第174章
「何よそれ。特攻隊ってこと?」
サラは激しく洋一に詰め寄った。
神風特攻隊は知っているらしい。それだけでも大したものだ。洋一と同世代の連中でさえ、それを知っている者は珍しいくらいなのだ。洋一がそれに詳しいのは、たまたま興味を持って調べたことがあるからにすぎない。
だが特攻隊を知っているのなら、そういう概念になじみがあっても不思議ではないのだが、半分日本人とはいえ子供の頃にココ島に来てしまったサラは、そこまでの知識に欠けているのも致し方ない。多分、単語は知っていても概念までは理解していないのだろう。
「それもあるけど……そもそも神風って何だか知っているか?」
「カミカゼって……自殺攻撃のことでしょ?」
やはりそうだった。
「いや、それは神風特別攻撃隊っていう太平洋戦争中の日本の部隊のやり方のことだよ。神風って別に自殺のことじゃない」
「じゃあ何なのよ」
サラは喧嘩腰だった。一時的とはいえ、洋一に優位に立たれたことが気にくわないのかもしれない。
洋一がアマンダを見ると、アマンダはかすかに頷いてみせた。ここはまかせる、ということだ。
何だかテストされているような気になって、洋一は慎重に話し始めた。
「俺が理解している所では、神風っていうのは神様が日本を助けようとして起こす風のことだよ。中国が元っていう名前の国だったときに、日本に攻めてきたんだけど、そのとき風が吹いて侵略船団が全滅したらしいんだ。それも二度も」
「それって鎌倉時代の元寇のことでしょ。私だって日本の高校出たんだからそれくらい知っているけど……まだ判らない」
「つまり、天の助けみたいなもんだ。絶対敵わないような相手と戦っている時に、とんでもない偶然で何とかなってしまうことを期待することらしい。つまり他力本願だね」
「他力本願? 仏教のこと?」
「いや違う。ええと、人事を尽くして天命を待つ……というのもちょっと違うか。要するに、神頼みってこと」
洋一は投げやりに言った。説明しにくいというよりは不可能だ。アマンダが言いよどんだわけがよく判る。
しかし、サラは理解したようだった。
さっと頬を紅潮させると、アマンダにくってかかった。
「もしかして! 本当に今ヨーイチが言った通りなんですか?」
「そうよ」
アマンダは、頷いたものの少し腰が引けていた。案外サラのようなストレートなタイプは苦手なのかもしれない。それに、洋一と違ってサラは一応ノーラの配下と言える。からかって引き回す相手として相応しいとは言えないだろう。
「つまり……アマンダさんは、何の勝算も作戦もなく、ヨーイチやメリッサさんたちをあのクルーザーに送り込んだんですね!?」
「何の勝算もなくというわけでもないんだけどね。その……ヨーイチに期待するところもあったし、まあ何とかなるんじゃないかと」
アマンダの言い訳は、サラを納得させるにはほど遠かった。
「信じられない……そんないいかげんなことをやっていたなんて……」
サラはアマンダを睨み付けた後、いきなり立ち上がって部屋を出ていってしまった。もっとも、ノーラに小さく「失礼します」と言い捨てはしたが。
後に残された3人は、しばらく黙ったままだった。
アマンダは苦笑いしながらノーラと洋一を見たが、2人とも笑い返さなかったのでため息をついてソファーに深く腰掛けた。
ノーラもがっくりと力を抜いて座り込んでいる。一時的に人生に嫌気がさしているような表情だった。
サラの態度は当然という気もするが、洋一自身の感覚ではそんなに無茶だとは思えない。何せ、フライマン共和国の神様は日本と違って定期的に降臨しているらしいのである。人間がそれを頼るのは、むしろ当たり前だ。
洋一は静かに立ち上がった。
一応、ここに来た洋一側の目的は果たされたという気がする。アマンダの目的が何だったのかよく判らないが、何も言わないところを見ると今のところは無視してかまわないだろう。
だとすれば、洋一はサラを追うべきなのだ。サラに対しては、ちょっと説明が足りなかったかもしれない。そのせいでショックを受けているとしたら、それは洋一の責任になる。
洋一が出て行くときも、2人の美女は微動だにしなかった。それが何かの作戦なのか、あるいは見かけ以上に打撃を受けているせいなのかは判らない。まあ、十中八九前者だと思うが。
廊下にはサラの姿はなかった。それどころか、人の気配もない。入るときも人気が無かったが、ひょっとしたらこの館にはノーラしかいないのかもしれない。
とりあえず廊下を進みながら見回すと、何か違和感がある。ジョオのホテルを思い出して、洋一はすぐにその違和感に気がついた。
綺麗なのだ。埃ひとつ落ちていない。ということは誰かが毎日掃除していることになる。
これだけの広さを、まさかノーラ一人でやっているわけではあるまい。いくら掃除が早くても、一人ではこの館を一通り掃除するだけで日が暮れてしまうだろう。どう考えても、掃除専門の人が数人は必要だ。つまりメイドが。
ノーラの雰囲気からして、メイドよりは美男子の召使いの方があり得るような気がしたが、マンガではないのだからそんなわけはないだろう。日本領事館でも若いメイドたちがいたし、おそらくココ島ではメイドというのは結構実入りが良くて楽な仕事だろうから、志願者にはことかかないはずだ。ましてやカハノク族の指導的立場にいる人の屋敷なら、ほっといても志願者が集まってくる。
人払いをしてあるのか、あるいはみんな出払っているのかもしれない。メイドだからといって油断は出来ない。ココ島では、意外な人物がそういう仕事をやっている可能性があるのだ。例えば、ソクハキリの屋敷でメイドまがいの仕事をしていたメリッサとか。
突き当たって階段を昇り、しばらく歩いて別の階段を下りる。やはり、かなり広い。しかも作りがどことなくホテルめいていて、その気になればすぐにでも開業出来そうだ。というより、もともとはホテルだったのではないだろうか。もちろん、旧ヨーロッパ風の。
角を曲がると、そこはホールだった。アマンダと洋一が入ってきた場所の反対側らしい。重厚なドアを開けてみると、そこはちょっとした庭園だった。
正確には、かつて庭園だった場所というべきか。野生化しているほどではないが、刈り込みなど手入れをされていないらしく、雑草なのか観葉植物なのか判らない草が無秩序に生い茂っている。
それでも道は一応掃除されていたし、向こうに見える芝生などはきちんとしているようだ。庭に関心のない持ち主が最低限の手をかけてあとは自然のままにしているというところか。
ここにも人気がなかった。
道なりに歩いて行くと、ちょっとした林を抜けたところにゴルフ場のような場所があった。ただ芝生が広がっているだけで、ゴルフポストが立っているわけではない。平坦だが土地全体がなだらかな坂になっていて、向こう側は海岸に続いているようだ。
サラは、そこにいた。