第178章
洋一がぼんやりとそんなことを考えていると、サラがいきなり言った。
「ヨーイチ、念のために聞いておきたいんだけど」
「なんだい」
「日本に帰りたい?」
「そりゃ……帰りたいっていうより、帰るよ」
言ってしまってから、洋一はぞっとした。冗談にしてはあまりにも怖い言葉である。これだけココ島の秘密にかかわった以上、帰さないということだろうか。それとも、もっと怖くて用が済んだら始末されるということだろうか?
そんな洋一にかまわず、サラはにこりともしないで続ける。
「そういうことじゃなくて、今すぐっていう意味」
「今すぐ?」
「だからっ。こんなことに巻き込まれるのが嫌なら、すぐに日本に帰してあげるってことよ!」
言い切って顔をそむける。暗くてよく見えないが少し頬を染めているようだ。
「そんなことが出来るのか?」
洋一は驚いて言った。未成年の少女に出来ることではない気がする。
「やる」
サラは言い切った。凄い少女である。
ほとんど反射的に、洋一は言っていた。
「今すぐ帰るのは嫌だな。それじゃ、逃げるみたいじゃないか。大体、ここで帰ったらこれまでの苦労は何だったのかということになる。それに、これからどうなるか判らなくなるし」
サラは頷いた。何も言わないが、ほっとしたような表情に見える。やはり、言ってしまってから悩むタイプらしい。そんな大仕事の実行が危ぶまれるのは当たり前だ。何しろ、単純に日本人を一人島の外に送り出すという事ではない。ヘタをすると、タハ族、カハノク族の両方のリーダーを敵に回してしまう。
「だから、そんなことは言わないでくれ。少なくとも、カハ族とカハノク族の事が解決する、いやそこまでいかなくても一応結論が出るまでは、帰れと言われても帰らないよ」
「判った」
サラは、それ以上話題にしたくないように、言葉を切った。
洋一の方もほっとしていた。サラには言いにくいが、やはり洋一が帰れない原因としては、メリッサが第一なのだ。日本でならそばに近寄ることも出来ないような美女とお近づきになっているのである。こんなチャンスを棒に振るわけにはいかない。
いずれは辛い別れが来るのは判っているが、それまでは夢を見ていたい。今逃げたら、絶対に一生後悔し続けることになる。
サラはそれ以上何も言わなかった。
洋一もまた待機に戻った。しかし一体いつまで待っていなくてはならないのだろうか。それに誰を?
ここでこんなに無駄な時間を過ごすくらいなら、メリッサやミナに何か伝言くらい出来たのではないだろうか。洋一とサラが相次いで消えたことについては、あのクルーザーの中でどんな憶測が乱れ飛んでいるかしれたものではない。
まあ、洋一がいなくなったからといってどうにかなるような少女たちとは思わない。その点はノーラの言う通りである。きっと今頃はミナが主導権をとって行動を開始しているだろう。あのクルーザーは故障したわけではないのだから、ミナとアンがいれば動かすくらい出来そうである。どこに向かうのかは、ミナたちの判断にかかってくるわけだが。
いずれにせよこれでお別れというわけではない。近い内に再会できるはずだ。そう思ったからこそ、洋一はノーラの要請に従ったのだ。
いや、形としては要請だったが、あれは命令だった。洋一は断るわけにはいかないのである。籠の鳥なのはあいかわらずだ。
思考がどうどうめぐりを始めたので、洋一は立ち上がって歩き始めた。じっと考え込んでいると、不健全な考えに浸りたくなる。
椅子席を抜けて正面の十字架まで進み、直角に右に曲がって部屋の隅まで歩く。壁に沿って部屋を一周すると、もうやることがない。
向きを逆にしてもう一周する。ふと見ると、サラが洋一を目で追っていた。呆れているのか無関心なのか、いつもの冷静な表情からはどちらともとれる。
十字架のところまで戻ると、また最初からやり直す。それを3回繰り返したとき、不意に洋一は自分とサラ以外の人間が部屋の中にいるのに気がついた。
「こんなとこでまで運動か? 日本人はじっとしてられないというのは本当らしいな」
「ジョオさん!」
「ちょっと待たせたみたいだが、まあ許せ。色々やることがあってな」
ジョオは平然と言った。あいかわらずの、体重を感じさせない動きで教会に入ってくる。
「ノーラさんがここで会えって言った人って、ジョオさんなんですか」
「もちろんだ。このジョオ以外に誰がヨーイチに会うというんだ。謎の一端を知りたくないのか」
「……それは、どういう……」
「まあ気にするな」
冗談なのかどうか判らない。黒光りする顔は、笑っているが表情が読めないのだ。
サラも立ち上がっていた。少し堅い顔で、日本式に挨拶をする。
ジョオの方はサラを認めると、わざわざ立ち止まって大きく頭を下げた。あのチェス以来、サラには敬意を払っているらしい。それから洋一の方を向く。
「さて、グズグズしないで行こうか。スピードアップせにゃ、な」
よく言えばざっくばらん、悪く言えばいいかげんな態度だった。サラと違って、洋一は敬意の対象ではないらしい。
「わかりましたよ」
「よし、その意気だ。これからが本番だからな。気を抜くなよ」
ジョオはそれだけ言うと、もう一度サラに深くお辞儀をしてから大股に出て行く。洋一はあわてて後を追った。ちらっと見ると、サラがあいかわらず堅い顔でついてくるのが判った。サラは一言もしゃべっていない。やはり、まだノーラとの諍いが尾をひいているらしい。
それにしてもジョオの言いぐさが気になる。この時点でジョオが出てくるのも意外だったが、もともとうさんくさい人だから、裏で暗躍していたとしても不思議ではない。ただ、メリッサやパットと親しいジョオが、ノーラともつながっていると思うと、きな臭さがプンプンしてくる。しかもジョオは、この事態が終盤にさしかかっているような事を言った。
それはつまり、ジョオが裏の事情を知っていることになる。
洋一などは今だに何がどうなっているのかさっぱり判らない。人形のようなものだ。この騒ぎが何を目的として誰がコントロールしているのかも五里霧中である。
だがどこかで何者かが、すべてを操っているはずだ。カハノク族の大船団を跡形もなく消してみせたり、第3勢力と名乗る連中にあんな無謀な突っ込みをやらせたあげく洋一たちを残して逃げ出させたり、尋常でないレベルで物事を動かせる者がいるはずなのだ。
ジョオがそのすべての背後にいる、というのは考えにくかった。黒幕がそんなに簡単に洋一の前に出てくるはずがない。それに、どうもジョオは陰謀をめぐらせるタイプには見えない。いやいかにも百戦錬磨で謀略に向いているようではあるが、何の動機でそんなことをやるのかイメージが沸かない。
誰かに協力するにしても、ジョオが持っている倫理観に合わないことはやりそうにもない。何の証拠もないが、洋一は直感的にそう思う。
だからおそらく、ジョオは黒幕ではない。黒幕に近いところにいるが、おそらく手下というわけでもないだろう。もっと独立した、多分エージェントといったところか。