第16章
続いて、同じ光があちこちで灯り始めた。そして、光はユラユラと揺れ始める。
それは、まさに星空の照明のもとで繰り広げられる、不思議な光のカーニバルだった。
誰かが青いライトでも振っているのかと思ったが、青白い光に照らされているメリッサや回りの男達が席を立つ様子はない。
それに、光はどうみてもそれのみで空中に浮いているようにしか見えないのだ。
洋一は、あっけにとられて回りで繰り広げられる奇跡を見つめていた。
これもカハ祭りなのだろうか?
回りの人たちは、驚いている様子はないがやはりこの奇跡には心を打たれているらしい。 声高に話すような声は起こらず、あちこちでヒソヒソと囁くような声がしているだけだ。
不意に、目の前が明るくなって洋一は飛び上がりかけた。
洋一の顔のすぐ横に、青白い輝きが浮かんでいる。ぼんやりとしてはいるが、かなり明るく、目を輝かせたパットの顔が闇の中に浮かび上がって見える。
洋一が見ていると、その光はゆっくりと明滅しながら洋一に近づいたり離れたりしていたが、そのうちにふっと消えてしまった。
「あなたが気に入ったみたいね」
笑いを含んだような口調で誰かが言った。
振り返ると、アマンダがいつの間にか隣の席に座っていた。
「気に入った、ですか」
「そうよ。あの子たちは好き嫌いが激しいの。初めてなのに、あんなに近くまで寄ってくるなんて、やっばりあなたはカハ祭りの主役にふさわしい人なのかもしれないな」
最後の方は呟くような小さな声だったので、洋一にはよく聞こえなかった。
だが、洋一は奇跡が気になっていて、そんなことには気がつかなかった。
「あの子たちって、あれは生きているんですか? どうして現れたんです? そもそも、あれは何なんです?」
アマンダは、我にかえったように目をパチパチさせると、肩をすくめた。
「まあ、あわてないでよ。今説明するわ」
それにしても、このアマンダの日本語もネイティヴである。ソクハキリの妹たちも日本への留学経験、それも相当長期のそれがあるとしか思えない。
パットにしても、留学もしないうちから単語だけとはいえなんとか通じる日本語を話すのだから、ココ島民はともかくソクハキリの一族は相当な日本通と見てよい。
いくら日本語が出来ても、ココ島ではそれこそ日本領事館にでも行かない限り使いようがないはずだから、ソクハキリの一族はよほど物好きなのか、あるいは強力なパイプが日本にあるのかもしれない。
こんな南太平洋の真ん中に、これだけの日本よりの国、というか人たちがいるなど誰も予想もしていないだろう。いや、日本領事館と、その上部組織である日本外務省は知っているはずだが、洋一はなんとなくそうではないような気がした。
もし日本政府がこのことを知っていたら、もっと政治的に利用しそうなものである。
洋一たち一般庶民が知らないだけで、日本政府は隠れて色々画策しているのかもしれないが、日本領事館の猪野二等書記官の態度からしてその可能性は少ないとみていいだろう。
大体、今更だがなぜ洋一のような風来坊を日本外務省の下部機関が臨時とはいえ雇用したりするのだ?
まだまだ洋一には知らされていない裏がありそうだった。
「さて、と」
アマンダは、持ってきたビールのジョッキをぐいっと飲んで言った。ソクハキリ一家の長姉らしい豪快な態度である。
「まず、これはそんなに珍しい現象ではないのよ。ココ島だけというわけでもなくて、フライマン諸島ならどこでも起こるといっていい。夏の、この時期だけなんだけどね」
「何なんです?」
「夜光虫よ」
「夜光虫?あの、海の中で光るという?」
「そうね。ただ、ココ島のは空中に漂っているの。実体はよくわからないんだけど、ほとんど見えないくらいの小さな虫が、ある程度集まるといきなり光り始めるらしい
名前は、こっちの言葉だと聞き取りにくいけど、英語で言うとフローティングライトかな。そのまんまだけど。日本語では、漂光になる」
「……」
「信じられない?でも、セントエルモの火とかUFOの探査機とか言われるよりは分かりやすいでしょ。とにかく、そういうものなの」
そういうものだと言われれば、もはや洋一には抗弁すべき根拠はない。
「で、不思議なことに、一番よく光るのが日没直後の、しかも岸からちょっと離れたあたりなの。つまり、このへんね。だからカハ祭り船団は、この辺で出発パーティーを兼ねた漂光の見学会をやるという慣習があるのよ。よく光った年はカハ祭りがうまくいくっていうジンクスみたいなのもあるし」
「それで、ここでパーティーですか」
洋一は、改めて当たりを見回してみた。あいかわらず真っ暗に近いが、今はあちこちで青白い光が明滅していて、イルミネーションのようだ。
「今年はとりわけよく光るみたいね。私がカハ祭り船団に参加するようになってからもう10年くらいたったけど、今年は一番かもしれない」
「それにしてもきれいですね。これだけ光るんなら観光資源になるんじゃないですか?」
洋一が俗物的な意見を言うと、アマンダは首を振った。
「それが不思議なことに、好き嫌いがあるみたいなの。カハ祭り船団が来ると、たいていはよく光ってくれるんだけど、観光とか調査をしようとすると全然出てこなかったりする。前に、アメリカの研究所の調査隊が色々な観測機器を持ち込んで調べようとしたことがあったんだけど、1週間粘っても駄目で、案内した人が大恥をかいて引き上げた翌日に、このへんで漁をしていた人の船にどっと押し寄せてきたことがあるそうよ」
「そうなんですか」
洋一は、手のひらの上でぼんやり光っている光球を眺めた。
とても虫の塊には見えない。うんと暗くした青い蛍光灯のようだったが、あまり明るくないにもかかわらず、寂しいかんじはしない。 むしろ暖かいイメージがあるのだが、そうでなかったら人魂に見えただろう。
「不思議ですね。意志があるみたいだ」
「あるんじゃない? 少なくとも、生き物であることは確かよ」
アマンダの声も暖かかった。
昼の件で洋一には苦手意識があったが、こうやって暗い中で膝をつき合わせてみると、アマンダは悪い人ではないという気がする。
まあ、ソクハキリの家で3姉妹の長女をはるだけではなく、カハ祭り船団の指揮者を勤めるくらいカハ族の中で重きをなしているのだから、突っ張ってないとやっていられないということかもしれない。
ふと気がつくと、パットが洋一にもたれたまま眠ってしまっていた。両手で洋一の腕をだきしめ、しがみつくような格好でクウクウ寝息を立てているパットの寝顔は、年相応というか跳ね回っているときより2,3歳幼くみえた。おそらくは、今の顔がパットの素顔なのだろう。