第169章
やがて、木がまばらになってきたと思う間もなく、洋一はひょっこりと開けた場所に出た。
そこは庭らしかった。それも普通の人の家ではなく、ホテルとか公的な施設、あるいはソクハキリのような大金持ちの邸宅のそれである。
庭園というほどではなかったが、きちんとした生け垣や芝生が続いていて、これまでの獣道とは段違いだった。
どうやらあの獣道は使用人の使う道に続いていたらしい。アマンダは、舗装はされていないものの結構手入れの行き届いたかなり広い道を進んでいた。
「ヨーイチ!」
「はいはい」
アマンダは早足になっている。洋一も続いた。
しばらく歩くと、邸宅が見えてきた。アグアココのソクハキリの屋敷と似ている。こちらの方が少し小さいが、いかにも植民地時代に作られたらしいヨーロッパ風の重厚なものである。
その分古びていた。あまり手入れもされていないのか、壁などはあちこちペンキが剥げている。今はまだ明るいからいいが、これで日が暮れたら幽霊屋敷だろう。
ただ、窓ガラスは破れていないし壁に穴があいているわけでもない。最低限の補修はされているようだ。ロマンチックなリゾートホテルとしては使えないというだけだ。
アマンダはためらいもせずに門をくぐってノッカーを叩いた。
洋一が息を弾ませてアマンダの後ろに立つ。アマンダは反応がないことに苛ついたのか、ノッカーを立て続けに叩く。
あいかわらず何の反応もない。辺りは静まり返っていて、人の気配もない。幽霊屋敷そのものである。
アマンダはため息をついてドアを押した。割とスムーズに扉が開く。鍵がかかっていなかったらしい。
「ヨーイチ、ついてきて」
アマンダは振り向いて言い、さっさと屋敷に入って行った。洋一も続く。アマンダには慣れ親しんだ屋敷のようだ。
内部は、一応きちんとしていた。ジョオのホテル並には綺麗に掃除されていて、壁紙なども剥がれてたりしていない。外部よりは手をかけているのだ。多分、住んでいる人の考え方だろう。外見よりは住み心地を重視したというわけだ。
アマンダは、勝手知ったる他人の家なのか入ったばかりのホールをまっすぐに横切っていった。洋一も続く。
そのまま、正面にある階段を上る。洋一はあちこち眺めながら続いた。
ソクハキリの屋敷も殺風景だったが、こちらの屋敷は輪をかけて実用的だった。壁が続いているだけで、装飾がまるでないのだ。テレビなどで見る場合、このくらいの屋敷ならところどころに中世の鎧が立っているとか、せめて絵くらいかかっていそうなものだ。
それが、何もない。この屋敷の持ち主は徹底した倹約家なのか。あるいは、家の外と中の両方を整えるほどの余裕がないのか。
アマンダはまっすぐ一つのドアをめざし、ノックもせずに開けた。
「ノーラ、いる?」
「いるわよ」
ドアの向こうは、落ち着いた雰囲気のリビングだった。20畳はありそうな広い部屋だ。ここだけは家具のたぐいが揃っている。正面にミニバーがあり、中央にはかなり豪華なソファーセットが並んでいる。ただし、よく見るとあちこちすり切れていて、かつての裕福さは偲ばせても、現在のそれとは言い難い。
ソファーには2人の女性が座っていた。こちらを向いた一人掛けのソファーに堂々と腰掛けて、嫣然と微笑んでいる妙齢の美女が一人。年齢も美しさもビジネスウーマン然としたところも、アマンダと互角だろう。洋一が一番苦手とするタイプである。
そしてもう一人、洋一たちに背中を向けて座り、首をねじってこちらを向いている少女。「サラ!」
洋一が思わず叫ぶと、サラはばつの悪そうな表情で小さく手を振った。これまでの落ち着いたサラらしからぬ動作である。
「サラちゃんも来てたんだ」
アマンダは無遠慮に言って、長ソファーにどしんと腰を下ろした。洋一においでおいでをする。洋一は仕方なく、おずおずとアマンダの横に座った。
ノーラと呼ばれた美女は苦笑している。サラは縮こまっていた。
「さあて、ノーラ。とりあえず説明して貰いましょうか」
アマンダが宣言した。足を高く組み、納得するまでは動かないぞという態度が見え見えだった。これだけのでかい態度がとれるということは、ノーラがアマンダより格下なのか、あるいはよほど気のおけない仲なのか。
ノーラは肩をすくめた。こっそりと席を外そうと立ち上がりかけたサラを止める。サラは情けなさそうな表情で腰を落とした。
ノーラはのほほんとした顔で言った。
「ま、こっちにも都合というものがあるわけよ」
「ほー。都合ね」
アマンダも負けてはいない。同じくらい気のない口調で返す。
どうやら、この2人は悪友といった関係らしい。少なくとも対等の仲だ。立場的にも個人的にも。
アマンダと対等にやりあえるということは、並のフライマン共和国人ではあるまい。カハ族の中でも何人もいるかどうか。
そして、ここにサラがいる。ということは、ノーラはおそらくカハノク族だ。カハノク族の、アマンダと同じ様な立場の人間だろう。
だからサラは、一人でクルーザーを抜け出してここに駆けつけたのだ。おそらく、ノーラはサラの「上司」にあたる。これからどうすればいいのか、命令を貰いたかったに違いない。
サラもコマのひとつに過ぎなかった。
洋一は、なぜか意気消沈した。洋一を手玉に取るサラも、誰かの操り人形でしかない。そう思うと力が抜けていく思いである。洋一はサラを尊敬していたのだ、と今になって思いつく。だが、それも所詮は夢にしか過ぎなかったのだ。
そんな洋一をよそに、年上の美女2人の舌戦が続いていた。
「訳があるんなら、それはそれでいいわ。問題は、ひと言の断りもなしに動いたことよ。そのへんをどう考えているのか、はっきりして貰おうじゃないの」
これはアマンダである。
ノーラは、ちらっとうつむきかげんの洋一を見て、一瞬ではあるが顔をしかめた。もちろん洋一は気づかない。
サラは、心配そうに洋一を見ていた。
気づいているのだろうか。アマンダとノーラは、初めから日本語で話しているのだ。その理由はひとつしかない。
「それはそうと、彼が問題の人なの。紹介して貰えないのかしら?」
ノーラがいきなり言った。間髪を入れず、アマンダが答える。
「ああ、そういえば初対面だったわよね。ヨーイチ、こっちがノーラよ」
「あ……はい」
洋一は、いきなり現実に引き戻されて訳も分からず挨拶した。途端に、目の前にハシバミ色の瞳が迫っているのに気がついてのけぞる。