第179章
ジョオは早足で歩いていた。洋一は時々小走りになりながら後を追わなければならない。ふと横を見ると、サラが緩やかに駆けている。その顔はいつものポーカーフェイスに戻っていて、内心は伺い知れない。
ジョオの巨大な背中を追っていると、洋一はなぜか安心感を覚える。ちょっと考えると、すぐにその原因に思い当たった。
パットがなついているからだ。それにメリッサとも親しそうだった。それだけで、ジョオを信じていいと思う。パットがあんなに信頼している人が、悪い人であるわけはない。
もっとも、悪い人ではないからといって、いい人と決まったものでもないし、その素性からして怪しいジョオの正体は、やはりかなりうさんくさいと思える。
だが、ジョオがパットを泣かせるようなことをするはずがないのだ。それはつまり、少なくとも洋一にとっては敵ではないということだ。
いつの間にか、3人は人気のない林に踏み込んでいた。森というには木がまばらだが、細い道がうねりながら進んでいる部分以外は下草がからみあって通り抜けられそうにもない。
ココ島は小さな島だという先入観があるが、日本領事館の蓮田に連れられてフライマンタウンからアグアココに行った時には驚くほど高い山に登らされたし、山の上から見ると、島のあちこちに深い森が広がっていた。
狭い島かもしれないが、けっして不毛の島ではないのだ。それに狭いというのはヨーロッパやアメリカから見ての感覚であって、日本のイメージではそんなに窮屈とは思えない。少なくとも、孤島や無人島ではないことは確かである。それに、フライマン共和国はココ島だけで成り立っているわけではない。フライマン諸島には、人が住んでいるだけで少なくとも数十の島があると聞いた。諸島自体は他の国から離れているが、ココ島は決して孤独な島というわけではないのだ。
開発が意外に進んでいないのも、地勢的条件の他に、広くて平らな場所が少ないということもあるらしい。もともとは火山島で、切り立った岩山のような場所が多いのだ。
その上、大型の船舶が安全に入れるような港があまりないため、工業化するにはコストがかかりすぎるということで、そのままになっていると日本領事館の猪野から聞かされた覚えがある。
要するに、典型的な発展途上国といえるのだが、幸か不幸か独裁者が出るでもなく順調に発展してきている。これは、植民地時代のヨーロッパ人の支配が短かったことと、比較的早期に独立したことが大きい。西洋文化を導入するには十分な期間だったが、もともとの文化を破壊するほどではなかったというわけだ。宗教にしても、キリスト教は入ってはいるものの、特に支配的な宗教というわけではない。ラライスリに代表される土着の信仰が根強く残っていて、それは別に他の宗教と衝突するものでもないし、融合することもなかった。
その点では、日本と風土が似ているといえるかもしれない。規模は違うものの同じ島国で、直接外国の武力侵攻を受けたこともなく、文化的な影響は受けても浸食されることはなかった。他の文化を取捨選択して取り入れるところなど、日本とそっくりと言ってもいいくらいである。日本と違ったのは戦争に負けたことがなく、それゆえに他国に対するコンプレックスと、それによる爆発的な機械工業の発達がなかったことくらいである。資源に恵まれなかったことも大きな原因だろう。
いわば、フライマン共和国はうまくやった日本なのだ。日本人に馴染みやすい風土だし、この地に日本領事館があるのも、外務省がそのへんのところを察知しているのかもしれない。
そんなことは実はどうでも良かった。洋一としては、なるべく早くこのゴタゴタが片づいて、訳の分からない状況から解放されればそれでいいのだ。もちろんその結果メリッサと会えなくなったりするのは困るが。
ジョオはどういう考えでこの騒ぎにのめり込んでいるのだろう? どうみてもカハ族やカハノク族とは言い難い。洋一が言うのもなんだが、ジョオにはココ島やフライマン共和国とは異質なものを感じる。溶け込んでいないというわけではないが、努力してここにいるといえば近いか。要するに、外様なのだ。
あれだけ見事な黒人なのだが、アフリカ系というよりはアメリカのイメージがある。ユーモアがあるが奥底は冷静で、おそらく教養も高いだろう。もちろん洋一の偏見である可能性も高い。
もしジョオがフライマン共和国と関係ないとしたら、他国、例えばアメリカの指令で動いているということも考えられる。ひょっとしたら日本かもしれない。日本領事館の怪しい動きという前例がある。
しかし、それだったらもっと積極的にかかわってきそうなものだし、大体自分で出張ってくる必要などないはずなのだ。もしそういう役をさせられている下っ端なのだとしたら、いずれにせよ自分の考えでは動いていないことになる。
つまり、ここでジョオを問い詰めてもいずれにせよ何もならない。結局のところ、このままおとなしくついてゆく以外にやりようがないということだ。
森は意外に早く抜けた。向こう側はちょっとした広場になっていて、その向こうは海だった。海といっても入り江らしく、その向こう側の半分くらいは岬になっている。どうやら湾に出たようだ。
「こっちだ」
ジョオが短く言って、さらに速度を上げた。もはや洋一とサラは小走りだった。ジョオが急いでいる。最初に受けた印象と違って、結構重要なことをやっているのかもしれない。
ジョオは一直線に斜面を下って行った。あたりは何も無い。結構いい土地なのに、誰も住んでいないらしい。日本なら、こんな場所はあっとい間に別荘地として開発されてしまうだろうが、ココ島にはココ島の流儀があるのだろう。
そこは静かな砂浜だった。端の方には桟橋が見えるが、それ以外はボート小屋らしき建物がひとつふたつあるきりで、生活環境が整っているとは言いがたい。その砂浜も、橋から端までせいぜい50メートルあるかないか。これでは海水浴場としても小さすぎてやっていけまい。
ジョオは小屋にまっすぐ入っていった。洋一とサラも続く。小屋は、近づいてみると見た目よりは大きかった。一見平屋なのだが、高さからみて2階建てのようだ。窓がなく、ドアが大きいために小さな家屋のように見えたのだが、実際には倉庫といっていい規模である。
ジョオが入ったドアは、高さが3メートル近くあった。どうやら人間用というよりは大型の機械を入れるための出入り口らしい。
洋一は、その小屋の前で立ち止まった。どこかで見たような建物なのだ。いや、建物だけではなく、この景色にも強い概視感がある。
「ヨーイチ、急げ」
ジョオが顔を出して言った。珍しく、いや考えられないくらい苛立っている。およそジョオには存在しないと思っていた特質である。つまり、今の状況は、ジョオをそういう行動に追い込むだけの理由があるということだ。
「ヨーイチ、行きましょう」
サラが背中を押した。洋一は、とまどいながら小屋に入った。
「なんだこれは?」
そこにあったのは、おびただしい箱だった。それも長距離輸送用の大型の木箱である。大半は開けられていて、荷物は持ち出された後らしい。しかし、まだ未開封の箱が奥の方に山のように積んである。
「これは……あの荷物じゃないか」
「ヨーイチ、知っているの?」
サラが心配そうに洋一の顔を覗き込む。しかし洋一は小屋の外に飛び出して辺りを見回した。間違いなかった。
「ここだ! ここは、俺が着いた時の港だ!」