冷静に出来るのならそれは本気の恋ではないと言う話を聞いたことがあるが、幸いにして洋一はその考え方には反対だった。
狂ってしまうのだけが恋だとは思えないのだ。相手が欲しくてたまらないなどという感情は、ただの執着心にすぎないと思う。もしメリッサを恋するのなら、自分がメリッサにふさわしくならなければならない、と考えている。
もちろん、メリッサがお嬢様……というよりはむしろお姫様で、洋一が庶民にすぎないという身分や財産上のことではなく、洋一自身が判断する「ふさわしい」かどうかの基準だ。
それは責任を取ることだ、と洋一は思っている。言い換えれば、最低限途中で逃げ出すようなことをしないでふんばれるかどうかなのだ。